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レスピーギ:交響詩「ローマの松」

名倉 由起司(ヴァイオリン)


「変わり種」としての標題音楽
 「ローマの松」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。これが音楽作品の題名だと知らなければ、「高級家具に使われる木材としてローマの職人たちの手に渡るローマ産の松の木」を想像するだろうか。反対に、これが音楽作品芳賀 大夢(トロンボーン)題名だと知っているならば、この作品はおそらく「標題音楽」の類なのだろうと思索をめぐらせるのは難しくない。初めは私も同様のことを考えており、ローマの松の木とは一体どんな姿形をしているのだろうと、インターネットで画像検索をしてみたりした。すると、盆栽に代表されるような枝と葉とが鈍角な三角形をなしている日本の松と比べて、ローマの松は、樹高や葉の位置が高く、すらっとした印象を受ける。これを見て何を思うかは十人十色だが、私の正直な感想は「思ったよりショボいな」である。幹がとても太いとか、枝ぶりが非常に良いとか、神秘的な自然を目前にして畏敬の念を抱かずにはいられないようなスケールの松の木を勝手に想像していた私が悪いのだが、これに共感する人は決して少なくないだろう。


 題名が付いていれば標題音楽になる、というのはいささか安直な思考だが、決して間違いとはいえない。標題音楽の代表作ともいえるベルリオーズの「幻想交響曲」は、ベルリオーズ自身の失恋体験を元にしたストーリー仕立てであるし、ムゾルグスキーの組曲「展覧会の絵」は、彼の友人が遺した絵を音楽で表現したものである。標題音楽の大家ともいえるリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」や「アルプス交響曲」をはじめとする数々の交響詩も忘れてはならない。いずれの作品も、題名と内容とに直観的な相関がみられるが、一方でレスピーギの「ローマの松」はそう一筋縄にはいかない。この曲目解説では、彼がこの作品で何を試みたのか、彼の来歴や彼が遺した言葉を参照にしつつ明らかにしたい。


人物
 オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)は、イタリアのボローニャ地方に生まれ、幼少期から、音楽に限らずあらゆる分野に興味や関心を示し、弦楽器全般の優れた演奏技術はもちろん、好奇心旺盛で博学で、語学力にも長けた人物だった。ボローニャの市立歌劇場オーケストラでヴァイオリン奏者を務めたのちに、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクの歌劇場の第1ヴィオラ奏者を務め、そこでリムスキー=コルサコフと出会い、彼の色彩的な管弦楽法の指導を受ける。その後ベルリンで唱歌学校のピアニストを務め、声楽について深い知見を得る。やがてローマの国立サンタ・チェチリア音楽学校の教授および校長の任を受けてローマに移住したのちに、「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」からなる、いわゆる「ローマ三部作」を世に出す。

 彼がイタリア出身であることから、当時のイタリア音楽の芸術的地位、ひいてはイタリア出身の作曲家の系譜を思い浮かべてみると、18、19世紀こそジュゼッペ・ヴェルディやジャコモ・プッチーニ、ジョアキーノ・ロッシーニといった優れた作曲家らによりオペラ音楽において興隆をきわめたものの、19世紀にドイツを先頭にフランス、ロシアその他の国から続々と純粋器楽の作曲家が生まれたなかで、イタリアはそうではなかった。この状況を打開すべく、「輝かしい18世紀の末以来今日まで、わずかの例外を除いて、商業主義と俗物主義のために低められ、矮小化されてきたイタリア人の、われわれの真実性のある偉大な音楽の復興を成しとげる」ことを趣旨として、「イタリア五人組」が結成され、レスピーギはその一員だった。このグループは短命に終わったが、それぞれ前期バロックからルネサンス音楽、グレゴリオ聖歌、古代ギリシャ悲劇の形式にまでさかのぼってその憧れを打ち出し、イタリア音楽復興の旺盛な活動を展開した。この集大成こそが、レスピーギの「ローマ三部作」の絶大な人気だった。

