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ラヴェル:管弦楽のための舞踏詩「ラ・ヴァルス」

岩村麻里子(バスクラリネット)


 本日会場にいらっしゃる方のほとんどが「なんとなく」このワルツの一部分は耳にしたことがあるのではないだろうか。私のウィンナ・ワルツのイメージは、豪華で煌びやかなドレスを身にまとったセレブリティな貴族女性と、黒いタキシード(中はフリフリレースの白シャツ)で決めた紳士的な男性がパーティーで優雅に踊る姿。「ベルサイユの薔薇」そして「オルフェウスの窓」の社交界。しかしこの「ラ・ヴァルス」を初めて聴いたときの複雑な感情は忘れられない。


「ラ・ヴァルス」とウィンナ・ワルツ
 英語で「ザ・ワルツ」。このネーミングセンス。管弦楽版の初演は1920年12月だが、これがもし100年前だったら、ウィンナ・ワルツの創始者である2人(ワルツの父、ヨハン・シュトラウス1世とダンス音楽団の団長ヨーゼフ・ランナー)のワルツ合戦に、フランスから「俺の作品こそが正真正銘のワルツだ!」とケンカを売っているようなタイトルと受け取られたかもしれない。
 このシュトラウス1世の息子、ワルツの王、ヨハン・シュトラウス2世は父の後を継ぎウィンナ・ワルツの様式を完成させ、黄金時代を築いた。しかしその後は徐々に下火となっていき、ウィンナ・ワルツに象徴される宮廷舞曲や王侯貴族や富裕層を中心とした舞踏会そのものが社会の変革に合わせて徐々に表舞台から退いていかざるを得なくなった。
 R.シュトラウスの「ばらの騎士」、プロコフィエフの「シンデレラ」や「戦争と平和」など、20世紀になってから書かれた名作におけるワルツは、いずれも作品の時代設定に合わせて過去に遡るための「音によるタイム・マシーン」になっており、「ラ・ヴァルス」もそうした中の1つである。
 「ラ・ヴァルス」(1920年)の構想は「スペイン狂詩曲」(1908年)以前にさかのぼる。ラヴェルは1906年以来ずっと「ウィーン」という題名の交響作品のアイディアをあたためていた。しかしハプスブルク家の皇位継承者である皇太子暗殺がきっかけで第一次世界大戦が勃発し、終戦によってハプスブルグ王朝が終焉を迎えることとなる。そのため、当時曲が予定通りに完成していたとしても、「ウィーン」という標題で発表することははばかられたであろう。


ディアギレフによる依頼
 まだ大戦中の1917年に、ロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフ(「ダフニスとクロエ」も彼の委嘱)がラヴェルにバレエ曲の作曲を持ちかけた。そこに交響詩「ウィーン」の素材がどの程度使われたかは不明だが、同年1月に母を亡くしていたラヴェルは作曲が手につかず、結局新しいバレエ曲は1919-1920年に書き上げられた。しかし「天才を発見する天才」と称されていたディアギレフは、既に作曲家に対して絶対的な判定者として振る舞うようになっていた。ラヴェル自身の演奏によるこの曲の2台ピアノ版を聴いたディアギレフが「舞踏に向いていない」という理由で受理しなかったために、両者の仲は決裂したと言われている(真相は不明。だがラヴェルは後に自伝で「絶対に舞踊曲のつもりだった」と反論している)。
 ディアギレフの言い分はある意味でもっともであるし、何よりも2台ピアノの演奏からこの音楽の本当の姿を想像することは難しかったであろう。後の「ボレロ」(1928年)でも明らかなように、ラヴェルには1つのプロットに徹底して拘る異様なほどの職人気質が潜んでいる。もしディアギレフが、ラヴェル一流の色彩溢れる管弦楽法で書かれた「ラ・ヴァルス」のオーケストラ版の演奏を最初に聴いていれば、この曲がどんな作曲家のそれよりも絢爛豪華に、ひたすら1曲の『ワルツ』をイルミネイトしていることが分かったのではないだろうか。稀代の興行師ディアギレフには「バレエに不向きな曲」という感想を持たれてしまったこの曲のバレエとしての初演は、1929年にイダ・ルビンシュタイン夫人の舞踊団によって行われている。彼女こそは「ボレロ」の委嘱・初演者に他ならない。


曲について
 第一次世界大戦(1914-1918年)の終戦後に初演されたこの曲のスコアの冒頭には、


「渦を巻いている雲の切れ間から、ワルツを踊っている多くのカップルが見え隠れする。だんだん雲が晴れてゆき、Aのところでくるくると旋回しながら踊っている大勢の人で賑わう巨大なホールが見えてくる。舞台は次第に明るくなり、Bのフォルティッシモでシャンデリアの光が燐然と響きわたる。1855年頃の王宮である。」


