HOME | E-MAIL | ENGLISH

ブルックナー:交響曲第5番
<真のブルックナー:厳格な技法とファンタジーの融合>

土田恭四郎(テューバ)

 後期ロマン派最大の作曲家の一人、ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(1824年~1896年)は、1868年44歳でヴィーン音楽院教授の和声法・対位法・オルガン演奏の教授に任命され、リンツからヴィーンに移住した。音楽院以外の仕事も多く、当時の一般市民からすればかなり豊かな生活水準ではあったが、創作の時間がないという不安から、執拗なまでに助成金の援助や要職への任命の懇願を文部省に行っている。当時のヴィーンでは作曲家として無名であり、音楽院では必ずしも優遇されていたわけでもなかった。深い謙虚さというよりは大仰なへりくだった部分と誇り高い自尊心が共存していた独特なキャラクター、音楽的教養に欠けるといった誤解もあり、受難の日々が続いた。独特な造形感覚が作品の全体像の把握を困難にして、長大な音楽そのものが当時のヴィーン楽壇で理解を超えるようになってきたといえよう。
 本格的に交響曲の分野に進出してきたブルックナーは、ヴィーンに来た翌年1869年に交響曲第0番(第2稿:晩年に整理した際に自ら0と記載)を書きあげ、1871年から1876年まで交響曲第2番から第5番までの初稿を書きあげていく。現在知られているブルックナーの交響曲で改訂を伴う前の第1稿を毎年作曲したこの6年間は、創作活動のひとつの頂点といえよう。当時のヴィーン・フィルでは、これはという新作の試奏会(Novitätenkonzert:シューベルト交響曲第8番「グレート」が試奏された記録がある)があり、ブルックナーの交響曲では第0番の第1楽章や第2番、第3番、第4番と試演や初演で取り上げられていったが、演奏不可能としてたびたび拒否され、その後のブルックナー自身による度重なる改訂や弟子たちによる改竄が、複雑な版の発生という問題に繋がっていく。

 交響曲第5番は、ヴィーン大学への度重なる求職活動と重なり、対位法の大家としてその能力を存分に証明した作品といえる。交響曲第4番の初稿完成3カ月後の1875年2月14日に作曲が開始され1876年5月16日に完了した。その後、バイロイトでのヴァグナー『指輪』4部作の初演におもむき、ヴィーン・フィルの演奏拒否に伴う交響曲第3番の最初の改訂や交響曲第1番の校閲が行われた。1877年5月16日から見直しを開始、1877年12月16日ヴィーン・フィルによる交響曲第3番(第2稿)の初演失敗という運命の時を経て、翌年1878年1月4日(アダージョの最終日付)で改訂が終了し、唯一の決定稿の完成をみている。
 この時の改訂で重要なことは、交響曲史上初めてバス・テューバが加筆され、ハーモニーの重厚感の拡大に成功していることである。このことは1875年ヴィーン・フィルにベルリンから16歳のテューバ奏者が招聘されたことに関連している。交響曲第4番第1稿まではバス・トロンボーンが金管セクションを支えていたが、1880年交響曲第4番の改訂(第2稿)にバス・テューバを追加、以降の作品でも積極的に多用している。
 1878年11月4日、筆写譜の最後に日付と署名を入れ、文部大臣カール・リッター・フォン・シュトレマイヤーに同日付で献呈された。その後は校閲や改訂という記録が無く、機会を逸したのか、作品の斬新さと巨大さゆえに拒絶されてしまう不安を抱いていたのか、ブルックナーの交響曲ではめずらしく「稿」として単一のもので、次作の交響曲第6番と並んで複雑な改訂稿をもっていない。
 ヴィーンフィルでは、全曲であれ一部であれ、作曲者の生前に演奏したという記録が無い、すなわち生前にブルックナー自らオーケストラでは一度も聴くことのなかった唯一の交響曲である。

