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シベリウス:「カレリア」組曲

福田 順子(ヴィオラ)

 ジャン・シベリウス (1865−1957) はフィンランドの小都市ハーメンリンナで、スウェーデン語を母語とする家庭に生まれた。英才教育とは無縁ながら、シベリウスは子どもの頃から自発的にピアノやヴァイオリンに興味を示し、15歳の頃には偉大なヴァイオリニストになることを夢見ていた。また独学で作曲理論を身につけることにも熱心だった。
 親族に強力に説得されてヘルシンキ大学の法学部に籍を置くが、二足のわらじでヘルシンキ音楽院にも通い音楽の勉強に没頭する。その頃、友人であるアルマス・ヤーネフェルトの妹で、後に伴侶となるアイノ・ヤーネフェルトに出会う。フィンランド語を話す名門ヤーネフェルト家との交流は、シベリウスのフィンランド文化への芸術的な関心を引き起こすようになった。
 その後ベルリンやウィーンにも留学して多くのアカデミックな経験を積むが、ウィーンではウィーン・フィルのヴァイオリンのオーディションを受けて失敗し心の傷も負っている。しかし作曲活動が衰えることはなかった。
シベリウスが生まれる半世紀以上前、フィンランドは600年続いたスウェーデンの支配から帝政ロシアへの割譲により、フィンランド人が自国のアイデンティティを求める気運が高まっていた。
 特に、医師や教育者であったエリアス・リョンロートが編纂した民族叙事詩『カレワラ』は、カレリア地方に伝わるフィンランド独特の伝説や歌謡を収集して壮大な物語にまとめたもので、フィンランド人の民族アイデンティティの象徴として、帝政ロシアからの独立を導く原動力になった。
 シベリウスも『カレワラ』から多くのインスピレーションを受けて愛国的な作品を作曲し、フィンランド国民の支持と尊敬を集めた。
 シベリウスはスランプや借金、過度の飲酒癖に悩まされていたが、1897年からは政府の年金支給を受けて作曲に専念することができるようになった。1904年には妻の意向もあり、ヘルシンキの都会生活を離れ郊外のトゥースラ湖畔に転居し、以後の50年はそこで過ごしている。交響曲を始めとして海外での自作の演奏会を開き、大成功を収めた。
 主な創作活動は60代までだが、和暦に換算すると、慶応から明治、大正、昭和の戦後の時代までの91歳という長寿を全うした。

■「カレリア」組曲について
 カレリア地方はフィンランド南東部とロシア北西部に広がる森と湖の地である。叙事詩『カレワラ』にインスピレーションを受けていたシベリウスは、フィンランド人の魂のよりどころであるカレリア地方にアイノと新婚旅行に行くことにした。
 翌1893年、ヘルシンキ大学のカレリア南部のヴィープリ(現ロシア領ヴィボルグ)出身の学生有志から依頼を受けて、愛国的な歴史舞台劇「カレリア」の劇付随音楽を作曲する。その中から3曲を選んでコンサート用に改編したのが「カレリア」組曲である。同じく愛国的情熱に溢れる「フィンランディア」と並び、最もポピュラーな作品の1つとなっている。

間奏曲 Intermezzo
 弦楽器群の幾何学模様のようなパート譜を見ると驚くが、霧の中から目覚めるように響く金管楽器の旋律が魅力的な曲。

バラード Ballade
 劇では吟遊詩人が歌う場面。原曲ではバリトン独唱だったがコールアングレのソロで演奏される。

行進曲風に Alla marcia
 明るく親しみやすい行進曲で、コマーシャルなどでも使われているポピュラーな曲。

初演:劇の上演…1893年、組曲の初演…1894年 ヘルシンキにて
楽器編成:フルート2、ピッコロ1、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、 大太鼓、トライアングル、タンブリン、弦五部

参考文献:
神部智『作曲家・人と作品シリーズ シベリウス』音楽之友社 2017年

第251回演奏会(2020.10.18)パンフレット掲載

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