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追悼 飯守泰次郎先生

 

団長 土田 恭四郎

 飯守泰次郎先生が2023年8月15日に享年82歳にて逝去との訃報、あまりにも突然のお知らせでした。
 最後にご一緒したのは、昨年4月29日の第257回演奏会でのブラームス交響曲第4番でした。そして2026年新交響楽団創立70周年に向けて、ご体調に配慮しつつ更なる薫陶を賜りたく、演奏会の機会を検討していたところです。


 飯守先生とのお付き合いは、第193回演奏会(1993年4月24日)に始まります。当時、飯守先生はオランダ在住にて日本と行ったり来たりという状況でしたが、その後30年もの長きにわたり、自主演奏会で30回(コロナ過のため中止となった演奏会も含む)、芥川也寸志没後10年として埼玉県松伏町や上野の奏楽堂での演奏会2回含めて、数多くの演奏会でご指導いただきました。


 飯守先生と演奏した曲は、ドイツ・ロマン派が多く、ワーグナー・ブルックナー・マーラーそしてシューマン・ブラームスとベートーヴェン、時々ドビュッシー・ラヴェルなどのフランス音楽、スクリャービンやヴィラ=ロボス、芥川也寸志をはじめとする数多くの邦人作品、現代の湯浅譲二など、多岐にわたります。
 あらためて振り返ると、新響の節目、例えば創立40周年、50周年、60周年などの演奏会には必ず飯守先生がいらしてくださいました。特に芥川也寸志没後10年のオール芥川プログラム(第166回演奏会)をはじめ、ワーグナー楽劇「ワルキューレ第1幕(第151回演奏会)、「トリスタンとイゾルデ」(第195回演奏会・第244回演奏会)、「ニーベルングの指輪」ハイライトを含むワーグナーの諸作品や声楽を伴う大規模且つ意欲的なプログラムは、忘れることのない名演として練習の体験と共に私たちの記憶に残っております。


 飯守先生は、故芥川也寸志が提唱された「音楽はみんなのもの」という理念に支えられた団員の自主運営と発想による活動に深い共感を示され、妥協することのない厳しい練習の中、深い愛情を持って真摯にご指導してくださいました。充実した練習の中、「自由を最大限に使いこなすこと」すなわちオーケストラ自身が一つの有機体となって高い音楽技術を持って音楽を創っていくことの重要性、音程・ハーモニー・フレーズ・調性の持つ意味合いを常に意識して「音を出す前に自発的な意思とイメージを持つ、新響はそれができると信じている」、と常にお話しされていたことを思いだします。ブルックナーの交響曲第7番の練習で、冒頭のヴァイオリンによる最弱音のトレモロだけで30分近く費やしたこともありました。


 また、深い理解と共感を持って曲に臨むべく、数多くのインタビューを通して、修行時代からのご経験や、洞察力に充ちた音楽全般にわたる貴重なお話をお伺いいたしました。時には飯守先生との初リハーサルの前に先生自らピアノを弾きながら解説していただいたこともあります。
 飯守先生の残されたメッセージは新響の大切な財産であり、今を活きる新響の演奏活動の根幹として私たちの心の中に活き続けております。


 新響にとって「芥川也寸志」が生みの親、「山田一雄」が成長期の恩師であれば、「飯守泰次郎」は成長から成熟に向かう中での指導者で育ての親ともいえる存在です。先生のお名前は、ご指導いただいたことへの誇りと共に、永遠に刻まれていくことでしょう。


  「ワルキューレ」のブリュンヒルデの如く、音楽という魔の炎に包まれて永遠の眠りについておられる飯守先生。生前のお姿を偲び、あらためて長年に亘るご貢献とご指導に心から感謝を捧げます。


 安らかにお眠りください。


「ウィーン・楽友協会にて。飯守先生の指揮でチェロを演奏しました。」写真:坂入健司郎氏提供

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