「交響曲第5番」
 初期交響作品群で顕著に見られるブルックナーの「やりたい放題」とも思える当初の意図が、そのまま反映され原型をとどめている。すなわち初稿にこめられた「本来のブルックナーの音楽」が決定稿として残っている作品である。
 ブルックナーは古典的なソナタ形式を交響曲に忠実に取り入れた。特に第1楽章と第4楽章に於いて伝統的な形式よりさらに拡大し、従来の2つの主題に加えて呈示部の小結尾を拡大して第3主題まで発展させている。この3つの主題は互いに対比し、各々異なる動機でできている複合体として機能している。
 ある分析によれば、冒頭の音から全曲の主題が作られているという見方もあるくらい、ほぼ全ての主題と動機を同じ5つの音(わずかな相違も含めて)から形成した。また第2楽章と第3楽章が同じ伴奏形、第1楽章と第4楽章も同じ序奏で開始、という対称性による楽章の統合が堅固となっている。ベートーヴェンの「第九」を思わせる精密な設計によるゴシック様式の大伽藍のような構築、随所に現れるコラール風の楽想、比類のない対位法の技法を駆使しての巨大さは、当時の交響作品の全てを凌ぐものである。ブルックナーは「幻想的」と呼び、対位法上の傑作と位置付けた。
 生真面目に主題を発展させて加工していく頑固なまでの厳格さと、音楽がどこに向かっていくのかわからない、即興演奏もかくやと思える自由でファンタジーな面が同居している。唐突にでてくる音楽は、よく見ると冒頭の主題に関連できるような構成になっており、対位法という技法のひとつの側面、技法を用いて音楽を突き詰めて、音楽の展開も「杓子定規」に書いている。
 交響曲第0番から第6番までの初稿の傾向として、オーケストレーションは、理論的にこうあるべきだ、というところは崩さずに、そのまま管弦楽法のパレットに強引に当てはめてしまうところが散見される。クライマックスの構築についても、後期の交響曲にみられるように、緩除楽章の最後の方で音楽が高まっていき頂点で爆発する、という自然な流れが確定されておらず効果的ではない。
 改訂も含め後期の作品になると洗練され、聴きやすくはなっているが、「本来のブルックナーの音楽」は、どこに音楽が行くのか判らない、というところに真骨頂がある。当時としては驚くほど尖鋭的で斬新な音楽がそこにあった。
 このような結果により、巨大さと演奏時間の長さが生じている。演奏者や聴き手の負担を考えているところが見当たらない。宗教的なコラール風の旋律(聖)と、レントラー風のダンスのリズム(俗)を同じ曲に入れて平然としているのは、ブルックナーの特異な素朴さと自然さであろう。

第1楽章 序奏部:アダージョ― アレグロ
 ベートーヴェン「第九」第3楽章のアダージョと同じで自由にして壮麗なる変ロ長調、2/2拍子、序奏付きのソナタ形式。序奏はモーツァルトのレクイエムの冒頭部分、ニ短調を変ロ長調に置き換えて拡大したような音楽。曲全体の原旋律である低弦のピッツィカート(譜例1)と弦の対位法的な旋律(譜例2)が印象的。突如ユニゾンで上昇動機(譜例3)が登場して金管のコラールが出現(譜例4)。同じプロセスが続いて収まったところで、高弦のトレモロの中をヴィオラとチェロによる特徴的なリズムと音程の第1主題(譜例5)が出現。この主題は魅惑的な転調を見せて全管弦楽に進行、落ち着いた後にヘ短調で始まる第2主題(譜例6)が弦5部のピッツィカートにより厳かに登場。続いて第1ヴァイオリンが呼応する。第3主題(譜例7)は変ニ長調で管楽器の伸びやか旋律を中心に進んでゆき、次第に曲想が盛り上がり変ロ長調の頂点に達して急速に静まる。
 展開部はホルンとフルートの対話に始まり、まもなく導入部が回帰、第1主題が入ってきて発展し、第2主題の要素も弱い音で重なる。金管のコラールが鳴り響き導入部の最後と同じ構成となる。展開部は拡大された導入部としての意味もあり注目したい。再現部は各主題が全体的に著しく短縮されており、ブルックナーでは初めてのこと。コーダは導入部の低弦のモティーフが繰り返されて第1主題の前半が執拗に反復され、第1主題の反行形もみられて高揚していき最高潮のうちに閉じられる。

