HOME | E-MAIL | ENGLISH

ドビュッシー:交響組曲「春」

嘉瀬 文哉(打楽器)

ドビュッシーと音楽の出会い
 1862年、イル・ド・フランスにあるパリ西郊約20kmの町サン・ジェルマン・アン・レにてアシル=クロード・ドビュッシーは生まれた。ドビュッシーが8歳の頃、普仏戦争が起こった関係で、伯母と共に南フランスのカンヌへ疎開することになった。ここで、イタリア人ヴァイオリニストにピアノを教わることになる。ドビュッシーが音楽と出会った瞬間だ。圧倒的に蒼い空と果てしなく広がる海が見えるこの土地での体験が、音楽家ドビュッシーの感性を刺激した。

作曲家までの道のり
 1871年、普仏戦争の講和に反対したパリ市民の反乱が本格化し、世界初の労働者政権であるパリ・コミューンが誕生した。この反政府軍に参加していたドビュッシーの父親だが、政府軍によってわずか2ヶ月で鎮圧され、牢獄につながれる身となってしまう。そこで出会ったのが、シャルル・ド・シヴリという音楽家だ。この父の出会いをきっかけにドビュッシーは、シヴリの母であり、ショパンの弟子でもあるモテ夫人にピアノを習うことになる。モテ夫人はドビュッシーの才能を見抜き、熱心に優しく質の高いレッスンを授けた。そして約1年の指導の末、ドビュッシーは競争率約5倍の難関を突破し、国立パリ高等音楽院に入学する。

 当初はピアニストを目指し、学内コンクールでも年々上位の賞を獲得していき、順調にピアニストへの階段を上っているように見えた。しかし、気乗りしない試験曲を弾くことから、3回目のコンクール以降は賞が取れないこともあり、徐々にピアノへの熱は冷めていく。一方で、同時期に参加していたソルフェージュのコンクールでは、1回目の参加から頭角を現し、3回目で第1等賞を獲得した。そして、めでたく4年でソルフェージュのクラスを終えた後、和声のクラスに学んだ。この場でドビュッシーは自己を確立させていった。和声の規則を教われば教わるほど、それに納得できない自身の感性に目覚めていったのだ。この頃からドビュッシーは歌曲を作り始め、自ら歌い、友人たちに披露していたという。そうする間に、自らの発露の場は作曲だとの意を強くしていった。
 20歳になると、フランスの若き芸術家たちの登竜門とも言われる「ローマ大賞」の予選を受ける。1回目の参加は予選落ちしてしまったが、翌年の2回目は第2等賞、そして翌々年の3回目でローマ大賞を受賞した。しかし、ドビュッシーにとっては、自分の信じる音楽と伝統的な様式との折り合いをつけることを学んだ成果ともなった。ローマ大賞を獲得したドビュッシーは、ローマのヴィラ・メディチへの留学権を得て、作曲活動に励むことになる。音楽家ドビュッシーの真の個性が表れるのはここからだった。

交響組曲「春」
 この曲はドビュッシーがローマ大賞を獲得し、ローマへ留学していた時に作曲された。ボッティチェリの名画「プリマヴェラ(春)」と、絵画部門でローマ賞を受賞したマルセン・バッシェの同名の留学作品からインスピレーションを得て、「苦しげに誕生し、しだに花咲き、歓喜に達する自然の姿を描こうとした」といわれている。
当時ローマへの留学権を得たドビュッシーだったが、ローマでの生活は彼の性格には合わず、わずか2年でパリへ戻ることとなる。それゆえ、ドビュッシーの留学作品のうち、真にローマ作品といえるのはこの曲のみである。そして、作曲家として一本立ちしたドビュッシーの現存する最初の大規模な作品というべきものでもあろう。
元は管弦楽と2台のピアノに合唱を含んだ編成であったが、この版は製本所の火災で焼失してしまった。そのため、作曲から25年後にドビュッシーの指示を得たアンリ・ビュセールが、合唱部分を管弦楽に含めた新たなオーケストレーションに編曲し完成させた。本日の演奏はこの版によるものである。

第1楽章 Très modéré
 この楽章は3つの部分に分けて考えられる。冒頭、嬰ヘ長調の主題がフルートとピアノのユニゾンで静かに始まり、短調に変化してヴァイオリンに受け継がれ、クレッシェンドと共に高揚し、展開されていく。続いて二つ目の主題が弦楽器により奏でられ、第2部へと移る。そして第2部の後半では、ヴィオラのソロを挟んで動きは活気を帯びていき、急速な下降半音階と共に静けさが戻り、再提示部となる第3部へ移る。一つ目の主題が転調を伴い何度も繰り返されて最高潮に達すると、全音音階がゆったりと引継ぎ、低音部によって再び二つ目の主題が歌われ、第1楽章は静かに終わる。

第2楽章 Modéré
 概ね第1楽章の主題の変形から成立しており、前後2部に分けられる。まず、第1楽章冒頭の音群を変形した旋律が木管楽器によって奏でられる。その後、テンポがしだいに速くなり、ホルンとチェロに第1楽章の主題の変形が現れ、後半部が始まる。そして、スケルツァンドの主題では今まで現れなかった律動的な旋律が登場する。曲の終盤では、金管楽器が後半部冒頭の主題を高らかに鳴らし、その主題動機を圧縮した伴奏形を他の全楽器で奏して、曲は最高潮に達する。

初演:1913年4月18日 ルネ・バトン指揮 国民音楽協会(パリ)

楽器編成:フルート2(2番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2(2番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、シンバル、トライアングル、小太鼓、ハープ、ピアノ2、弦五部

参考文献:
音楽之友社編『最新名曲解説全集 補巻第1巻 交響曲 管弦楽曲 協奏曲』音楽之友社 1982年
NHK交響楽団編『N響名曲事典 第4巻』平凡社 1958年
松橋麻利『作曲家・人と作品-ドビュッシー』音楽之友社 2007年

このぺージのトップへ