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創立60周年特別インタビュー飯守泰次郎氏にきく

 飯守先生は1993年4月の初共演から数えて23年の長きにわたり、新響をご指導くださいました。今回の演奏会は2年ぶりの共演となります。2014年からは新国立劇場のオペラ芸術監督に就任されご多忙を極める中、これまでの新響との思い出や今回の演目について、また指揮者とオーケストラの関係など、大いに語っていただきました。


■これまでの23年を振り返って
~飯守先生とのおつきあいは長く自主演奏会では24回、そのほかにも芥川先生没後10年の時には埼玉県松まつぶしまち伏町の田園ホール・エローラや上野の奏楽堂など、芥川先生ゆかりのホールで、振っていただきました。


飯守 芥川作品のCD録音もありましたね。
 新響とのプログラムはやはりドイツ・ロマン派が多いですが、時々ドビュッシーやサン=サーンスなどのフランス物や、スクリャービンも取り上げました。ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第7番」は素晴らしかったですね。
 
~その時、その時代を反映したプログラムになっていると思います。先生との最初の演奏会は1993年、曲目は「ローエングリン」第一幕への前奏曲、「タンホイザー」序曲、ブルックナーの交響曲第4番でしたね。


飯守 驚きましたよ。こんなに優秀なアマチュア・オーケストラが世の中に存在するのかと。それまで私はアマチュアを指揮したことはあまり無かったのです。大学のオケを振ったことはあったのですが。しかも新響はその後もさらに立派に発展していきました。


~当時は海外にいらっしゃったのですよね。


飯守 まだオランダにいて、日本と行ったり来たりしていました。国内の仕事の日程調整がどうにも難しくなり、帰国したのが1997年です。


~あらためて振り返ると新響の節目、例えば創立40周年や50周年など我々の記憶に残る演奏会には必ず先生がいらして、気がついたら今年で創立60周年。特にワーグナーとブルックナーは何度も取り上げていますが。


飯守 ワーグナーとブルックナー、そしてブラームスが多いですね。ワーグナーから始めたのは、1972年に二期会で私が「ワルキューレ」の日本人初演を指揮し、高い評価をいただいたのがきっかけかもしれません。それまで私はずっとヨーロッパに行ったきりで、日本ではあまり知られていなかったのです。「ワルキューレ」以降、日本でワーグナーを依頼されるようになりました。
 だから新響との初共演も、そのご縁だと思います。でもオペラの経験のない新響がワーグナーをいきなり始めるのは難しいから、同じ後期ロマン派で響きが共通しているブルックナーも取り上げましょうとか、そんな話の流れになったのだと思います。ブルックナーならまず4番から、ということでしょうか。意外にもその次にいきなり8番に挑戦しましたね(笑)。それ以来、新響には非常に良い印象があります。


~今までを振り返ってみて、先生が特に思い出に残る演奏会はありますか。


飯守 やはり、オール芥川プログラム(第166回演奏会「芥川也寸志没後10年」)ですね。特にサントリーホールでのアンコールで「赤穂浪士」を演奏し始めた時、もうそこに明らかに芥川先生がいらっしゃるという気配に圧倒されました。これ以上私が棒を振る必要はない、でも曲の途中でいなくなるわけにもいかず指揮台でほとんど指揮をしないで、新響の演奏に聴き入っていたことが思い出されます。それから「ワルキューレ」第1幕全曲(第151回演奏会・創立40周年記念シリーズ1)や、「トリスタンとイゾルデ」(第195回演奏会・創立50周年シリーズ・4)ですね。ともに忘れ得ない名演でした。


~ワーグナーの思い出として最初に浮かぶのは、とにかく音程が大変だったことです。


飯守 私も「トリスタンとイゾルデ」の時は、ゲネプロまで頭を抱えたことは覚えています。でも本番は非常に良かった。なぜ本番まで集中できなかったのか、それが今もまったく分からないのです(笑)。とにかく本番が素晴らしい演奏でした。奇跡が起きたのですね。


