HOME | E-MAIL | ENGLISH

デュカス:交響曲ハ長調

名倉 由起司(ヴァイオリン)

人と作品

 ポール・アブラアム・デュカスは1865年10月1日にパリのコキリエール通りでユダヤ人の家庭に生まれた。ミドルネームのアブラアムや苗字の発音はそのためと思われる。父ジュール・ジャコブは銀行家、母ウジェニーはピアニストであった。ウジェニーはポールが5歳の時にピアノのレッスンを受けさせたが、14歳の頃まで特に才能は現さず、1881年の終わりに16歳でパリ音楽院に入学するまで特筆すべきエピソードは残っていない。
 パリ音楽院では作曲をエルネスト・ギローに師事する。ギローはビゼーの「アルルの女」の編曲で知られた作曲家である。そこで、生涯の友人となるクロード・ドビュッシーに会う。ドビュッシーとの親交は彼の死に際して「牧神の遥かな嘆き」を追悼に捧げるほどであった。音楽院時代にはカンタータ「ヴェレダ」でローマ大賞の2位となるが、翌年には賞を取ることができず、失望したデュカスは音楽院を退学してしまう。


 デュカスは後年、教育者、批評家としても活動した。そのためか厳しい批評の目を自らにも向け、その多くを破棄してしまったために現存する作品は20ほどである。
 1907年初演の歌劇「アリアーヌと青ひげ」は、同じくメーテルランクの戯曲によるドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」と並んで20世紀初頭のフランスでもっとも重要な舞台作品として同時代の作曲家の称賛を浴びた。この中にはツェムリンスキー、シェーンベルク、その弟子のアルバン・ベルクとアントン・ウェーベルンも含まれ、ウィーン初演に際して祝辞を贈ったほどであった。
 デュカスの弟子にはオリヴィエ・メシアンやホアキン・ロドリーゴなど高名な作曲家がいる。先日の練習でトレーナーの先生に鳥の声を思わせる表現が今回の交響曲にあると指摘を受けた。直接の繋がりはないようだがメシアンは鳥の鳴き声を曲に使うことがよくある。
 批評家としての活動は1892年から1905年まで続き、自身の音楽を作ることを妨げたように思われる。1912年にバレエ音楽「ラ・ぺリ」の初演が行われた後は1935年5月17日に死を迎えるまで一切の楽曲の出版は行われなかった。


フランスの「交響曲」

 あくまでも私論であるが、フランスの作曲家は交響曲という堅牢な構造を持つジャンルには向かないのか、知る限りでは複数の交響曲を作っている作曲家はほとんどいない。現在よく演奏され、重要なレパートリーとなっている曲としては、ベルリオーズの幻想交響曲、フランクのニ短調、ダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」、当団でも過去に演奏したショーソンの交響曲、例外的に複数作曲しているが「オルガン付き」以外は滅多に演奏されないサン=サーンスあたりが有名である。ベルリオーズは他にも交響曲と名のつく大作を残しているが果たして交響曲として扱っていいものかわからない破格の作品ばかりである。型破りといえば、弟子のメシアンの手になる「トゥーランガリラ交響曲」もあげておこう。
 これらは意表をついたものでなくても、どの曲もいわゆる一般の考える交響曲とは大いに異なる。一般的には交響曲とは第1楽章にソナタ形式、中間楽章となる第2楽章、第3楽章で緩徐楽章とメヌエットやスケルツォなどの舞踊曲、終楽章となる第4楽章では再びソナタ形式か変奏曲形式を取った早いテンポの楽章からなる。
 ここであげたフランスの交響曲は一般的なフォルムは全く採用していない。ほとんど3楽章構成、編成にもピアノやオルガンを含んだ協奏曲風であるもの、多楽章でどこが交響曲なのやら見当もつかないものまである。
 その意味では今回取り上げるデュカスはフランス人の交響曲としてはかなり形式張った曲と言えなくもない。とは言え、至る所でフランス的な響きを感じることができるやはり「フランスの交響曲」であることは疑いがない。
 本日どんな演奏をお届けすることができるか楽しみでもあり、期待に背かないか不安でもある。


第1楽章 Allegro non troppo vivace, ma con fuoco
 ハ長調。ソナタ形式、8分の6拍子
 弦楽器で演奏される活発な第1主題で始まり、どこか哀調を帯びた第2主題が同じく弦楽器で演奏される。様々に展開された後、圧倒的なエネルギーをもってこの楽章は終わる。


第2楽章 Andante espressivo e sostenuto
 ホ短調。ソナタ形式、8分の4拍子
 心に染み入るような主題がホルンの特徴的な音型を伴って開始され、自然を表すような優美な伴奏とともに緩徐楽章は進み、コラールが幅広く鳴り響いた後、静かに幕を閉じる。


第3楽章 Allegro spiritoso
 ハ長調。ロンド形式、4分の3 = 8分の9拍子
 2種類の拍子が組み合わされて歓喜に満ちた雰囲気で自由なロンドが繰り広げられる。次々に新しい楽想が現れては消え、再び華やかなフィナーレとなる。


初 演:1897年1月3日パリ・オペラ座にて ポール・ヴィダル指揮


楽器編成:フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2(1番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ピッコロ・トランペット、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦五部


参考:
「フランス語版ウィキペディア」https://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_Dukas#Biographie
「ベルリンフィルハーモニー管弦楽団」https://www.berliner-philharmoniker.de/en/stories/paul-dukas/
「ブリタニカ」https://www.britannica.com/biography/Paul-Abraham-Dukas (アクセス日はすべて2024年2月24日)

このぺージのトップへ