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ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」

内田 智子(ヴァイオリン)


 人々はアレクサンダー・ツェムリンスキー(1871-1942)の名前を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。シェーンベルクに似ている、あ るいは難解でつかみどころがないという印象を持つだろうか。その中でも比較的わかりやすいものを…というわけではないが、本日演奏するツェムリンスキーの交響詩『人魚姫』“DieSeejungfrau”は、名の通りハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)の童話『人魚姫』(Den lille Havfrue, 1837)をもとにしている。
この交響詩『人魚姫』は、ツェムリンスキーの没後に楽譜が長らく失われた状態であったが、1980年にウィーンで第1楽章が、第2楽章と第3楽章がワシントンで発見され、初演から実に80年後の1984年に、音楽学者のペーター・ギュルケの指揮により蘇演される。

第1楽章 「 海底/人間界の人魚姫、嵐、王子の救出」
     “Sehr mäßig bewegt”
 冒頭においては、コントラバス、ファゴット、テューバなどによって低く静かに奏されるイ短調の主音 A の保続音をベースに、これも低音部で、コントラバス、ハープの低音部、チェロによって、はじめは A-E の 5 度、それから A-Gの 7度まで上行するが、決してオクターブ上に届くことのない音階の繰り返し、それにジグザグに動きながら下降してくる、オーボエ、クラリネット、ハープによる音型がまざって、主要主題の背景を構成している。(譜例)。こうした音型と楽器の組み合わせは、海底での仄暗(ほのぐらい)水の動きを仔細に描いているかのようである。

第2楽章 「人魚姫の憧れ、海の魔女のもとで」
     "Sehr bewegt, rauschend"
 冒頭のシンバルのロールに続いて、管楽器の細かいトリルと弦楽器のトレモロの連なりによって巨大な音の奔流となり、その後、人魚の王子への憧れが叙情的で遊び心たっぷりに描かれる。

第3楽章 「人魚姫の最期」
     “Sehr gedehnt, mit schmerzvollem Ausdruck”
 人魚姫の苦悩と死、そして救いが描かれる。曲全体を支配するイ短調は、彼が手本として考えていたブラームスやロベルト・フックスの作品では憂鬱や孤独といった意味を与えられていることが多い。しかしその結末においては、突然の増4度転調によって、それまでの基盤となっていた陰鬱なイ短調の世界を脱し、音楽は最も遠い変ホ長調の世界へと飛翔していく。これはツェムリンスキーの、それまで自分の関わっていた内的・外的な世界を捨て、全く新しい可能性に向かって踏み出していく姿勢を感じさせなくもない。

 ツェムリンスキーは、裕福なユダヤ人一家の息子としてウィーンに生まれた。幼少期から音楽の才能を現し、13歳の若さでウィーン楽友協会音楽院に入学後、ピアノをブラームスの友人であるアントン・ドール、音楽理論をフランツ・クレンとロベルト・フックスの下で学んだ。また作曲をフックスの兄であるヨハン・ネポムク・フックスから本格的に学んでいる。弟子にはシェーンベルク、アルマ・シントラーがいた。
アルマとは師弟関係を超えた恋仲でもあったとされるが、のちにアルマはグスタフ・マーラーのもとへと去る。ツェムリンスキーが『人魚姫』の作曲にとりかかったのはマーラーの結婚式の翌年1902年である。
 初演は、ツェムリンスキーの弟子であり義弟でもあったアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)が、交響詩『ペレアスとメリザンド』を初演したのと同じ演奏会でおこなわれた。このとき、『ペレアスとメリザンド』は多くの批評家から厳しく批判されたものの、逆にいえばその個性が注目を集め、いわばスキャンダル的な印象を残した作品となった。一方『人魚姫』は、演奏会では一応肯定的に受け止められたものの、批評家の関心を強く引くことはなく、ツェムリンスキーは深く失望したという。多くの批評では、ツェムリンスキーの作曲の技術については高く評価しつつも、作品の内容や表現の個性については批判するかもしくは冷淡にあしらう態度が見られたとされ、この時にはすでに「伝統に根ざしたツェムリンスキーの折衷主義」と、「革命的天才シェーンベルク」という対比が形成されていたのである。

 作曲の動機は定かではない。その直前のシェーンベルクへの手紙で、ツェムリンスキーは「交響曲『死について(„Vom Tode“)』の準備」に触れている。のちにマーラーの妻となる弟子のアルマに密かに想いを寄せていたツェムリンスキーが、成就しえない片想いの気持ちを『人魚姫』に託したという推測は、あまりにも短絡的かもしれない。しかし、単に標題音楽、描写音楽を作曲することが彼の目的ではなく、アンデルセンの題材を借りて、人生の悲劇や死を抽象化して作品に残したかったのではないかと思う。
 曲中においては人魚姫の心理の様々な葛藤が象徴的に描かれており、世俗の粗暴な現実や、無味乾燥なアカデミズムの入り込む余地のない繊細な美が支配している。また無垢な純粋さとエロティックな激情の対比といった緊張が根底に内在しており、書法でいえばクリムトの絵画のように輪郭や背景が浸透して装飾的効果を発揮しているところが、ツェムリンスキーのテクスチュアの特色といえよう。
 ブラームスやマーラーに認められて世紀末ウィーンの楽壇に期待の新星としてデビューしたツェムリンスキーは、彼自身は創作面ではモダニズムの推進者の位置に立つことなく、伝統と前衛の狭間に立って伝統を活性化し、前衛の開拓地に潤いを与える役割を担った。
 その立ち位置のためか、ツェムリンスキーは生前も死後もしばしば「折衷主義者」の非難を浴びてきたが、保守と革新の対立の激しかった当時とすれば、特殊で困難な道を歩むことを選んだといえる。より先鋭的な響きを求めて調性から離れて行くべきか、音響の表現性の拡大、色彩性の濃淡の変化、情感・気分の陰影の豊かな表現が実現される方向を目指すべきか。結果的に彼は学んできた伝統的書法による後者の道を選んだ。生後100年余りを経て漸く再評価されてきたツェムリンスキーの、伝統と革新の共存が織りなす格別に美しい音楽をお楽しみいただければと思う。

初  演: 1905年1月25日 作曲者自身の指揮によりウィーンにて ウィーン演奏会協会管弦楽団

楽器編成: フルート4(ピッコロ2持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、Esクラリネット、バスクラリネット、ファゴット3、ホルン6、トランペット3、トロンボーン4、テューバ、ティンパニ、低音の鐘(テューブラーベル)、トライアングル、シンバル、グロッケンシュピール、ハープ2、弦五部

参考文献
石田一志『ツェムリンスキーを巡る環』音楽之友社 1992年
渡辺 護『ウィーン音楽文化史』音楽之友社 1989年
Die Seejungfrau: Fantasie in drei Sätzen /Critical Study
Score, Universal Edition AG, Wien, 1984
Otto Kolleritsch (Hg.): Alexander Zemlinsky. Tradition im
Umkreis der Wiener Schule, Universal Edition AG, 1976

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