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ベルク:3つの管弦楽曲

品田博之(クラリネット)

1. はじめに
 「ベルク! シェーンベルクの一派で“ゲンダイオンガク”でしょ。なんだかよくわかんないよ。」という先入観をお持ちの方はいらっしゃいませんか。確かに初めて聴いてすぐに耳に馴染むような音楽でないかもしれません。でもベルクの曲はとてもロマンティックな、感情に訴えかける音楽であるとして愛好されていることも事実なのです。無調や12音技法を用いていながら、というよりも無調音楽だからこそ表現できる感情があることをベルクが最初に実証したように思えてなりません。それは、オペラ「ヴォツェック」「ルル」、そしてヴァイオリン協奏曲などのベルクの代表作の幅広い人気が物語っているとも言えるでしょう。そんな魅力を感じる人がたくさんいる作曲家なのに食わず嫌いでいるのはもったいない。このコンサートをきっかけにベルクでも聴いてみようじゃないかと思われる方が増えることを期待しています。
 本日取り上げる「3つの管弦楽曲op.6」は前記3曲とは異なって、ストーリーや悲劇的背景がない絶対音楽ですが、過激な感情爆発と異常な沈潜が頻繁に交代し、所々で軍楽隊や酒場の踊りのような俗っぽい音楽が顔を出すところなどはマーラーを髣髴とさせるとても人間くさい音楽です。

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図1:アルバン・ベルク(1909年 24歳)

2. ベルクの生涯について
 ベルクは1885年ヴィーンで書籍・絵画・礼拝用品を扱う裕福な商人の家に生まれました。家庭内は絵画、文学、音楽等の芸術に親しむ環境で、14歳ころから独学で歌曲を作曲するようになります。ところが15歳で父を亡くして経済的に苦しくなり、また生涯ベルクを苦しませることになる喘息も発症してしまいます。悪いことは続きます。17歳のときにはベルク家に仕えていた女中に子供を産ませてしまうのです。しかも、学校の卒業試験で落第し、その果てに自殺未遂を起こしてしまいます。自業自得の面もありますが、とにかく激動の思春期だったわけです。

 なんとか翌年に卒業し、また彼女はその子(図2)を連れてベルク家を去りました。ベルク唯一の子供であるその娘はベルクの埋葬の際に一度ベルク家に姿を現しただけだったとのことです。

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アルビーネ・ショイフル
1902年に17歳だったベルクとベルク家の女中マリー・ショイフルとの間に生まれた。

 転機は18歳のときに訪れます。弟子を募集していたシェーンベルクに、書き溜めていた歌曲を兄が送ったことがきっかけでシェーンベルクの弟子になるのです。“超俺様”的な師匠であったシェーンベルクにこき使われもしたようですがウェーベルンと並ぶ優秀さで勉強を終え、その後も師の右腕として無調音楽や12音音楽などの新しい音楽の普及に努めます。また、ベルクはマーラーに心酔しており、交響曲第4番のヴィーン初演の際には熱狂した仲間とともに楽屋に押しかけてマーラーから指揮棒を奪い取った(?)との逸話が残されています(図3)。

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図3:ベルクが生涯宝物として大切にしていた指揮棒、
1902年に楽屋でマーラーから奪い取ったもの。

 21歳でのちに妻となるヘレーネと出会い、ベルクは生涯(少なくとも表向きは)愛妻家として通します。余談ですが彼女は実はオーストリア皇帝の落とし子だったといわれています。

 1914年29歳のとき、ビュヒナーの劇「ヴォイツェック」(章末の注参照)を観劇し、この戯曲でオペラを作曲することを決心します。その頃は、本日演奏する「3つの管弦楽曲op.6」をちょうど作曲していた頃でした。その後第一次世界大戦が勃発し兵役につきますが病弱なためすぐに事務職に回されます。この軍隊生活での人を人とも思わない理不尽な、ベルクにとっては耐え難かった経験がオペラ「ヴォツェック」の曲想に大きな影響を与えたといわれています。

 戦後は、これまた名曲である「叙情組曲」を作曲します。無調および12音技法で書かれた非常に緻密な音楽なのですが妙に熱いものを感じさせる曲です。実はこの曲、人妻のハンナ・フックス・ロべッティン(図4)への熱烈なラブレターでもあったのです。ただ、この不倫の恋は生前には発覚せず妻のヘレーネとの関係に問題は生じませんでした。

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図4:ハンナ・フックス・ロベッティン
ベルクの叙情組曲を贈った恋人で、マーラーの妻アルマの3人目の夫ヴェルフェルの姉である。
アルマはベルクとハンナ・フックスの不倫の恋を知っていた。

 1926年、数々の困難を乗り越えて「ヴォツェック」が上演されると大評判となり、一躍大作曲家としての名声を得ます。とはいってもその後も寡作であり、まとまった曲としては歌曲「ワイン」、ヴァイオリン協奏曲そしてオペラ「ルル」(未完)しか作曲していません。1935年に虫刺されが原因で敗血症にかかり亡くなってしまいます。アルマ・マーラーとその2番目の夫グロピウスとの間の娘の夭折を悼んで書いたヴァイオリン協奏曲が最後の完成した作品となります。

