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ベルリオーズ:幻想交響曲

川窪 敏之(ヴァイオリン)

村上 「ベルリオーズってむずかしくないですか?僕なんか聴いてると、ときどきわけがわかんないんですが」
小澤 「むずかしいっていうか、音楽がクレイジーだよね。わけのわからないところがある。だから、東洋人がやるには向いているかもしれない。こっちのやりたいことがやれるし。昔ローマで『ベンヴェヌート・チェッリーニ』っていうベルリオーズのオペラをやったんですよ。そのときなんか、もう何だって好きにやり放題できて、お客さんもそれで喜んでくれて」

 ご存知、小説家の村上春樹氏と指揮者の小澤征爾氏の対談の一節である。そう、本日演奏する「幻想交響曲」は、ベルリオーズの代表作にして、訳が分からない曲の「分かりやすい」例ではないだろうか。
 1827年、パリ。当時20代前半で未だ無名のベルリオーズは、イギリスから来たシェイクスピア劇団の「ハムレット」を観劇して感激。主演女優、ハリエット・スミスソンに一方的に恋をする。何通も恋文を送るが、返事は来ない。そこで「ロメオとジュリエット」のリハーサルを覗きに行くと、丁度、ジュリエットを演じる彼女がロメオに抱きかかえられる場面。気が動転した彼は、突然叫び声をあげて逃げ出す。怖れを感じた彼女は、彼からの手紙を受け取らないよう、小間使いに命じたのであった。

 「幻想交響曲」が作曲されたのは、失恋の傷も癒えぬ1830年、ベートーヴェンの死から3年後のこと。当時はベートーヴェンの音楽でさえ、斬新過ぎて受け容れられなかった時代。そのベートーヴェンを崇拝していたベルリオーズは、自らの失恋体験をもとに全く新しい交響曲を創り上げた。作曲者自身、次のようにこの曲を解説している。

交響曲のプログラム
 病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋に絶望し、発作的にアヘンによる服毒自殺を図る。麻薬は致死量に達せず、彼は重苦しい眠りの中で奇怪な幻想を見る。夢の中で、感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳に音楽的な映像となって現れる。愛する人が一つの旋律となり、固定観念のように現れ、付きまとう。

第1楽章 夢─情熱
 彼はまず、漠とした不安や情熱、理由のない喜びや憂鬱を思い起こす。次いで、彼女によって点火された、燃えるような恋心、ほとんど狂気に近い苦悩、再び取り戻した優しさ、宗教的な慰めを思い起こす。
第2楽章 舞踏会
 舞踏会の華やかなざわめきのなかで、彼は愛する女性の姿を再び見る。
第3楽章 野の情景
 夏のある夕暮れに、彼は二人の牧童が吹く牧笛を聴く。静かな自然のたたずまい。そよ風に樹々がささやき、未来への明るい希望が膨らむ。しかし、再び彼女の姿が浮かび、彼は不吉な予感におののく。もし、彼女に捨てられたら…。再び牧笛が聞こえてくるが、もう一人の牧童はそれに応えない。日没、遠雷、孤独、そして静寂…。
第4楽章 断頭台への行進
 嫉妬に狂った彼は、愛する女性を殺し、死刑を宣告されて断頭台に連れて行かれる夢を見る。その行列の行進曲は、時に陰鬱で荒々しく、時に輝かしく荘重に響く。固定観念が一瞬現れるが、それはあたかも最後の愛の追憶の如く、ギロチンの一撃によって断ち切られる。
第5楽章 魔女の夜宴の夢
 彼は夢で魔女の宴のなかに居り、彼を弔うために集まって来た妖怪たちに囲まれている。奇怪な音、うめき声、けたたましい笑い声。その時、固定観念が現れるが、それはかつての気品を失い、野卑でグロテスクな舞曲となっている。彼女が、魔女となって現れたのだ。歓迎の叫び、弔鐘、『怒りの日』の下賤なパロディー、魔女のロンドが続き、最後は、『怒りの日』とロンドとが同時に奏されて熱狂する。

 さて、二人の運命や如何に。ハリエットは「幻想交響曲」の初演を聴くことはなかったものの、その後の再演を偶然聴きに訪れ、自分が主題と知って動揺。これを機にベルリオーズとの交際が始まり、やがて結婚、長男ルイが誕生する。しかし、幸せは長くは続かない。「出逢った頃の妻は、食べたくなるほど可愛かった。あれから40年!あん時、食べておけば良かった(綾小路きみまろ)」どころか4年で亀裂が入り、程なく別居。彼女は脳卒中に倒れ、死別する。ベルリオーズは別の女性と再婚するが、再婚相手や長男ルイにも先立たれ、晩年は孤独だったという。
 彼は生活のため、音楽評論の仕事をたくさん引き受けた。いずれも、きみまろ顔負けの、皮肉や毒舌に満ちた文章である。例えば、アマチュア音楽家については、こんなことを書き残している。
 「私は、アマチュアを全くもって信用していなかった。アマチュアのオーケストラは最悪に違いなかったし、実際そうだった」(小話集『音楽のグロテスク』より)
 うぅん、何とまあ、身も蓋も無い!
 さて、本日の演奏である。天国のベルリオーズに一矢報いるべく、我ら東洋人、小澤征爾氏の言葉を頼りに、矢崎氏のタクトの下「好きにやり放題」やって、お客様に喜んでいただきたい。

初  演:1830年12月5日、パリ音楽院のホールにて

楽器編成: フルート(2番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、バンダオーボエ、クラリネット2、Esクラリネット、ファゴット4、ホルン4、トランペット2、ピストン付コルネット2、トロンボーン3、オフィクレイド(テューバ)2、ティンパニ(奏者4人)、シンバル、大太鼓、小太鼓、鐘、ハープ2、弦五部

主要参考文献
 『ベルリオーズ回想録』ベルリオーズ(丹治 恆次郎訳) 白水社1981年
 『音楽のグロテスク』ベルリオーズ(森 佳子訳) 青弓社2007年
 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』 小澤征爾/村上春樹 新潮社2011年
 『失敗は、顔だけで十分です。』綾小路きみまろ PHP研究所2006年

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