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「はあ、どうぞお好きなように」

岡本 明(ヴィオラ)

 伊福部先生は北海道ご出身ですが、以前「先祖は鳥取県の神社の禰宜だった」と先生から教えていただいた記憶があります。甥御さんの、東大教授の伊福部達さんによれば、「正確には先祖は因幡(現:鳥取県)の宇部神社の宮司です。伊福部家は1500年以上前からの因幡の豪族でした。伊福部家系図によりますと、初代は大国主命で、その後天皇家の釆女の家もつとめ勤め、日本国家の制定に尽くした武内宿禰などを輩出し、大和時代に繁栄したとのことです。伊福部昭は67代目になります。明治維新の後、当主の祖父(注:伊福部昭先生のお父様)が訳あって宮司を捨てて北海道に移り住みました」ということです。大国主命の子孫だなんて、すごいですね。
 近年にも伊福部家には多くの人材がおられます。お父上は北海道音更村の村長さんでした。一番上のお兄様は北海学園大学の建設工学科の教授でしたが、一方では『アイヌの熊祭り』を著すなどアイヌ文化への造詣も深かった方です(この本は絶版で、以前、出版元に問い合わせたところ、残りは3部しかないから手放せない、と断られてしまいました)。その息子さんが上記の伊福部達東大教授で、日本の福祉工学の第一人者で私も親しくさせていただいています。次兄でやはり科学技術者だった伊福部勲さんは早世されました。先生はこのお兄様のことはあまりお話になりませんでしたが、あるときぽつりと「兄はギターが上手くてね」とおっしゃったのを覚えています。名曲「交響譚詩」の第2楽章は、追悼として書かれたもので、二人で遊んだ夏祭りのお囃子が遠くから来て去っていく様子など、敬愛するお兄様への思い出にあふれる、哀しくも美しい曲です。
 先生の曲はどれも私たちの心に深く残ります。「伊福部昭には上記のような歴史的な背景があることから、日本を強く意識した作品がたくさん生まれたような気がします」とは、伊福部達さんの述懐です。  さて、新響は先生の曲を芥川先生の指揮で何度も演奏させていただいていましたが、先生にはその練習にもよくおいでいただきました。いつもスーツに蝶ネクタイで、背を丸めて入ってこられました。私たちはそのときの伊福部先生と芥川先生の次のようなやり取りを忘れられません。

芥川 ここのところの弾き方、これでいいですか。
伊福部 はあ、大変結構でございます。
芥川 もう少し大きい方がいいかな、と思うんですが。
伊福部 いや、皆さんがおやりになりたいように。
芥川 でも、作曲者として何かおっしゃってくださいよ。
伊福部 はあ、どうぞお好きなように。
芥川 ・・・・。

 その後に「それが指揮芸術というものですから」という一言が続いたと覚えている団員もいます。弟子の芥川先生にも、子供のような年齢の私たちにも、にこにこと一言一言、丁寧な言葉でお話になる伊福部先生でした。

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