photo220-2-3.JPG


photo220-2-4.JPG


photo220-2-5.JPG


photo220-2-6.JPG


photo220-2-7.JPG


photo220-2-8.JPG


photo220-2-9.JPG

第2楽章 アダージョ、非常にゆっくりと
 ニ短調 2/2拍子。A-B-A-B-A-Codaのロンド形式。最初に書かれた楽章で、初期のブルックナーの交響曲やミサ曲の「原型」が残っており、特に後半は荘重で厳粛な、歌詞のないミサ曲のようである。主部は弦5部の三連音のピチカートに乗ってオーボエによる物寂しい第1主題(譜例8)。極めて繊細に工夫された音楽で、この主題は全体を支配している。第2主題はハ長調で弦楽合奏による深い趣をたたえたコラール風の美しい旋律(譜例9)で「非常に力強く、はっきりと」提示され、交響曲第7番第1楽章を思わせながら頂点を築くと第1主題が回帰する。弦の6連符の動きの上に管楽器が主要主題を展開し、強弱の急激な交換が行われる。第2主題の回帰は低弦に八分音符の動きが入り発展的に進行、木管とホルンにより主要主題が奏でられる。フルートによる第2主題の反行形に始まる長いソロが印象的。第1主題の最後の登場にはヴァイオリンの6連符の動きの上に、徐々にトランペットやトロンボーンも加わって高潮していき、第1主題の後半に基づく7度や9度の跳躍が厳粛な雰囲気を醸し出していく。後半の3本のトロンボーンによるコラールは、第7交響曲第2楽章や第4交響曲終楽章の最終稿を彷彿させる。コーダはあっさりと終わるため解決されない印象がある。


photo220-2-10.JPG


photo220-2-19.JPG

第3楽章 スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ、急速に、トリオ:同じテンポで
 ニ短調、3/4拍子。複合三部形式。スケルツォ主部だけでソナタ形式をとり、アダージョ楽章冒頭のピチカート音形が速度を速めて登場して第1主題が呈示(譜例10)。第2主題はヘ長調で「テンポをかなり落として」レントラー風(譜例11)。ブルックナーの出身地であるオーバーエステライヒ(上オーストリア)のレントラーで、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」に登場する農民の踊りのように素朴で力強い。次第に高揚し小結尾となり、展開部へ続く。展開部では前半が第1主題、後半は第2主題。その後再現部は呈示部と同様に進むが、最後の14小節はコーダとなりニ長調の輝かしい和音で閉じられる。
 中間部は変ロ長調、2/4拍子、3部形式。ホルンに導かれて木管が愛らしい旋律を奏でる(譜例12)。この対をなす動きは第1楽章冒頭のフレーズから由来している。呈示部に続き展開部、再現部と続いて軽やかに終始、そして主部の再現と進む。


photo220-2-11.JPG


photo220-2-12.JPG


photo220-2-13.JPG

第4楽章 終曲 アダージョ― アレグロ・モデラート
 変ロ長調、2/2拍子。序奏付きのソナタ形式に2つのフーガが組み込まれ、ソナタ形式と対位法が融合、壮大・堅労且つ重厚でモニュメンタルなフィナーレ。序奏は第1楽章の序奏の再現で始まり、第1楽章第1主題、第2楽章第1主題が回想される。ベートーヴェン「第九」フィナーレに通じるもの。呈示部として第1主題(譜例13)が決然と低弦に登場、最初のフーガが開始される。第2主題(譜例14)は変ニ長調で第2ヴァイオリンに登場し、これはスケルツォ楽章第2主題に基づいている。ファンタジーな中間動機(譜例15)がホ長調で入り、第2主題がト長調で再開、と続いて第1主題の冒頭の音型に基づく第3主題(譜例16)が力強く奏される。呈示部の終わりと思われるところに突然金管が荘重なコラール(譜例17)を奏する。
 展開部では、このコラール主題に基づくフーガで始まり、後半は第1主題が加わって自然な高揚感と共に壮大で複雑な二重フーガに発展していくところが秀逸。再現部は、第1主題の再現にコラール主題が合わさって短く、第2主題は比較的型どおりで、第3主題の再現は第1楽章第1主題が繰り返し用いられ、大規模なものとなっている。コーダではフィナーレの第1主題の動機にはじまり、ブルックナー自ら「Choral」と名付けた壮大なる頂点に達して、圧倒的なまでの勝利となって全曲が終わる。