■別宮貞雄の思い出
~今日の初練習での別宮貞雄「管弦楽のための二つの祈り」第2楽章冒頭で、先生が一言おっしゃっただけで今までとはまったく違う音がしたので驚きました。別宮先生にお目にかかったことはありますか。


飯守 別宮先生はよく存じ上げています。あの方はとても感覚的で情感が豊かで、年を重ねてさらに自然体になられたように思います。この「二つの祈り」は、若い頃の作品だからかもしれませんが、一生懸命作ったという感じがしますね。


~「二つの祈り」を芥川先生の指揮で演奏した時、別宮先生はしょっちゅう練習に来てくださいました。あと新響の演奏会もよく聴きに来てくださった。大柄でしたが、あまり自分からお話しされるような方ではなかったですね。


飯守 「二つの祈り」は別宮先生の作品の中では構成を重視した曲だと思います。第1楽章は彼らしい情感が溢れていますが、第2楽章は努力して書いた印象を受けますね。「二つの祈り」は、別宮先生のやや理屈っぽい一面かもしれません。後期になるとロマンティックな作風に変わっていきます。もうひとつ特に別宮先生らしいところといえば、作品の中に必ず三和音が存在することでしょうか。
 演奏する側が、どれだけ別宮作品らしい感覚的な面を表現できるかが課題だと思います。


~単なる堅い曲にならないようにしないといけませんね。アクセントなどもそこに書いてあるから強く演奏するのではなく、感覚で必要性を感じなければと今日の練習で思いました。


飯守 まさにその通りです。


■マーラーの音楽の内容と心の奥底に迫る
~先生とマーラーの交響作品を取り上げるのは、5番、大地の歌、1番に続いて4回目です。マーラーを演奏する上で、どのようなアプローチをしていけばよいでしょうか。


飯守 やはりマーラーという人間のパーソナルな特徴を掴むことが不可欠です。
 ワーグナーやブルックナーなどを演奏する時は、彼らの残した曲を立派に作り上げたいと考えますが、マーラーの場合は、作品の背後にある心理学的な内容を表現したいと思っています。そうでないとマーラーらしくならず、ただ難しいだけの曲で終ってしまいます。その意味ではワーグナーの方が、楽譜をすべて忠実に指定どおり演奏すれば、作曲家の意図した表現が実現できるように書かれています。それが、ワーグナーの書き方の素晴らしいところなのです。


~演奏すること自体がとても難しいですけどね。


飯守 もちろんワーグナーもマーラーも、極めて高い演奏技術が求められるのは当然のことです。特にマーラーはウィーンで、いつも楽員や劇場と衝突していて、この先は私の勝手な想像ですが、彼の作品の中にはオーケストラの特定の楽員を思い浮かべて、その奏者が吹けそうにない難しいパッセージを書いた部分があるのでは、と思えて仕方がない部分があるのです(笑)。トロンボーンやホルン、トランペットなど、奏者にとっては大変な技術的要求がありますね。
 話を戻すと、ワーグナーは音楽が人間の心に与える影響を知り尽くしていました。調性と和音(ハーモニー)、上行や下行や跳躍といった音型、オーケストレーションなど、ドイツ音楽の法則を見事に駆使して、聴く人の心を操作するのです。たとえば「ワルキューレの騎行」を聴けば天馬に乗って空を飛び回っているような気分になるし、「ジークフリートの葬送行進曲」なら誰が聴いても葬送の情景が目に浮かぶわけです。


