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別宮貞雄:管弦楽のための二つの祈り

土田 恭四郎(テューバ)

 別宮貞雄(1922~2012年)は、前衛的な語法による音楽創作が主流の時代に、端正な古典主義的美学感を確立、調性と旋法に依拠した明快な旋律と抒情性を重んじる創作姿勢を貫いた作曲家で音楽言論人であった。日本の作曲家による音楽団体「日本現代音楽協会」では、書記長(現事務局長職)と委員長(現会長職)として活躍、また桐朋学園大学教授、中央大学文学部教授を歴任した。
 学生時代から音楽を嗜みつつ物理学や美学を専攻する英才であり、感覚だけではない論理性と楽理を背景に、古典の持つ明快な構築性と、歌や旋律の持つ豊かな抒情性を融合した作風を確立するに至った。基本的にはディアトニック(Diatonic)で3度音程を基軸にする和音が好んで使用されている。


物理学と音楽
 物理学という自然科学畑から出発したからこそ、理屈により全てを概念的観念的に数え上げてそれを音楽にする、というのではなく、音楽は心の問題であり、人間の認知能力の範囲で現在の自分を表現したものとする信念が感じられる。


 東京に生まれ、幼少より物理学を志望、旧制第一高等学校から東京帝国大学(現東京大学)理学部物理学科で理論物理学を専攻し1946年卒業した。当時の物理学科では、学部3年卒業は試験官の前で卒業研究の口頭発表だったが、テーマは「相対性理論」とのこと。
 1947年に文学部哲学科(のちに美学科が設立)に再入学、エルンスト・クルトのベートーヴェン研究「ロマンティッシュ・ハーモニー」を研究し、1950年「ベートーヴェン様式による浪漫的なるもの」という論文をだしている。
 音楽への興味は高等学校在籍時から趣味として嗜みが深まり、大学に入るころ、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」(Tonio Kröger)から芸術における手仕事の重要性を知り、まずは音楽理論をしっかりと学ぶべく池内友次郎に師事、和声法と対位法を学ぶ。大学在学中から作品を発表し続け、「毎日音楽コンクール作曲部門」にて1946年より3年連続入賞している。
 東京大学文学部美学科卒業後、1951年にパリ国立高等音楽院でフェーグ科(フーガ、追走曲科)と作曲科に入学、ここでの3年にわたる留学で、ダリウス・ミヨーとオリヴィエ・メシアンに学び、職人的技術としての作曲技法の習熟と、音楽観や歴史観で大きな影響を受けた。ミヨーの作曲科には外国人枠で空席が一つしかなく、シュトックハウゼンと争ってその席を勝ち取ったという逸話がある。
 作品は多岐にわたり、歌曲、ピアノ曲、室内楽、オペラ、演劇の付随音楽、交響曲5曲を含む管弦楽、映画音楽や演劇付随音楽などを残している。筆者は昨年集中的に実演に接する機会があった。「二つのロンデル」(1951年)として書かれた「雨と風」「さくら横ちょう」。ことに「さくら横ちょう」は、中田喜直も同時に付曲しており、各々ポピュラーな歌として日本的な心象を鮮やかに表現している。「ピアノのためのソナチネ」(1965年)もピアノの特性を発揮した秀逸な小品で、狂言に題材をとった「三人の女達の物語」(1964年)にはすぐれた劇場感覚が感じられる。東宝特撮ホラー映画「マタンゴ」(1963年)の音楽を手掛けていたことも注目したい。


洋楽と邦楽
 能・狂言の世界に関心を示し始めた西洋音楽の作曲家として、別宮貞雄は、高度に完成された芸に対する畏敬の念を持っているからこそ、単純にこれを洋楽と結び付けることはしなかった。そもそも洋楽と邦楽とは本質的に離れたもので、具体的には西洋近代音楽はポリフォニーとしての構築性を獲得するため、邦楽の持つ微妙な音程と音色の操作という要素を犠牲にしてきた。
 このため両者を無理に融合させようとすることは困難で、筋の立った仕方で結びつけ、かつ構造性を追求するのであれば、他の一面をあきらめるのが根本的態度、と強調しているところは興味深い。


