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ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲

松下 俊行(フルート)

ラヴェルとストラヴィンスキイ
 ニコライ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団(バレエ・リュス)がパリに於いて上演(*1)した演目を俯瞰すると、1910年からの4年間が奇蹟とも言うべき時期だった事に気づかされる。以下の初演記録を参照されたい。
 ・1910年6月25日:『火の鳥』
 ・1911年6月13日:『ペトルーシュカ』
 ・1912年6月8日:『ダフニスとクロエ』
 ・1913年5月29日:『春の祭典』
 20世紀の代表的なバレエ音楽として、現代の我々が真っ先に頭に浮べ得るこれらの傑作が、この短い時間の中で毎年創作され世に出ている。舞台美術や衣裳・振付けと云ったそれぞれ全く独立した分野の総合芸術であるバレエ。個々の準備や稽古に費やされるべき時間を考えれば、初期段階で完成が求められる音楽の創作に充てられる時間は限られている。1年という時間の緊密さ(短さ)は想像に難くない。
 ラヴェルとストラヴィンスキイはこの4年間でひとつの時代を築き上げた。結果だけ見るとストラヴィンスキイが時期的にも量的にも先行しているように思える。彼は『春の祭典』の初演(これがどのような阿鼻叫喚のスキャンダルをもたらしたかは有名だ)時点で30歳。88年に及ぶ長い生涯の中で、確かにここでひとつのピークを迎えており、ラヴェルに比してより華々しくも見える。


 だがこの輝かしい歴史の契機については、少し詳しく経緯を辿ってみる必要がある。
 1909年のはじめ、ディアギレフは明くる年の公演に向け、ラヴェルに1冊のバレエ台本を手渡した。バレエ団の主宰者はこの作曲家の才能に着目し、音楽を依頼したのだった。しかしながら『ダフニスとクロエ』と題されたこの台本の熟読を重ねるにつれ、ラヴェルは失望を深める事になる。
 主人公たる男女二人は共に美貌と健康な肉体を誇り、しかも実は高貴な生まれ。それぞれ故あって捨てられるが曲折の後に真実が判明して結ばれ、ハッピーエンドに至る。当然登場する恋の妨げとなるライヴァル(ドルコーン)も根は善人で、さしたる邪魔にもならぬ都合の良さ。海賊の登場する冒険譚はありきたりと言えばそれまでの内容だが、それに加えて書き込まれた、振付けの都合を優先した詳細な指示は、彼の意慾を減退させた。
 ラヴェルはこうした陳腐さや小細工に拘泥せず、ギリシャ時代に書かれた原作(*2)の背景にある健全な古代の精神をこそ、「音楽による大フレスコ画(ラヴェル自身の言葉)」として表現しようとの構想を温めていた。そのため合唱を含む大規模な編成を企図したが、費やされるカネも時間も厖大とあってディアギレフと衝突。最終的に主宰者の納得を得るに至ったが、その交渉によって時間切れとなり、やむなくディアギレフが代打として起用したのが、前年彼に認められたばかりのストラヴィンスキイだった。この若き気鋭の才能はいずれ世に知られたには違いない。だがディアギレフの委嘱をこの時受けた事で、後に「三大バレエ」となる作品群の創造に、一気呵成の勢いを獲得したのである。
 その間ラヴェルは3年をかけて周到な準備をした。掉尾の「全員の踊り」だけで丸1年を費やしたというが、その規模と完成度と内容の緻密さ、そして前述したバレエ公演の準備期間を考えれば信じ難い早書きと言える。それを実現した背景には、先行したストラヴィンスキイの仕事から受けた刺戟があったに違いない。若きふたり(ラヴェルも30代前半)を競わせ、毎年の公演を成功させたディアギレフの手腕は、この一事を取上げても傑出していると思わざるを得ない。それはもちろん音楽の分野に限らないのである。名伯楽と言うべきであろう(*3)。


