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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

瀧野 啓太 (トランペット)

決死の皮肉とユーモア
 ナチスやソ連当局による規制や弾圧を受け、道を断念したり活動の拠点を国外へ移したりした芸術家は数知れないが、そんな中ショスタコーヴィチは祖国に残り、スターリンや当局が掲げるイデオロギーに翻弄されながらも気丈に音楽活動を続けた。
 19歳のときに作曲した交響曲第1番はソ連のみならず、海外の一流オーケストラや指揮者に取り上げられ、その後もレニングラードの誇りとして着実に名声を築いていったが、「プロレタリア文化協会(通称プロレトクリト)」の関係者などの嫉妬を買い、若くして異彩を放つショスタコーヴィチに対して嫉妬心を持つ関係者も一定数いたようで、平等を掲げる社会主義において一人が目立ちすぎるのはイデオロギーに反するといった声もあったとされる。
 1930年代半ばにショスタコーヴィチの大ヒットオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が各地でロングラン公演を続ける中、モスクワのボリショイ劇場にてスターリンが当作品を観劇するものの途中退席し、2日後にソ連当局の機関紙『プラウダ』にて「音楽の代わりの支離滅裂」と題する記事が掲載され、作品を痛烈に批判されてしまい、しばらく音楽活動の危機を迎えた(※1)。
 1939年には第二次世界大戦が勃発し、この間もショスタコーヴィチは1941年に交響曲第7番、1943年には交響曲第8番を作曲している。1944年、ソ連が加わっていた連合軍側の戦況が良くなり、勝利が確実視されてきたころ、彼は勝利をテーマとした合唱付きの壮大な作品の創作を示唆する。当局や周囲の人々も、ベートーヴェンの「第9」に比肩するような華々しい作品を期待していた。友人の批評家に披露した1楽章のスケッチ(※2)もそのような期待に応えそうなものであったという。ところが、作曲を中断し、一から書き直して出来上がった曲は周囲の予想や期待とは大きく異なる、コンパクトな曲であった。全楽章を通しても30分に満たず、第7番や第8番の第1楽章と同等の長さでしかない。曲想も感動的というよりは、ユーモアがだいぶ溢れている。『プラウダ』紙上での批判を経験しており、この状況で茶目っ気を披露したら自分の身に何が起こるか、想像していなかったとは思えない。
 世界的チェリストである夫・ロストロポーヴィチとともにショスタコーヴィチと親交が深かったソプラノ歌手・ヴィシネフスカヤの解釈としては、ショスタコーヴィチは自身の芸術家としての唯一の生存戦略を欺瞞に見出した。交響曲第5番の初演時も、作品があたかも社会主義的精神に基づく明るい未来を示しているかのように振る舞い、ソ連当局を満足させたという。
 いくら皮肉屋であったショスタコーヴィチとはいえ第9番の創作においてなぜわざわざ音楽家人生を危機に晒すような選択をしたか、答えは本人のみぞ知るが、敬愛していたマーラーが恐れたように、ベートーヴェンから続く「第9」のジンクスを恐れたのだろうか。
 案の定、1948年には交響曲第8番を中心に、第9番とともに、芸術分野での思想統制「ジダーノフ批判」の標的となり、『プラウダ』紙上での批判に続いて苦境に立たされるも、1953年のスターリンの死後、ショスタコーヴィチは不死鳥のごとく息を吹き返し、結果としては生涯で15曲の交響曲を残すこととなった。


第1楽章 アレグロ 変ホ長調 2/2拍子
 「さながらハイドン」「新古典主義」といった言葉がつい浮かぶ、軽妙な楽章。不穏な和声や変拍子を挟むなど、ショスタコーヴィチらしい筆跡を随所に感じるが、構成としては提示部・展開部・再現部が律儀に登場する昔ながらのソナタ形式となっている。
 戦争を抜きにして聴けば、トロンボーンの「ぱっぱーーーーぁぁぁぁ(スビト(急に)ピアノ)」といったとぼけたファンファーレに導かれるマーチ部分におけるピッコロの可愛らしい主題、後に幾度となく主題を再現しようとファンファーレを試みるも他の楽器群に「妨害」されながらなんとかヴァイオリンソロに繋ぐ様子など、喜劇を見ているかのような気持ちになる愉快な曲である。拍子が入り乱れて混沌とした状況を払拭すべく打たれる、大太鼓によるこの曲唯一にして渾身の大砲のような一撃も注目に値する。
 長く続いた大戦を回想したり、膨大な数の犠牲者を弔うような感動大作を期待していたところ、戦争に勝っているのか負けているのか、そもそも戦っているのかすらよくわからない1楽章を聞いてソ連当局が大いに困惑したことは想像に難くない。


第2楽章 モデラート ロ短調 3/4拍子
 ABABA形式。不規則に4拍子を挟みながらクラリネットが怪しげな主題を提示し、フルートとファゴットに移る。B部分では弦楽器がより規則的なひっそりとしたワルツ調の旋律を奏でる。楽章の締めくくりはピッコロがもの悲しげに旋律を吹いて終わる。


第3楽章 プレスト ト長調 6/8拍子
 速く短いスケルツォ。またもやクラリネットが活躍し、1楽章の冒頭の下降系の分散和音を彷彿とさせる技巧的な主題を提示、中間部ではスペインの民族舞踊のような弦楽の伴奏の上でトランペットがソロを吹き、最後は楽器が減っていき収束する。


第4楽章 ラルゴ 変ロ短調 2/4拍子
 3楽章から続けて演奏される。ABAB形式の単純な構成ながら、A部分における低音金管楽器の咆哮と、B部分ではファゴットによる祈りや弔いとも取れる長大なカデンツァとの対比が目覚ましい。


第5楽章 アレグレット 変ホ長調 2/4拍子
 ソナタ形式。4楽章から続けて演奏され、ファゴットのさっきまでの深刻さはいずこへ、おどけた調子の「上がって下がる」第1主題を提示する。変ホ長調で始まり、愉快かと思わせ、すぐにハ短調で繰り返し、どことなく哀愁を帯びている。オーボエが提示する異国風情漂う部分に続き、ヴァイオリンが下降系のマーチ風な第二主題を提示する。展開部では急に加速したり、シンコペーションを交えて盛り上がり、減速して再現部に入りタンブリンも加わる。金管楽器が第1主題を華やかに吹き、続いてヴァイオリンと木管楽器が第2主題を朗々と、勝利のパレードのように再現する。コーダ部分ではまたテンポが急に上がり、そのまま駆け抜けるように文字通り「チャン、チャン」とあっさり終わる。


※1 この時期に作曲された交響曲第4番は新交響楽団が日本初演を果たしている。
※2 2003年に手稿の中から中断された第9番の初稿と思われる断片が発見されており、現在では録音も存在する。


初演:1945年11月3日レニングラードにてエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、トライアングル、大太鼓、小太鼓、タンブリン、弦五部


参考文献:
千葉潤『作曲家◎人と作品 ショスタコーヴィチ』
音楽之友社 2005年
Hurwitz, D. Shostakovich Symphonies and Concertos – An Owner’s Manual. New Jersey: Amadeus Press. 2006
Vishnevskaya,G. Galina: A Russian Story. London: Hodder & Stoughton. 1985

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