作品
  ローマを題材にした音楽作品は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ビゼーの組曲「ローマ」などがあるが、やはりこの「ローマ三部作」が一番の大作であることに間違いはない。初めに述べたように、「ローマの松」と聞いて、これはおそらく「イタリアの都、二千年来の歴史を持つローマの町のあちこちに見える松の木の姿」を描いた作品なのではないか、と想像するのは難しくなく、むしろ自然なことである。しかし、1926年にレスピーギ自らフィラデルフィア管弦楽団を指揮してこの曲を演奏した際、彼はプログラムに次のように書いている。


「『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。きわめて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている」


 つまり、この作品は単に松の印象を描いたものではなく、松が象徴するローマの自然の奥にある精神を描こうとしたものであり、換言すれば、各楽章に題名こそ付いているものの、これは単なる描写音楽ではなく、自然に対面した作曲者自身の内面的世界の表現であるといえる。最初の問いに答えるならば、松の忠実な姿そのものは、雰囲気以外にはここではほとんど問題にされていない。「記憶と幻想を呼び起こす」とは、彼の個人的な追憶ではなく、「何世紀にもわたる樹木」の追憶、つまりローマの歴史であり、それは古代ローマにまで遡る。そのため彼は作中でグレゴリオ旋法を効果的に用いており、これは先に述べたように、先の時代の音楽に学びイタリア音楽復興を成し遂げんとする当時のイタリア音楽の潮流とも一致する。


 これは「ローマの松」に限られたことではなく、彼はローマに寄せる深い愛着から、「ローマ三部作」を手掛け、そのなかで単なる風景の描写ではなく、「ローマの噴水」では教皇庁の都としてのローマを、「ローマの松」では古代ローマ、ルネサンスのローマへの郷愁を、「ローマの祭り」では民衆生活の中に伝統的に受け継がれた生命力を謳った。


 曲ごとに彼自身による説明が付されており、彼がそれぞれの松の木からどのようなローマの歴史を追憶したのかがうかがえる。なお曲の順序に物語的な意味はみられず、強いていえば、急緩緩急という音楽的な流れを重視したと考えられる。


第1曲「ボルゲーゼ荘の松」
 ボルゲーゼ荘とは、ローマの北の町外れに位置するボルゲーゼ家の別荘のことであり、そこには古い立派な建物と広い庭があり、レスピーギが27歳の時に一般市民に開放され、今なお残るローマ市の公園である。日本でいうところの、恩賜公園にあたるだろうか。ここには背の高い松の木が何百本もそびえている。


「ボルゲーゼ荘の松の木立ちの中で、子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊の真似をし、行進したり戦争ごっこをしている。彼らは夕暮れの燕のように自分たちの叫び声に興奮し、群れをなして往き来している。突然情景が変わる。」


 たしかに、冒頭のヴァイオリンとオーボエのトレモロやフルート、クラリネット、トランペット、チェレスタ、ピアノの細かい連符、ハープのグリッサンドなどから、子供たちが軽快にはしゃいでいる様子を、その直後のチェロとコールアングレ、ファゴット、ホルンの弾むような旋律から、子供たちのみならず、周囲の大人や、松の木々までもが、胸を高鳴らせている様子を想像できる。曲の中盤のおもちゃのトランペットのようなかわいらしい行進曲風の旋律は、子供たちの行進や戦争ごっこを、曲の終盤の細かい連符にかぶさるようなトランペットのやや長めの音は、子供たちの叫び声を表現しているのだろう。彼らは遠いローマの地の子供たちだとはいえ、我々が子供だった頃の記憶とかけ離れているものではないだろう。


第2曲「カタコンバ付近の松」
 カタコンバとは、3、4世紀にかけてローマ帝国下で弾圧されたキリスト教徒が、秘密の礼拝所とした地下墓所のことである。ローマ帝国がキリスト教を国教化する以前に、弾圧下で信仰を守り続けた人々を、彼はここで追憶する。


