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ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」全曲

平山 楓馬(ヴァイオリン)

 新響ではこれまで数多くの「バレエ音楽」を演奏してきた。以下にその一部を挙げた(数字は初演年):


・ストラヴィンスキー/「火の鳥」 (1910)
・ストラヴィンスキー/「ペトルーシュカ」 (1911)
・デュカス/「ペリ」 (1912)
・ラヴェル/「ダフニスとクロエ」 (1912)
・ドビュッシー/「遊戯」 (1913)
・ストラヴィンスキー/「春の祭典」 (1913)
・ファリャ/「三角帽子」 (1919)
・プーランク/「牝鹿」 (1924)


 これらは新響が過去に演奏したバレエ音楽の半数近くを占めるのだが、かなり短い期間で一挙に生を受けていることに気付くはずだ。そう、これらの作品はすべて一人のロシア人プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフ (1872-1929) との関係のなかで生まれたものである。
 美術雑誌の主宰を足がかりに、大々的な展覧会の成功などでロシア芸術界における地位を高めていたディアギレフは、進出先のパリでも展覧会や演奏会を企画し、度重なる成功を収めていた。そんな彼がバレエ界に革新をもたらたすことになったのは、実は最大のパトロンであった大公ウラジーミル・アレクサンドロヴィチの死が契機であった。1909年にオペラを中心に予定していた演奏会を縮小せざるをえなくなった結果として、ヴァーツラフ・ニジンスキーやアンナ・パヴロワらを中心メンバーとするバレエ公演が実現し、これが実質的に「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団)の旗揚げであるとみなされる。バレエが芸術ジャンルとしては凋落しつつあったパリでは、総合芸術としての新境地を目指した彼の試みは大きな衝撃をもって迎え入れられた。
 もっとも、彼は元々はバレエにそこまでの興味を示していなかったようであるが、これを機に意欲を高め、いよいよ新進気鋭の作曲家への新作委嘱に取りかかっていく。これによる一つの(そしておそらくは最大の)成果として、ほとんど無名に近かったストラヴィンスキーが、いわゆる三大バレエを通じて一挙スターダムにのし上がったのは周知のことである。しかし、委嘱先は必ずしもロシア人にとどまらず、先に挙げたようなフランス人作曲家たち、そしてレスピーギやファリャといった変わり種にも及んだ。ともかく、ディアギレフ、そしてバレエ・リュスが、ロマン派の完全な終焉によって混乱していた20世紀初頭のクラシック音楽界において果たした役割は底知れない。
 ディアギレフがマヌエル・デ・ファリャ (1876-1946) への委嘱に至った詳らかな経緯は定かではないが、おそらくスペイン風味の作品を求めることでそれまでとは毛色を異にしようとしたのだろう。ファリャはもともと、パントマイム作品としてこの「三角帽子」を独自に準備していた(当初は「代官と粉屋の女房」という実に安直なタイトルであった)。そこへディアギレフからの依頼が来たものだから、都合は良かった。1917年にはいったんパントマイムとして20名足らずの小オーケストラによって初演されたが(指揮をつとめたのは奇しくもトゥリーナであった)、バレエとしての上演にあたって2管編成に拡張、音楽そのものも結局かなり書き換えられた。1919年に行われたバレエ版の初演時には、やはりスペイン人である、かのパブロ・ピカソが美術を担当したことは特筆に値するであろう。
 バレエ音楽は当然ながら踊るために書かれているから、根底には愉しさが横たわっているものだが、そうしたなかでもこの作品は本当に天真爛漫で、底抜けの愉しさは群を抜いている。断じて難しいことを考えず、まずは目まぐるしく移りゆく音楽の流れに身をゆだねていただくのがよい。しかし、それは決してこの作品が芸術的に軽んじられてよいことを意味しない。細かい場面設定一つひとつが、音楽と密接に結びついて、鮮やかに表現されている。絶対音楽的な目線でも、一度聴いたらたちまち耳に残りそうな麗しい旋律群、クセになるリズムの扱い(特に随所で現れるヘミオラの効果は見事である)、独特の和声観などは、いずれも他国発のクラシック音楽には見受けられないものである。J.S.バッハは「フランス組曲」や「イギリス組曲」といった舞曲集を残したが、この作品はさながら「スペイン組曲」であると言えようか。


