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ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

松下俊行(フルート)

■『田園交響楽』のこと


 「あなたがたの見ていらっしゃる世界は、本当にあんなに美しいのですか?」彼女はやがて言った。
 「あんなにって言うのは?」
 「あの『小川のほとりの景色』のように」

(アンドレ・ジッド『田園交響楽』/神西清訳)


 盲目の少女と牧師との対話である。十代の半ばまで光と言葉(彼女を育てたのは唖者の老婆だった)に閉ざされ、人間としての生活から隔離されていた少女は、老婆の死を契機に牧師に拾われ、初めて教育の機会を得た。言葉とその表す意味を学ばせ、更に牧師はオーケストラにある各楽器の音の組合せを様々聴かせる事で、色の名とその色彩とを理解させようと腐心する。聴覚という唯一の窓を通じて、少女の外界への認識は一挙に飛躍してゆく。
 そしてこの日「田園」と出逢う。
 少女の脳のう裡りに汚れなき世界の像が閃ひらめく瞬間。ヘレン・ケラーの自伝映画『奇跡の人』の井戸水のシーンを髣髴ほうふつさせる。この短編小説前半のヤマ場のひとつだ。だがこれを境に彼女と牧師の関係は確実に変質し、悲劇…少女はやがて手術を受けて光を得るが、結局死を選ぶ事になる。見える者の不幸を知った故に…の伏線ともなってゆく。
 初めてこの小説を読んだ後の一時期、僕は盲目の少女に「田園」を聴かせた牧師の(そしてジッドの)意図を考え続け、この曲を繰返し聴き込んだ事があった。想えばそれはもう数十年も前になる。
 周知の通り、この交響曲には楽章ごとに作曲者自身による標題がつけられている。だがこの事を以って、音楽が何かを描写していると考えるのは適当ではない。ベートーヴェンは作品のスケッチの片隅に、


「どんな場面を思い浮かべるかは、聴くものの自由に任せる。・・・あらゆる光景は器楽曲であまり忠実に再現しようとすると失われてしまう。・・・音の絵というより感覚というにふさわしい。」


と書いている。つまりまず具体性を期していないという事だ。
 それだけではない。科学技術の恩恵に満ちた現代に生きる者の「特権」として、我々はいまこの作品に関するあらゆる情報を得られる。例えば作曲者が散策した川辺の情景も、当時のウィーン郊外の田園風景も、求めれば時空を超えてたちどころに知ることが可能となって久しい。そしてこうした情報をより多く得れば作品への理解もそれだけ進展するようにややもすると勘違いしがちである。現代人が陥りやすい誤謬の最たるものだ。
 その勘違いはひとまず措おくとしても、このようにある特定の場所や光景に「田園」を限定してしまうとすれば、それは作曲者の意図とは別物になってしまう。誰もが日常意識せぬまま心に宿している各々の自然(そしてそこに生きる人々の営み)に対する「感覚」を、この音楽により触発させる事にこそ真の意図があると、上に挙げた作曲者の言葉から、我々は気づかなければならない。故にそこには統一された具象的なものは何ら必要とされないのだ。
 この世の光を未だ見ぬ少女にさえ美しき「風景」を想起させ得る音楽。これはひとつの奇蹟の姿である。ここに於いてジッドの『田園交響楽』は、作曲者の意図を究極の姿で示しているのだと思い至る。真に偉大な音楽が聴く人の心に及ぼす力の大きさと剄つよさ、そして少女の裡うちに音楽が鳴った一瞬に現れたであろう情景…それは最早色彩を超えた光そのものとでも言うべき神々しき世界だったかもしれない…とを想いつつ改めてこの緩徐楽章に聴き入ると、静かに迫りくる感動を禁じ得ない。


■「田園」の背後にあるもの
 「田園」がベートーヴェンの心の中で急速に形成されつつあった1807年後半から翌年にかけての時間は、彼の全人生を見渡すと、俄かにある種の平穏と言うべきものが訪れた区切り時期にあった。但しこの平穏は幸福を意味してはいない。第4交響曲やヴァイオリン協奏曲に現れる穏やかな作風の源泉となった、さる伯爵未亡人との恋愛は4年という時間を経て完全な破局を迎えていた。宿痾しゅくあとなった耳疾は様々な治療を試みるも奏効せず、この時点で悪化こそ止まったものの決して好転はしてはいない。また10年余りを費やした「運命」はようやく完成に漕ぎ着けている。長期に亘る様々な案件が失望と達成感とを伴ってそれぞれの結論を得つつあったその時期、37歳の作曲者には一時的にせよ精神に空隙くうげきが生じ、行く末に対する諦念とも言える感情が心に忍び寄ったのではないだろうか。そこまでの彼の交響曲を聴きこんだ上で「田園」に対峙する時、そうした背景を想像させるものがこの作品には潜んでいると僕には感じられてならない。直前に完成され、同時に初演された前述の「運命」との対照を思えば尚更のことだ。


