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ポール・デュカス:バレエ音楽「ラ・ペリ」

吉田 仁美(フルート)

 『魔法使いの弟子』で有名なポール・デュカス(1865-1935)による『ラ・ペリ』は、ペルシャ神話のペリ(仙女)とイスカンデル(アレキサンダー大王)が、不死の花をめぐって繰り広げる「一幕の舞踊詩」であり、決して叶うことのない〈不死への希求〉と〈女性への恋〉が主題となっている。
 デュカスが70年の生涯で残したのは、わずか10数曲。45歳のときに作曲した『ラ・ペリ』は、事実上最後の大作である。音楽批評家としても筆をふるったデュカスは、厳しい自己批判精神の持ち主であり、晩年には70曲余りの未完成曲と未発表曲を破棄している。そんな完璧主義者が、『ラ・ペリ』の作曲に向かうだけでなく、曲を完成させ、公演まで実現させた傍らには、あるバレリーナの存在があった。

ナターシャ・トゥルハノヴァとの約束
 「最近作った曲を聴いてくれないか。賭けに負け
て、書くと約束してしまったんだよ。きみに駄作と
言われれば、この譜面も捨ててしまうがね」
 1910 ~ 1911年冬のある日、デュカスは音楽批評家のピエール・ラロを訪ねてそう言った。そして聴かせたのが『ラ・ペリ』であり、「約束」の相手というのが、バレリーナのナターシャ・トゥルハノヴァであった。
 トゥルハノヴァは1885年キエフ生まれ。モスクワのコンセルヴァトワールの朗読のクラスで3年間首席となるも、喉の病気によりバレエの道へ進む。1907年にパリへ渡り、1911年からはバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演に出演する傍ら、独自のバレエ・コンサートを開催しており、デュカスはその初期から協力していた。
 美貌と教養を兼ね備えたトゥルハノヴァをデュカスは「大天使」と呼び、彼女のために『ラ・ペリ』を作曲した。その証拠に、楽譜出版社への譲渡契約書には、トゥルハノヴァに5年間の独占権を与える旨が明記されている。デュカスにとって『ラ・ペリ』はトゥルハノヴァと切り離せない曲であった。それゆえ、初演までは困難な道をたどることになる。

実現しなかったバレエ・リュス公演
 1909年の旗揚げからパリで一大旋風を巻き起こしていたバレエ・リュス。その興行師セルジュ・ディアギレフと新進のダンサーであったワツラフ・ニジンスキーは、1911年3月に『ラ・ペリ』を聴いて気に入り、同年6月のパリ公演のプログラムに加えることに決めた。
 しかし、この計画は契約の段階から難航する。ディアギレフは『ラ・ペリ』を世界中で公演する権利を求め、振付のミハイル・フォーキンはトゥルハノヴァに主役は務まらないと主張したのだ。デュカスがこれを受け入れるはずがない。両者間で条件提示が果てしなく続いた。
 結局、レオン・バクストよる衣装デザインの他には何も決まっていない状態で、オーケストラ・リハーサル初日を迎えた。既に本番5日前。舞台袖で待ちくたびれたトゥルハノヴァを見て、デュカスはバレエ・リュス公演での『ラ・ペリ』の初演を撤回する。

トゥルハノヴァ主宰バレエ・コンサートの成功
 バレエ・リュスでの不遇から数ヵ月後、デュカスの後押しもあり、トゥルハノヴァは同時代のフランス音楽による自身主演のバレエ・コンサートを企画する。曲目は、ヴァンサン・ダンディ『イスタール』、フローラン・シュミット『サロメの悲劇』、デュカス『ラ・ペリ』、モーリス・ラヴェル『アデライド、または花言葉』(『高雅で感傷的なワルツ』の管弦楽版)。これらを作曲家自身が指揮し、衣装と舞台装置は曲ごとに異なるフランスの美術家が担うという、これまでにない独自の試みである。
 年明けから綿密な準備が行われた。演出はジャック・ルーシェ、振付はイヴァン・クリュスティーヌ、衣装と舞台装置はルネ・ピオ、イスカンデル役はアルフレッド・ベケフィ。デュカスの詩と一体となった総合芸術を目指したトゥルハノヴァは、彼らと頻繁に連絡を取り合った。本番3週間前には稽古が開始され、オーケストラ・リハーサルの回数は17回に及んだ。
 1912年4月22日、満席のシャトレ座で初演を迎え、2回から4回に増やされた公演の後には連日拍手が鳴りやまず、新聞・雑誌でも絶賛された。4つの演目の前には各作曲家がこの公演のために作曲したファンファーレが演奏されたが、デュカスの輝かしいファンファーレは、今日では本編よりも耳にする機会が多い。

 もし『ラ・ペリ』がバレエ・リュスのレパートリーとなっていれば、ファンファーレだけではなく本編も有名になっていたかもしれないが、世俗的な成功を嫌ったデュカスは、そんなことは考えもしないだろう。むしろ、ディアギレフが革新性を求めたのに対し、フランスの伝統を受け継いだ公演を実現させたことに、満足していたのではないだろうか。本日は、バレエ・リュスの輝かしい歴史の陰に隠れながらも、デュカスとトゥルハノヴァが確かに栄光に輝いた、1912年4月22日シャトレ座の夜に思いをはせて演奏したい。

あらすじ:
 イスカンデルは、不死の花を求めてイランの地をさまよい歩いている。ついに地の果てにたどり着き、仙女が不死の花を持って眠っているのを見つける。イスカンデルはそっとその花をとるが、仙女は目を覚ましてしまう。イスカンデルは美しい仙女に恋をする。仙女は花を取り戻すために、踊りながら次第にイスカンデルに近づく。顔と顔が触れるほどに近づくと、イスカンデルは惜しむことなく花を返す。仙女は光の中に消える。イスカンデルは闇に包まれ、自分の最期の時が近づいたのを知る。

初  演: 1912年4月22日、パリ、シャトレ座、デュカス指揮、ラムルー管弦楽団

楽器編成: ピッコロ、フルート2、オ-ボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、タンブリン、小太鼓、木琴、チェレスタ、ハープ2、弦五部

主要参考文献
 『最新名曲解説全集 第5巻 管弦楽曲Ⅱ』 音楽之友社 1980年
 『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代(上)』 リチャード・バックル(鈴木 晶訳)リブロポート社 1983年
  Simon-Pierre Perret/Marie-Laure Ragot, Paul Dukas ,Fayard, 2007
  Helen Julia Minors, La Péri, poème dansé (1911-12):
A Problematic Creative-Collaborative Journey, DanceResearch, Volume 27 Issue 2, Edinburgh University Press, 2009
 http://dx.doi.org/10.3366/E0264287509000309

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