~かたやマーラーの場合は、楽譜どおりに演奏できたとしてもだめだということですね。


飯守 そうなのです。大変優れた指揮者でもあった彼は、楽譜にこと細かに指示を書いていますが、それをきちんとやるだけでは足りないのです。昨今、どこのオーケストラも競うようにマーラーを取り上げますし、見事な演奏はたくさんあります。マーラーのスコアを正確に演奏すればサウンドだけは立派に鳴るのです。しかしそれでは、彼の音楽の内容や心の奥底を表現するには至らないのです。
 同じ後期ロマン派の作曲家であるブルックナーも、立派な演奏はたくさんあります。しかし、教会のオルガニストを長く務め、信仰が極めて厚かったブルックナーの音楽の本質的な部分である宗教性の表現が、欠落していることが多いと思います。たとえばブルックナーにはアーメン終止(注)がよく出てくるのも、教会(カテドラル)の巨大な空間を思わせるのも、彼の音楽の宗教性であって、その理解なしにスコア通りサウンドだけ鳴らしてもブルックナーにはなりません。
 話がそれますが、交響曲の歴史がハイドン、モーツァルトから始まった頃は、古典的な精神に基づく純粋音楽、つまり音楽それのみで成り立つ純粋で抽象的な音楽でした。そこに、やがてはワーグナーに至る劇的な要素を持ち込んだのは、やはりベートーヴェンです。あくまで私個人の考えですが、極端にいえばベートーヴェンが音楽に最初の「毒」を持ち込んだのです。交響曲第3番「英雄(エロイカ)」冒頭の2発の和音が、私には「ハイドン!」「モーツァルト!」と聴こえることがあります。この2つの和音は、それまでの交響曲の概念をすべて覆した、ベートーヴェンによる歴史な変革だと思うのです。
 交響曲の世界から逸脱して劇音楽の方に進んだ後期ロマン派の頂点がワーグナーです。対照的に、同じ後期ロマン派で、響きにおいてはワーグナーと大変共通性のあるブルックナーは、古典派からシューベルトを経由した純粋音楽の最後の作曲家だと思います。
 マーラーはブルックナーの弟子で、師と同様に交響曲を書き続けましたが、表現は極めて劇的で、音楽の内容も徹頭徹尾、心理学的な方向を追求し、人間の病的な心理の奥まで到達しています。指揮者で精神科医でもあったシノーポリが指摘していることですが、そもそもマーラーの音楽の形式と内容に大きな矛盾があるのです。あまりに心理学的で緻密な内容を交響曲の形式に無理して詰め込んだので、「もはやマーラーにおけるソナタ形式は残骸に過ぎない」というシノーポリの指摘は非常に的を射ています。また、アドルノは「ソナタなどの音楽形式は本来は内容を増幅し助けるものだが、マーラーの場合は、形式と内容の矛盾のために、しばしば爆発的な破綻を来たす」といいます。マーラーの音楽によく出てくる、唐突と思われるくらいの急激な変化は、まさに西洋音楽の伝統的な形式が破綻して起きた爆発であり、そこにマーラーの難しさがあるのです。


~マーラーは表現しにくいということですか。


飯守 そうですね。若い頃「子供の不思議な角笛」などのオーケストラ歌曲を多く書いていて、本質的には歌曲の作曲家でありながら、どうしても交響曲を作曲すべきだと考えたことは、彼の大きな矛盾です。
 非常に大切なことは、マーラーは数多くの重大な矛盾を抱えた作曲家であるということです。彼は、ボヘミア生まれのユダヤ人で、ドイツ語を話す、ここにすでに矛盾があります。そしてウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の総監督のポストを手に入れるために、ユダヤ人でありながらキリスト教に改宗しました。さらに、非凡な指揮者としてのキャリアと作曲家としての創作の間で苦しみました。時代に先駆けて音楽の歴史を変えてやろうという強い意志やポストへの野心の一方で、子供のように純粋で過敏ともいえる感性を持ち続けました。散歩を好みいつも自然を渇望しながら、キャリアのために大都会ウィーンに身を置かなければなりませんでした。彼の生涯は矛盾に満ちているのです。