とあり、A・Bも小節番号と同様にスコア上に書かれている(譜例1、2)。
 ラヴェルは「私はこの作品を、ウィンナ・ワルツの一種の神格化として構想した。私の心の中でこの神格化は、幻想的で宿命的な旋回の印象と結びついている」と述べている。序盤こそ煌く舞踏会のワルツの体でありながら、徐々に様子がおかしくなり、最終的には完全に崩壊するこの曲は、ウィンナ・ワルツの優雅さよりも、破壊へと突き進む痛ましさが全体の印象として際立っている。そこには、第一次世界大戦と最愛の母の死による精神的打撃の深さを認めることもできるであろう。さらに言えば、この破壊にとり憑かれたような音楽からは、意識の深部に抑圧された自己破壊、自己否定の欲望というものを感じとることもできるのではないだろうか。音楽評論家である塚田れい子によれば、


「古き良き時代の陽気なウィンナ・ワルツは、もはやここにはない。甘やかなワルツはすでにノスタルジアの世界に閉じ込められていて、混沌の中からやっと姿を現したワルツは高揚のなかでカタストロフを迎え、宿命的に歪められたその姿はもう戻ることはない。」


とある。ワルツを踊ること、それは幸福であろうし、享楽である。しかしこのワルツは、もっと言えばこの曲の中で踊っている人々は、自ら踊っているのか、それとも踊らなければならないような状況なのか。揺れては立て直し、何度崩壊しそうになってもワルツを踊る人々。不安気であり、少し異常である。それはラヴェルの感じていた精神的な不安や恐怖、そして異常である。それは「ボレロ」「古風なメヌエット」等の作品でも垣間見える。ラヴェルの最も黒く、それ故に人々を惹きつける部分であろう。


 「ラ・ヴァルス」は、一貫して3/4拍子で書かれているが、拍節感(メトリーク)の変化やヘミオラ(注1、譜例3、4)を効果的に組み合わせることによって、生半可な変拍子の曲よりも、よっぽどリズム的な変化に富んでいる。
 曲は「序奏付きのワルツ」という定型で書かれている。まず序奏部には、遠景から聞こえてくるような神秘的なコントラバスの霧の中から、後で用いられる動機の幾つか(譜例5、6)が断片的にちりばめられている。
 弱音器付のヴィオラによって第1ワルツ(譜例7)に入ってからは、第2ワルツ(譜例8)→第3ワルツ(譜例9)というように型どおりに進んでいくが、弦のポルタメントがいかにも爛熟した宮廷文化末期といった感じの甘美な歌を奏でるあたりがラヴェルらしいところだろう。

 ラヴェルは戦争によって失われた古き良き時代に思いを寄せながら、ウィンナ・ワルツへの陶酔と共に、そこに渦巻く虚無感や絶望感を表現しようとしたのかもしれない。2台のハープを駆使したシャンデリア風の輝きや、打楽器の豪胆な一撃(実際に踊られるワルツでは、ここまで刺激的な炸裂は考えられないであろう)、何かに憑かれたような音の渦巻きは強烈な印象を残す。破壊へ向かって突き進み、最後はワルツの崩壊を暗示するような圧倒的なクライマックスで結ばれる。


[注記]
注1:リズム用語。本来2分割されるべきものを3分割すること。主に3拍子の曲で、2小節をまとめてそれを3つの拍にわけ、大きな3拍子のようにすること。


管弦楽版初演:1920年12月12日、カミーユ・シュヴィヤール指揮、ラムルー管弦楽団による


楽器編成:フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、タンブリン、トライアングル、シンバル、カスタネット、クロタル(アンティク・シンバル)、タムタム、グロッケンシュピール、ハープ2、弦五部


参考文献
『ポケットスコアラ・ヴァルス』(日本楽譜出版社)
『演奏法の基礎レッスンに役立つ楽譜の読み方』大村哲哉著(春秋社)
『ポケット音楽辞典』(音楽之友社)
[CD]「Ravel」ボストン交響楽団、ベルナルト・ハイティンク指揮(岡本稔)
[CD]「RAVEL:TZIGANE・SHEHERAZADE」ロンドン交響楽団、クラウディオ・アバド指揮(塚田れい子)
「ラヴェル(1875~1937)管弦楽のための舞踏詩〈ラ・ヴァルス〉」金子建志(千葉フィルハーモニー管弦楽団
演奏会用プログラムノートより)「ラヴェルラ・ヴァルス:ワルツと、ワルツを踊るもの」
Bokuno Ongaku
http://bokunoongaku.minibird.jp/?p=549/

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