 簡単に筋書きだけ述べておく。舞台はアンダルシア。主要な登場人物は代官(コレヒドール)、粉屋、そしてその女房のわずかに3人である。タイトルの「三角帽子」というのは、この代官が被っているものであり、社会的地位や権威を象徴するという。語感からはパーティーグッズのような様相が想像されてしまうが、実際には横からではなく上から見て三角形であるということだ。
 この作品に登場する代官は、芸術作品におけるプロトタイプ的な権力者像としてご多聞に漏れず、やはりろくでもない好色男だ。粉屋の美人の女房に夢中になり、誘惑すべく昼下がりの製粉所に現れる。しかし、気の強い女房は「ファンダンゴ」を踊って誘惑しかえすばかりか、ブドウを手に代官をもてあそぶ。そこへ粉屋も現れ、代官を棒で懲らしめる。代官はその場を逃げ出し、夫婦はふたたびファンダンゴを踊る(ここまで第1部)。
 その晩、近所の人々が華麗に「セギディーリャ」を踊っている。粉屋は人々に勇ましく「ファルーカ」を踊ってみせる。音楽がいささか不気味な雰囲気に転じると(ここで現れる有名な「パロディー」については、あえて伏せておこう)、なんと粉屋が無実の罪で警察に連行されてしまう。代官の罠にはまったのである。クラリネットが模倣する鳩時計が夜の9時を告げると、ふたたび代官が現れて「ミニュエ」を踊り出す。突如として音楽が騒々しくなり、代官がうっかり水路に転落するさまが表現されると、それを助けた女房との押し問答に入る。しまいには銃による脅し合いにまで発展し、女房が逃げだした隙に代官は家に忍び込んで、濡れた服を脱ぎ捨てる。
 そのころ、這々の体で逃げ出してきた粉屋は、脱ぎ捨てられた代官の服を見て仰天するが、すぐさま復讐の策に思い至る。彼は代官の服に着替えてふたたび出て行ったのだ(ここまで第2部)。やむなく粉屋の服に着替えた代官は、逃げた粉屋を捜す警察らに袋叩きにされ、平和を取り戻した夫婦は近所の人々と陽気に「ホタ(終幕の踊り)」を踊り明かすのであった。


 実はファリャは芥川先生のお気に入りの作曲家の一人であったらしい。1988年には新響でも、自身の提案によって驚異のオール・ファリャプログラムを実現させている(第119回演奏会。奇しくもこれが氏にとって最後の定期登場となった)。トリには「三角帽子」の第2組曲。練習ではどれだけキリが悪くても、残り時間が迫ると無理やり「終幕の踊り」に移り、実に楽しげに振っていたと伝え聞く。
 氏の生前を知る団員もしだいに減りつつあるが、その精神は脈々と受け継がれている。言わずもがな「タプカーラ」ともども、氏の想いをも乗せた演奏会となることをどうかご期待いただきたい。


初演:
パントマイム版:1917年4月7日、エスラバ劇場(マドリード)にて
ホアキン・トゥリーナ指揮
現行版:1919年7月22日、アルハンブラ劇場(ロンドン)にて
エルネスト・アンセルメ指揮


楽器編成:
ピッコロ (フルート持ち替え)、フルート2 (1番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ (オーボエ持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、カスタネット、小太鼓、大太鼓、トライアングル、シンバル、タムタム、木琴、グロッケンシュピール、テューブラーベル、ピアノ、チェレスタ、ハープ、弦五部、メゾ・ソプラノ独唱

参考文献:
『ファリャ バレエ音楽《三角帽子》全曲』 全音楽譜出版社 2021年
濱田滋郎 『スペイン音楽のたのしみ — 気質、風土、歴史が織りなす多彩な世界への"誘い"』 音楽之友社 2013年
興津憲作『ファリャ — 生涯と作品』 音楽之友社 1987年
R.Buckle(鈴木晶 訳)『ディアギレフ — ロシア・バレエ団とその時代』 リブロポート 1984年

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