photo220-2-14.JPG


photo220-2-15.JPG


photo220-2-16.JPG


photo220-2-17.JPG


photo220-2-18.JPG

「ハース原典版」
 交響曲第5番は1896年4月にヴィーンのドブリンガー社から出版された。この「初版」は弟子のフランツ・シャルクによる改訂版であり、第4楽章を中心に大幅なカットや編成の拡大、オーケストレーションの変更がなされ、テンポの変化に関する表示も数多く付加されている。1898年のフランツ・シャルクによる初演も同様の内容で演奏されたと思われ(ブルックナーは病気のため初演には立ち会っていない)、改訂の度合いが極端で「改竄版」と現在は評されている。1929年ヴィーンに国際ブルックナー協会が設立、1930年からの第1次批判全集(ハース版)による原典版が1935年に出版されるまでは、ほとんど唯一のスコアとして演奏されていた。
 尚、1951年より第2次批判全集(ノヴァーク版)が出版されている。交響曲第5番に限っていえば、ノヴァーク版とハース版とには根本的な差異はない。

「真のブルックナー」
 ブルックナーは存命中から作品が全て否定されてきたわけではない。理解者が潜在的にいたが、弟子たちが先走った変なことをして本当の理解の妨げとなったということがいえよう。改訂後の方が作品の質が向上したのかどうかが問題で、少なくとも第1稿は作曲者の理想であることは間違いがない。
 カトリックへの深い信仰が思考の基盤となっているブルックナーの作品には、教会の伽藍を空から見ると十字架になっているように、地上の人間では測りがたい秩序が存在する。ソナタ形式の枠組みの中で対位法という技法を用いて、教会の規定を厳守するがごとく取り組み、また心の核にある敬虔の念から出たファンタジーを併せて表現した。
 このような人智を超えた啓示と共に、自らの霊感の命ずるまま自然に書きあげた結果がこのような曲になった。ここには、音楽の本質は決して言葉だけでは表現できないという事実がある。
 「真のブルックナー」に向き合うのには、作曲者の意図をありのまま全て受け止める覚悟が必要である。「本来のブルックナーの音楽」は、鷹揚で悠然且つドラマチックといった改訂時からの思い入れを取り除き、複雑なスコアの全体を見渡して隅々に目を配り、一定のリズムとテンポを維持しながらも刻々と変わる調性と音響バランスをコントロール、そして音楽は自然に息づいていなければならない。
 フィナーレの最後、全楽器によるユニゾンとそれに続くゲネラル・パウゼには、ブルックナーの「完全なる勝利」が響で表現されている。交響曲第5番作曲後、規模や内容の充実度において交響曲と比肩する弦楽五重奏曲の創作、1884年交響曲第7番の圧倒的な成功と1886年「テ・デウム」初演に始まる晩年の名声と名誉への喝采と称賛が、この「勝利へのゲネラル・パウゼ」を証明している。


 本稿執筆に際して、東京藝術大学音楽学部楽理科教授土田英三郎氏からご助言いただいた。感謝の意を表したい。

photo220-2-1.JPG
ブルックナー 1880年頃の写真

注)ブルックナーの生涯、個性、音楽の考察に関しては、新交響楽団第209回演奏会プログラムで筆者が記載した「ブルックナー:交響曲第9番<永遠のゲネラル・パウゼ>」を併せて参照していただきたい。(新響ホームページから「過去の演奏会」を選択し第209回演奏会の詳細にあり)http://www.shinkyo.com/concert/p209-3.html

初  演:
1878年4月20日ヴィーンにて ヨーゼフ・シャルク、フランツ・ツォトマンによる2台ピアノ編曲版(ヨーゼフ・シャルクによる2台ピアノ用編曲)
1894年4月8日グラーツ市立歌劇場にて フランツ・シャルク(ヨーゼフ・シャルクの弟)指揮 初版(改訂版)
1935年10月20日ミュンヘンにて ジークムント・フォン・ハウゼッカー指揮 原典版(ハース)

日本初演:
1962年4月18日大阪フェスティバルホールにてオイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

楽器編成:
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦五部

参考文献
『作曲家別名曲解説ライブラリー⑤ ブルックナー』 (音楽之友社)
『ブルックナー ―カラー版作曲家の生涯―』 土田英三郎(新潮社)
『アントン・ブルックナー 魂の山嶺』 田代櫂(春秋社)

このぺージのトップへ