「第2組曲」の事
 この組曲は「夜明け」から「パントマイム」を経て「全員の踊り」で終結する。「夜明け」は文字通りの夜明けの描写であり、「全員の踊り」は登場人物総出の舞踏の場面であるから解り易い。ただ「パントマイム」はやや説明が必要だろう。これは海賊の横暴(第2部)によって引き裂かれたダフニスとクロエが「夜明け」の場面で再会。それに続いて始まるダフニスによる求愛の舞踏で、フルートのソロに乗って演じられる。そして応じるクロエ共々両者の言葉を交わさない無言劇(個人的な感覚だが、僕はこのソロを吹くたびに静謐な能の舞台を想起してしまう)が繰広げられる。そしてその後に行き交い始める音の応酬を経て、急速に速まるテンポと音域の昂りの果てに、稲妻のようなピッコロからアルトフルートまでの4オクターブにも及ぶ下降線を以って懶い低音に落ち着くが、そこにひとつの官能の成就が象徴されている。長年様々な作品を演奏していると、陰に陽にそれとわかる描写や表象に行き当たる事があるが、これは極めて急速な変化のうちに完結しており男性的だ(笑)。ラヴェルの志向した健全にして率直な古代の人間像はこうした箇所にも顕れている……というべきだろう……か。
 「全員の踊り」は5拍子を基本にしている。これは古代=非近代の舞踏リズムで、ここに於いてラヴェルの意図は一層明らかにされている。前述のストラヴィンスキイの作品を含め、非西欧・非近代的な世界観に対する確実な志向が見出されよう。前述の4年間に作られたバレエ音楽は、それぞれ民話の世界のロシアや古代ギリシャを舞台にしており、最後は原始のロシア社会に行き着いている。ディアギレフがパリ市民の嗜好を敏感に感じ取り、興行を企画していたのであろうと想像する。
 だが『ダフニスとクロエ』に向かう時、そんな事はどうでも良い。純粋に音楽へ耳を向ければ自ずと様々な場面は思い浮かべられよう。それで充分というものだ。


 バレエやオペラの為に書かれた長大な作品の中から、人気のある場面や独立した名曲を抜粋し、組曲として演奏される例は多い。作曲家自身が改作する事も、他の人がそれを構成する事もある。だが『ダフニスとクロエ』の場合は、演奏時間50分を超える全曲のうち「夜明け」から終結までが、手を加えられる事無くそのまま演奏されているに過ぎない。これを「組曲」と名づける事には違和感がある。
 しかもこれを「第2組曲」と呼ぶ。当コンサートでもそれを踏襲しているが、対応すべき第1組曲(*4)の存在はほぼ忘れ去られているのだから、「第2」の名を冠する事も殆ど無意味というものだ。初演から100年を経て、これほど知られた作品でありながら、首を傾げたくなる妙な慣習が放置されているのもこの曲の特徴……ではある。100年間世界中で数え切れぬほど繰返し演奏されて、その現場では必ずや指摘されているはずの山なす間違い箇所が、一向に改訂されない譜面ともども、いい加減見直したらどうだとこの曲を演奏する度に考えてしまう。
 実はそういう曲なのである。


*1:バレエ・リュスの公演は1909年に始まり、ディアギレフの歿年である1929年まで毎年5月~6月の期間に行われている。
*2:『ダフニスとクロエ』の原作は、紀元2~3世紀の頃にロンゴスによって書かれたギリシャの恋愛物語。
*3:ディアギレフはこのふたりの他にもバレエ音楽を多数委嘱している。例えばドビュッシーは『遊戯』を書き上演されているが、僅か半月後に初演された『春の祭典』の陰に隠れ、忘れ去られている。
*4:第1組曲は、第1部「夜想曲」「間奏曲」から第2部「戦いの踊り」までが、切れ目無く演奏される形をとるが、現在この部分だけの演奏を聴く機会はほとんど無い。


全曲初演:1912年6月8日 ピエール・モントゥ指揮、パリ シャトレ座 ロシア・バレエ団
楽器編成:フルート2、ピッコロ、アルト・フルート、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、Esクラリネット、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、中太鼓、小太鼓、タンブリン、トライアングル、カスタネット、ジュ・ド・タンブル(鍵盤グロッケンシュピール)、チェレスタ、ハープ2、弦五部
参考文献:
『ダフニスとクロエー』ロンゴス著、松平千秋訳(岩波文庫)
『音楽大事典』ラヴェルの項(平凡社)
『ベレエ・リュス その魅力のすべて』芳賀直子著(国書刊行会)

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