~そういったマーラーの矛盾を演奏に出していくということが重要ですね。


飯守 そう、極めてデリケートで繊細な精神的内容を持った彼の音楽には、小手先ではとても到達できないのです。マーラーの作品世界に身を投じる勇気が求められ、極端にいえば「共に病む」ような覚悟が必要になるのです(笑)。もしマーラーその人が実際にここにいたら、皆逃げ出してしまうのではないかと思いますね。絶対に友人にはなりたくないような彼の人柄を理解して演奏しなければなりません。
 交響曲第1番のような初期においては、まだマーラーも少なからず健康でありたいと願っていたと思います。しかし第1番から、精神的で芸術的にも高度な内容と、一方で極めて世俗的な人間の素の部分が共存していて、これも彼の矛盾のひとつですね。途中でチンドン屋みたいな音楽が出てくるでしょう。


~確かに、マーラーの作品にはよく入ってますよね、チンドン屋みたいな音楽が。子供の頃に聴いたのでしょうか。


飯守 近くの兵営の軍楽隊の音を聴いて育ったようですね。幼児体験は、彼の生涯に渡って強烈な影響を残していると思います。行進曲が出てくるといっても、マーラーの作品の中ではほとんどが葬送行進曲です。


~今回の第2番の第1楽章にも行進がありますね。


飯守 そう、あれも死を象徴する調性ともいえるハ短調(c-moll)です。病的なほど繊細といえばシューマンも同じですが、シューマンは常に救われたいという思いを抱えて苦しんだのに対し、マーラーは、もはや救われたいとも思わなかったのです。


~「大地の歌」を先生に振っていただいた時に、最終楽章で「これは不整脈です」とおっしゃったところがあって、とても印象に残っています。それ以来、普通に脈打っている人が考える音楽ではないと思います。


飯守 彼の作品の背景には、妻のアルマとの関係がうまくいっていなかったことによる苦悩も、やはりあるでしょう。彼女は日記に、夫が仕事から帰ってくる足音が聞こえるだけでぞっとする、と書いています。アルマ・マーラーは美しく、誰からもちやほやされて、作曲の才能にも恵まれていましたが、マーラーとは性格が合わなかったのです。もちろんマーラーと彼女が結婚したことは素晴らしいし、双方にとってよいことだったとは思いますが、男性が放っておけない女性だったので、マーラーの死後、次から次へと恋人や夫ができましたね(笑)。


~マーラーと結婚している時でさえ建築家のヴァルター・グロピウスと三角関係に陥って、彼はおかしくなってしまいましたよね。


飯守 アルマの浮気が発覚してマーラーは気が転倒し、すべての練習をキャンセルして精神科医のフロイトのところへ行って、夫婦の危機を訴えたようですね。フロイトに「いったい誰が苦しいのか考えたことがあるのか。奥さんの方が辛いことが、あなたには分からないのか」と図星をさされてしまったのです。


~そのせいで交響曲第10番が完成しなかった。音楽界には大きな損失ですね。


飯守 あのアダージョに続く楽章が完成していれば、と考えると、たしかに惜しいですね。
 今回演奏する交響曲第2番「復活」は、そこまで精神的な苦悩を深める前のマーラーの哲学が非常に力強く前面に打ち出されています。人間がこの世の中で何のために生きるか、という問題が、彼の作品の中でもこの曲で一番肯定的に前面に打ち出されているのです。冒頭はきわめて悲劇的に始まりますが、非常に肯定的に終曲を閉じます。
 あるときマーラーと友人が気楽な食事中に「死」が話題になり、友人が「そのときは自分は存在していない」と言った途端、マーラーはコップをテーブルに叩き付け「何と軽はずみなことを言うのだ、私たちは蘇り、死は克服されるのだ」と激高したそうです。マーラーが一番こだわっていたのが「死」であり、死がすべてを征服するかのように言われるがそうではなく死こそ征服されるのだ、という考えに彼は集中していたのです。


■指揮者とオーケストラの関係
~今日の初練習であらためて感じられたことはありますか。


飯守 総じてオーケストラ全体が立派になっていると思います。それがとても嬉しかった。ただ、リハーサルで出す最初の音、最初のフレーズに、奏者の具体的な表現に現れてくるべきイメージと意思が足りません。音を出してからではなく、出す前に、その音に対する意思とイメージが存在するべきなのです。


