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チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲ニ長調

牧野 愛花(ヴァイオリン)


■チャイコフスキーの生涯
 チャイコフスキーは作曲家としては意外な経歴を持っているかもしれない。役人から転身、ペテルブルク音楽院卒業から突然の死までの短い作曲家人生のなかで、彼は交響曲、協奏曲、室内楽、バレエに歌劇…あらゆるジャンルで名曲を残した。
 有名曲の多さでは古今の作曲家の中でも指折りの大作曲家であり、クラシック音楽に馴染みのない者
でも耳にしたことのあるメロディが多いだろう。
 チャイコフスキーの生み出すあのロマンチックで甘美な旋律は、人々の感情を揺さぶり訴えかけてくるが、それゆえお涙頂戴で面白くないというクラシック愛好者も多い。
 しかし、チャイコフスキーの人生を知ると、小心者で不器用な人間チャイコフスキーが、正直に人間臭さを見せながらも、英知により作り上げた傑作たちの姿が見えてくる。


■音楽家への転身まで
 幼い頃より音楽に触れるが、当時のロシアは音楽家への理解が少ない時代。6歳の頃には数カ国語をマスターするなど聡明であったチャイコフスキーは10歳で法律学校へ入学し、官僚への道を歩む。しかし音楽への興味は深く、当時グリンカのオペラ「イヴァン・スサーニン」の上演を聴いて感銘を受け、友人への手紙で「やがて私は音楽家になるような気がする」と告げていたという。卒業後、役人の仕事に就くも馴染めず鬱々としていたとき、新しく創設された音楽院のことを知り、たまらず門を叩いたのであった。政治や宗教への見識も広く知識人でもあった彼が、音楽院で学び、ロシア5人組などさまざまな人間との交友を得ていった。卒業後はモスクワ音楽院に教師として就任、その年に交響曲第1番「冬の日の幻想」を完成させるなど、本格的に音楽家としての歩みを始めた。


■激動の狭間で
 今宵の演目でもある名曲、交響曲第4番やヴァイオリン協奏曲は、チャイコフスキーにとって激動の時期に生まれた。この頃、2人の女性との出会いがある。
 1人目は、彼の作曲家人生を語る上で外せない人物。チャイコフスキーの楽曲に感銘を受け、支援を申し出た未亡人、メック夫人である。1876年、彼が36歳の時であった。
 また、翌年にはつかの間の妻となったアントニナという女性と結婚。しかし、結婚生活は彼にとって全然合わないものであり、チャイコフスキーは絶望の淵、ついにはモスクワ川に投身自殺を思い立つまでだった。
 メック夫人からの援助によって経済的余裕ができた彼は教授としての仕事も辞め、結婚生活から逃れるべく旅に出る。チャイコフスキーは作曲に専念し、旅の最中に受けた刺激を最高の音楽に昇華させた。オペラ「エフゲニー・オネーギン」、交響曲第4番を完成させ、そしてすぐ続けて生み出したのが、ヴァイオリン協奏曲である。
 こうしてチャイコフスキーの活動は一気に飛躍していった。華々しい作曲家人生のように見えるが、チャイコフスキー自身は実に繊細で、孤独を愛していた。同性愛者であったらしいという話も最近ではよく知られている。晩年、メック夫人から援助の打ち切り通告があったが、彼女とは14年間に渡り手紙だけのプラトニック・ラブを貫いたともいわれ、生涯会うことはなかった。メック夫人との手紙は700通以上にわたり、チャイコフスキーを知る上で重要な資料ともなっている。
 1893年53歳で交響曲第6番「悲愴」を書き上げた後も彼はなお作曲への意欲をみせていたが、不慮の死により生涯に幕を閉じた。


■ヴァイオリン協奏曲
  数あるヴァイオリン協奏曲の中でも、チャイコフスキーらしいその堂々たる風格と哀愁に満ちた抒情的な旋律が存分に溢れるこの作品は、あらゆるヴァイオリニストが名演を残してきた。ヴァイオリン弾きとして、演奏の喜びが溢れんばかりにこみ上げてくる名曲であるが、最初の評価はそうでもなかったようである。
 チャイコフスキーが結婚生活から逃れ、ジュネーヴ湖畔のクラランにいたとき、作曲上の弟子であり、親しいヴァイオリニストでもあるコーテクがラロのスペイン協奏曲の楽譜を持ってくる。チャイコフスキーはこの曲に感銘を受け、創作中のピアノソナタを中断してヴァイオリン協奏曲を書き始めたという。そして着想からわずか11日でスケッチを終え、コーテクの意見を聞きながら作曲を進め、1ヶ月たらずで総譜を仕上げた。
 当時、ヴァイオリンの第一人者とされていたレオポルト・アウアーのもとに初演を依頼すべくこの曲を持っていくが、演奏不能と切り捨てられてしまう。そこへアドルフ・ブロツキーというヴァイオリニストが手を差し伸べることになる。彼による初演もかなりの酷評で、チャイコフスキーはかなりショックを受けるが、ブロツキーは当初よりこの曲の真価を見出しており、以降もこの曲を何度も取り上げて演奏した。後にアウアーも演奏するようになったという。こうして今でも愛されるヴァイオリン協奏曲としての名声を確立していくこととなった。

※譜例準備中
第1楽章 Allegro moderato – Moderato assai ニ長調
 第1ヴァイオリンによる穏やかな序奏で始まり、tuttiがこたえる(譜例1)。
 音楽がじわじわと動き出し、弦と木管が対話をしながら高揚し、再びオーケストラが静まったところに独奏のメロディが奏でられる(譜例2)。
 この冒頭のカデンツァ風の5小節は、ヴァイオリンの高低音域が惜しみなく使われ、これから始まる華やかな協奏曲に期待を抱かせる。情感溢れる主題やカデンツァが盛り込まれた第1楽章では、ヴァイオリンのさまざまな表情が存分に堪能できることだろう。


第2楽章 Canzonetta. Andante ト短調
 ふつふつと感情が見え隠れするような、もの哀しく、哀愁にみちた主題(譜例3)と、対してあたたかみをもった、明るく、感情の起伏が豊かな主題(譜例4)。交互に現れるこの2つの主題を、ヴァイオリンが豊かに歌いあげる。
 クラリネットが再び2楽章冒頭の旋律を示した後、切れ目なくフィナーレへと続いていく。

第3楽章 Finale. Allegro vivacissimo ニ長調
 民族舞踊の躍動感や華やかなテクニックを楽しめる最終楽章。突如始まるオーケストラが躍動を示すと、ヴァイオリンは堂々たるソロで応えた後、飛び跳ね踊るようなトレパーク風のリズムで駆け出してゆく(譜例5 第1主題)。
 やがて、これもまたロシアの舞曲風であるが、ゆったりとした第2主題が現れる(譜例6)。作曲の動機となったラロのスペイン協奏曲からの影響も大きく、民族的な表現や演奏効果に重きをおいて作曲をしたようである。
 2つの主題は絡み合いながら進展し、最後は第1主題をもとにエネルギッシュな盛り上がりを見せ、華やかに終わる。


初演: 1881年11月22日、ハンス・リヒター指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、アドルフ・ブロツキー独奏
楽器編成: フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部


参考文献
伊藤恵子『作曲家◎人と作品シリーズチャイコフスキー』音楽之友社 2005年
『作曲家別名曲解説ライブラリー チャイコフスキー』音楽之友社 1993年
園部四郎『チャイコフスキー 生涯と作品』音楽之友社 1960年

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