 ベルクは、写真からもうかがい知れるように上品で聡明、とても心やさしく魅惑的な人だったとのことです。その音楽は大編成で過激な音響が多用されてはいますが、その中に人間の弱さを実感できた人にしか表現できない深い感情がこめられているように思います。
(注)「ヴォイツェック」は、実際に起こった殺人事件をもとに19世紀の劇作家ビュヒナーが書いた未完の戯曲・下級軍人ヴォイツェックが、貧困と虐待により精神を病み、浮気をした情婦のマリーを刺殺し自分も溺死するという筋書きである。ベルクはこの戯曲に綿密に構成された無調音楽を付けることで、虐げられる者の抑圧された心情や、虐げる側の無邪気な残酷さを生々しく表現したオペラを作曲した。ここぞというところには超ロマンティックな調性音楽を配置して絶大な効果を生んでいる。なお、オペラでは主人公の名前が「ヴォツェック」に変更されている。

3. 3つの管弦楽曲 op.6 について
 1914年に作曲され、第1曲と第3曲はその年の9月8日にシェーンベルクに献呈されました。第2曲は遅れて翌年の8月にシェーンベルクに届けられています。師シェーンベルクの「管弦楽のための5つの小品op.16」を意識していることは明らかですが印象はだいぶ違います。シェーンベルクのほうは無調の技法確立を目的とし、官能性を故意に排除したような印象がありますが、ベルクのほうはとても官能的です。そういう意味ではマーラーの影響をより強く感じます。特に第3曲は後半のクライマックスでハンマーの打撃により打ちのめされてしまうとこ
ろや、悲壮な軍隊行進曲が出てくるあたりなど、ベルクが心酔していたマーラーの第6交響曲の終楽章や歌曲「レヴェルゲ(邦題:死んだ鼓手)」のオマージュであると言えます。また、ちょうど「ヴォツェック」を構想したときの作品であり両者には多くの類似箇所があります。

 初演は作曲されてからだいぶ経過してから行われています。その理由は、「きわめて演奏が難しいこの曲を二回程度しか練習できない通常のコンサートで取り上げることを了解しなかったためである」とベルクが書いています。また、ベルクの弟子がスコアを見て「シェーンベルクの5つの管弦楽曲とマーラーの第9交響曲を一緒に演奏したように聴こえるでしょう」と言ったそうです。確かに複雑で演奏上大変難しい曲なのですが、我々は音源を練習前にいつでも聴くことができ、本日までに高関先生そしてトレーナーの先生方のご指導で14回も練習してきましたのできっとあの世のベルクも了解してくれることでしょう。

第1曲:前奏曲
 最初は打楽器や低音楽器がモゴモゴと蠢いていますが、その中からファゴットのエロティックな長音のソロが浮き立ってきます。調性のない単純なフレーズでもなぜか歌心があるのがベルクの特徴です。続く艶かしいトロンボーンの超ハイトーンの異様な美しさも堪能ください。その後はベルクの真骨頂とも言うべきロマンティックな無調の旋律がオーケストラの各楽器群により繰り返されます。最後は再び打楽器等の蠢きで曲を閉じます。

第2曲:ワルツ
 ロマンティックな無調旋律による二分の二拍子の部分の後、高音の下降音形に導かれてヴァイオリンのソロにより酔っ払ったような卑俗なワルツが一瞬現れます。その後の物思いにふけるようなチェロやヴァイオリンのソロ、怪獣の叫びのようなフラッター奏法のトランペットなどで徐々に混乱状態(演奏自体は混乱しない予定)になった後、再びワルツが垣間見えます。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」のような雰囲気のところもあります。しかしワルツは長続きせず、木管のハイトーンによる静寂のうちに曲を閉じます。

第3曲:行進曲
 不気味な行進曲で始まります。マーラーの歌曲「死んだ鼓手」のパロディーでしょうか。一度盛り上がった後、危ない人の独り言のような小クラリネットのソロが続きます。その後は次第に激しさを増して冷酷な行進曲に突入。さらに狂気の度合いが増していき、音が分厚く重ねられて阿鼻叫喚の世界になったクライマックスでハンマーの三連発が打ち込まれます。再びゾンビのように立ち上がりますがさらに一発のハンマーとティンパニの連打がこれを叩きのめします。一瞬の沈黙の後の首を絞められた悲鳴のような高音や、その後のクラリネットとファゴットにより刻まれる上昇音型は何を意味するのでしょうか(「ヴォツェック」の印象的な場面に類似の音楽が使用されています)。最後に三み度たび立ち上がりますがハンマーの一撃により止めを刺されて終わります。

初  演:第1曲と第2曲のみ1923年6月5日、ベルリンにて
アントン・ウェーベルンの指揮。全曲は1930年4月14日、オルテンブルクにてヨハネス・シューラーの指揮。

楽器編成:
フルート4(ピッコロ持ち替え4)、オーボエ4(4番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット4(3番は小クラリネット持ち替え)、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン6、トランペット4、トロンボーン4、テューバ、ティンパニ2(奏者3人)、小太鼓、中太鼓、大太鼓、シンバル付大太鼓、グロッケンシュピール、吊りシンバル、合わせシンバル、小タムタム、大タムタム、トライアングル、ハンマー、シロフォン、チェレスタ、ハープ2、弦五部

参考文献
『アルバン・ベルク生涯と作品』 フォルカー・シェルリース(岩下眞好/宮川尚理訳)(泰流社)
『新ウィーン学派の人々 同時代者が語るシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルク』
ジョーン・アレン・スミス(山本直広訳)(音楽之友社)
『アルバン・ベルク 伝統と革新の嵐を生きた作曲家』 ヴィリー・ライヒ(武田明倫訳)(音楽之友社)
『20世紀を語る音楽』 アレックス・ロス(柿沼敏江訳)(みすず書房)

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