 この交響曲には、それと判る明確なモデルがある。これも異例と言えよう。それは四半世紀も前の1785年にクネヒト(Justin Heinrich Knecht/1752―1817)が出版した“Le portrait musical de lanature ou grande symphonie(『自然の音楽的肖像あるいは大交響曲』とでも訳すべきか?)”なる作品である。5楽章の構成で総譜の表紙には楽章毎にそれぞれに標題が示されている。それは標題というには余りに冗長に過ぎ且つ説明的で、例えばヴィヴァルディの「四季」各曲に付されたソネット(14行詩)を思い出させるが、その中には、「太陽の光がふりそそぐ」「鳥がさえずる」「小川は谷間を流れ」「雷鳴」「嵐」「嵐の静まった後の感謝」などという、「田園」の楽章ごとの標題と符合する語句が見出されるのである。近年「世界初」として、このクネヒトの作品が音となって世に出た。一聴して、それが時代のスタイルを基盤とした拙い描写以上の音楽ではない事が判る。僕が常に座右に置いて、事あるごとに引いている「音楽大事典(平凡社)」でも、南ドイツに生まれた、モーツァルトより4歳年長のこのオルガニストにして作曲家・音楽理論家に関する記述は20行ほどしかない。しかもその1/3はベートーヴェンの「田園」との関連性に関するものとあって、この先駆者の詳細は殆ど何も知る事が出来ない。つまり全く忘れられた作曲家となっている訳である。さもあろう。だが同時代人たるベートーヴェンはこの作品の存在を、いつの時期かは不明だが知る機会があった(例えば同じ出版社から彼も自作を世に送り出している)。それは彼の心のどこかにしまい込まれ、通常ならそのまま終わる筈だった。


 「田園」にはそれまでの交響曲全般を特徴づける躍動や激した部分は殆ど無い。また彼のいくつもの作品に見られるような闘争や葛藤や大団円としての勝利・歓喜といったドラマトゥルギー(ドラマ的な筋立て)とも無縁だ。代わりにあるものは、一貫して流れる穏やかさやのびやかさであり、淡々とした静けさを基調としつつも、聴く者に対して確実に迫って来る抑制された情動である。
 この作品のスケッチは「英雄」を手がけていた頃既に見えているという。だが、それが全体像を結んで産み出されるには、それまでの半生を謂わば「駆け抜けて」きた作曲者にとっても、従来とは違った心の静謐せいひつが必要だったに違いない。失意と希望との狭間に人生を歩む中で、程度の差こそあれ誰しもが経験する精神の真空状態。それがこの時期不意に、束の間訪れた。諦念と安息が表裏一体になった感情とも言える。そうした感情が彼をして自然への「精神的な回帰」を促し、自然の描写をテーマとしていたクネヒトの作品の標題形式や楽章構成に改めて目が向けられ、創作の契機となったのではあるまいか。この作品が極めて短期間の内に書かれた事実にも注目すべきだろう。こうした例はほかになかなか無い。
 1804年に完成した「英雄」以降の10年間に産み出された作品群を、ロマン・ロランは「傑作の森」と賞しているが、「田園」はその中にあっても極めて独創的なものに感じられる。それは作曲者の常とは異なる心象の反映にほかならない。


 だがこうした安寧あんねいの状態は長く続かない。ベートーヴェンにはこの後約20年の時間が残されていたが、この交響曲を生み出す背景となった束の間の心の静謐が再び巡ってくることは遂になかったのである。


初  演:1808年12月22日 ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場にて、作曲者自身の指揮による


楽器編成:フルート2、ピッコロ、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット、トロンボーン2、ティンパニ、弦五部


参考文献
『田園交響楽』アンドレ・ジッド(神西清訳)(新潮文庫)
『ベートーヴェンの生涯』ロマン・ロラン(片山敏彦訳)(岩波文庫)
『新編ベートーヴェンの手紙』全2冊(小松雄一郎訳)(岩波文庫)
『孤独の対話―ベートーヴェンの会話帖―』山根銀二(岩波新書)
『音楽大事典』岸辺成雄編(平凡社)

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