カトリックと音楽
 東京大学文学部に再入学後に受洗している。パスカルの「瞑想録」(Pensées)で、神の存在もまたその不存在も証明できない、しかしそのどちらかを仮定してそれに賭けて生きる方がいいのではないかという文書に出会ったことがきっかけであった。世界は数理的な秩序に支配されていると信じられている傾向があるが、そのことが解明されてわかること自体が人間にとっては一番不思議であり、一方で自己の存在と自由意思を持った我を信じていることは錯覚ではなく矛盾がある。このことを納得するためには、自分にとっては神の存在を認めることが一番よいと判断した。と明確に論じている。物理学と哲学、そして音楽創作を極めていく上での意思と理性が投影されている。


そして「二つの祈り」
 新交響楽団は、第99回演奏会『日本の交響作品展7 青春の作曲家たち』で芥川也寸志の指揮により演奏した。演奏会に配布したプログラムには作曲者たちからの曲目解説が記載されているが、別宮貞雄は、「わが青春的音楽始末」として次のように述べている。
 “つまり私にとって4曲目の管弦楽作品となる。34才の時のもので、果たして青春の香が残っているかどうか、心もとないが、私は人より10年も遅れて音楽の勉強を始めたのだから、そのことを考えれば、青春の作品といってもおかしくはないだろう。少なくとも修業時代をしめくくる作品といえよう。”
 フランス留学で身に付けた「技術」の集大成として、並々ならぬ意気込みで世に問うた初期創作活動の到達点ともいえる作品である。当時の世界というものに向かい合った心の状態を表現し、伝統音楽的な「前奏曲」と「フーガ」という形式を踏襲しつつも、単純な踏襲ではなく、文学的な追求や感傷に煩わされることなく、純粋な音楽に浸って人間的な感情を受け、そして心の奥底を表現しているような情感に満ちている。


第1楽章 Douloureux
 「悲しみを持って」と名付けられた前奏曲。相互的に関連性を持つ主題が交互に登場し、変奏曲ともいえる。短三度を伴う主題と半音階的進行を伴う対位。表情的でリリシズムに溢れた音楽が進行し、八分の七拍子、さらに八分の五拍子と盛り上がりを見せながら、「深い悲しみ」が押し寄せる波の如くに心の底まで音楽が染み渡っていく。


第2楽章 Vaillant
 「雄々しく」。ファンファーレ付のフーガ。堂々たる金管楽器によるファンファーレに続き、「悪魔の音程」(Tritonus)といわれる増四度による緊張に満ちた主題が登場しフーガで展開していく。ファンファーレの主題も交錯しつつ、クライマックスを構築するストレッタでは、主題の対位としてトランペットに定旋律(Cantus Firmus)でグレゴリオ聖歌「クレド」主題が登場する。クレド(Credo)は、キリスト教の主要な教義を列挙した祈りとしてミサの中で重要な「信仰宣言」であり、この定旋律(Cantus Firmus)は信念の祈りとしてコラールに発展し、明確な三和音で力強く終止する。


自然体の音楽
 別宮貞雄は、先入観のない鋭い批判精神を常に持ち続けており、歯に衣を着せぬ論評は、時に重みを持って受け止められ、議論や批判の精神に開かれているべき音楽界への祈念であったに違いない。新交響楽団で「二つの祈り」を演奏して以来、よく演奏会にお見えになったが、常に飄々した雰囲気で自然体を崩さなかった。もし、本日の演奏会にもいらしていたら、60年を迎えた新交響楽団をどのように論評されるのだろうか。今を生きている新交響楽団の心からの音楽として、溢れ出る感情を持って演奏に臨みたい。


初演:1956年5月10日 東京交響楽団第78回定期演奏会  日比谷公会堂
    東京交響楽団 指揮/斎藤 秀雄
受賞:1956年 毎日音楽賞(第8回)尾高賞(第5回)
楽器編成:フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、小太鼓、中太鼓、大太鼓、シンバル、タムタム、トライアングル、チェレスタ、ピアノ、ハープ、弦五部
参考文献
 『日本現代音楽 別宮貞雄 管弦楽のための二つの祈り』音楽之友社
 『最新名曲解説全集 第7巻 管弦楽曲Ⅵ』音楽之友社
 『NEW COMPOSER 2003 vol.4』日本現代音楽協会 会報
 『日本の交響作品展7 青春の作曲家たち』新交響楽団第99回演奏会パンフレット 新交響楽団

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