~今日は2年ぶりの初回練習ということで、全員がとても緊張していたと思います。


飯守 でも新響は、やはり組織が非常にしっかりしていて、それが皆さんの「音楽が好き」という心に支えられているところが素晴らしいと思いますね。


~最初に先生がいらした時と比べると、団員の半分以上は変わっていると思います。ただし昔からの団員もそれなりに残っていますので、年齢層が広くバランスよく揃っていると思います。


飯守 若い人と、新響の歴史を経験してきた人が一緒というのは、とても良いことですよ。
 皆さんは、バレンボイム指揮のブルックナー交響曲の全ツィクルス曲演奏会は聴かれましたか。


~ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ)の日本公演ですよね。


飯守 私は全曲聴きたくても日程が合わず、第8番の1回しか行けませんでしたが、大変素晴らしかったですね。バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンは、1992年から23年間、一緒に仕事をしています。指揮者とオーケストラとの間で長年かけて培われた確固たる信頼関係から生まれる阿吽の呼吸とでもいうか、失われつつあるヨーロッパの伝統が、バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンにはまだ残っているのです。彼らの演奏するブルックナーからは、まるで魔法のような音、はっとさせられるような音、ふだん聴けないような音が聴こえてくるのです。これこそがブルックナーの響きであり、長い年月をかけて熟成させた信頼関係から生まれた、オーケストラとして最高の響きというべきでしょう。


~バレンボイムとシュターツカペレの信頼関係ですが、長い間には当然メンバーも変わっているでしょうし、もちろん古株の方も残っている。やはり自分たちのオケはこうなんだという姿勢が大事ですよね。


飯守 オーケストラは生身の人間の集まりですから、物事がすいすいと、うまく進むわけがありません。長年同じオーケストラにいれば不満も出てくるし、摩擦も起きます。バレンボイムとシュターツカペレの演奏は完壁でしたが、それでも思うようにいかない事は多々あるはずです。それを乗り越えて、あの境地に到達したのです。
 プロのオーケストラや劇場の事務局には、指揮者とオーケストラの間に入って調整する、いわゆるインテンダントがいます。指揮者対オーケストラという対立構図を作るのではなく、オケ全体のメリットを考え、調整する視点が不可欠なのです。新響では奏者である皆さんが運営もしているのは大変だと思いますが、問題解決にあたってはとても厳しい一面と、けっこう気楽にやっていく一面、この二つの兼ね合いが大切だと思います。


~最後に、これからの新響に向けてのメッセージをお願いいたします。


飯守 新響は、アマチュア・オーケストラの中でも特別に長い素晴らしい歴史をすでに持っています。特に、山田一雄先生とマーラーの全交響曲を演奏したことは、皆さんの誇りだと思います。これほどの活動をこれからも維持するだけでも大変なことだと思いますが、創立60周年という大きな節目に、邦人作品である別宮作品とマーラー、しかも「復活」という巨大な作品を選んだことは、新響がその名の通りこれからも「新しい響き」を求めてさらに発展していきたい、という決意の表れであると感じられます。
 「復活」は、マーラーの中でも最大級の作品で、2人のソリスト、巨大編成のオーケストラ、大人数の合唱団が、総力を結集しなければなりません。60周年にふさわしい演奏ができるよう、私も皆さんと力を合わせたいと思い ます。


~先生と新響も強固な信頼関係を築けたら、と思います。今日はありがとうございました。


注)アーメン終止IVの和音(ファ・ラ・ド)などからIの和音(ド・ミ・ソ)に移行して終止するもの。賛美歌の最後の「アーメン」がこの和音で歌われることが多いことから、この名がある。飯守先生による補足:もう一つ「ドレスデン・アーメン」と呼ばれる、少し長めで、上行形で終わるものがいくつかある。特にマーラーの「復活」では、この「ドレスデン・アーメン」の音型が多く現れる。


2016年2月21日
聴き手:土田恭四郎(テューバ)
まとめ・編集:藤井泉(ピアノ)

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