「カタコンバに入る道の両側に立ち並ぶ松の木陰。墓地の奥底から悲しげな歌声が上がってきて、荘重な聖歌のように広がり、しだいに神秘的に消えてゆく。」


 第1曲とは対照的なゆっくりとしたテンポとフレーズ、低音域へのシフトから、第1楽章よりもずっと古く、長い歴史を想像できよう。ホルンや、後に続くフルートとファゴットに続く旋律が墓地の悲しげな歌声を、その後のバンダのトランペットの清らかなソロが聖歌を提示する。やがてトロンボーンとホルンがその荘重な歌声と聖歌をより壮大に表現する。木管楽器と弦楽器の独特な5拍子のリズムは、当時の重く痛々しい雰囲気を見事に醸し出している。


第3曲「ジャニコロの松」
 ジャニコロとは、テヴェレ川を見下ろす山の手の丘である。時間は夜。


「風が走り大気が揺らぐ。ジャニコロの丘の松が清らかな満月の光にくっきりと浮かび上がる。ナイチンゲールが鳴く。」


 第2曲とテンポはさほど変わらないものの、中音域と高音域へのシフトから、雰囲気はがらっと異なっている。冒頭のピアノから風とそれに揺らぐ松の木が脳裏に浮かぶ。視野は第2曲よりずっと開けている。クラリネットのソロが満月のやさしい光となって松の木を照らし、鼓動を落ち着かせる。松の木と満月との逢瀬はこれまでに数えきれないほど重ねられてきただろうに、毎度のように息をのむほど美しい情景がそこにあることをしみじみと感じ入る。西洋のウグイスともよばれるナイチンゲールという鳥の美しい鳴き声が響き渡る。


第4曲「アッピア街道の松」
 アッピア街道とは、ローマから東南に走る、二千年の歴史をもつローマ帝国の幹線道路で、今では部分的な遺跡として残っている。レスピーギは朝霧のなか、この長い街道のどこかを訪れる。


 「霧に包まれたアッピア街道の夜明け。松並木の影に、静かな平原の景色が見える。突如として、多数の兵士の足音の響きが絶え間ないリズムをとって聞こえてくる。古代の栄光が詩人の幻想によみがえる。ラッパの音が轟き、太陽の光が射すとともに執政官の軍隊が現れ、聖なる街道を行進して、首都へ凱旋してゆく。」

 ティンパニやチェロ、コントラバス、ピアノの低音の刻みが、ローマ兵の足音を想起させ、曲が進むにつれてその音は大きくなり、最後には地響きの如く空間全体を支配する。コールアングレの吟遊詩人の語り口のような旋律は、何かの前兆を説いているかのようだ。バンダの金管楽器と舞台の金管楽器とが互いに呼応しあうように爆音を鳴らす。当時のローマ兵の凱旋を目の当たりにしていたら、このような大迫力だったのだろうか。


初演:1924年12月14日 ベルナルディーノ・モリナーリ指揮 アウグステオ楽堂(ローマ)


楽器編成:フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、小シンバル、タンブリン、ラチェット(木製の回転式楽器=ガラガラ)、大太鼓、タムタム(銅鑼)、グロッケンシュピール、水笛等(楽譜には「ナイチンゲールの声の録音盤」と指定)、ハープ、チェレスタ、ピアノ、オルガン、弦五部、ブッキーナ6(トランペット4、トロンボーン2)


参考文献:
井上和男「レスピーギと近代イタリア音楽」『フィルハーモニー』 第51巻第3号 NHK交響楽団 1979年
音楽之友社 編『最新名曲解説全集』第6巻 (管弦楽曲 3)音楽之友社1980年
寺本まり子『交響詩ローマの松』スコア解説 音楽之友社1992年
溝部國光『交響詩《ローマの松》』スコア解説 日本楽譜出版社
属啓成「ローマの松と噴水 レスピーギの名曲モデルめぐり」『音楽の友』 第14巻第8号 音楽之友社1956年
芳賀日出男「ローマの噴水、ローマの松」『フィルハーモニー』第51巻第3号 NHK交響楽団 1979年
橋本エリ子「演奏家の立場における『近代イタリア歌曲』の演奏解釈論 : オットリーノ・レスピーギの作品を中心に」1995年
堀内敬三『音楽の泉 名曲解説』第4巻 音楽之友社1954年
丸山和平『海員 全日本海員組合機関誌』第14巻第2号 全日本海員組合本部 1962年
吉田秀和『音楽家の世界』創元社 1953年

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