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R.シュトラウス:交響詩「死と変容」

高梨 健太郎(クラリネット)

 リヒャルト・シュトラウス3作目の交響詩「死と変容」は、1889年、彼が35歳の時に作曲された。死の床にある芸術家が、病魔と闘いながら自らの人生を回想し、やがて天に召されてゆくというストーリーを管弦楽作品にしたものである。「死と変容(Tod und Verklärung)」という表題は、「死と浄化」とも訳される。曲の結尾の雰囲気からは「浄化」と言うべき神々しさが感じ取られる。(注:この解説では、「死と変容」と表記させていただく)

 ストーリーのおおよその内容は下記の通りである。


 みすぼらしい小さな部屋の中で、ある芸術家が死との戦いに疲れ果て眠っている。
 柱時計が不気味に時を刻み、彼は不規則な息を繰り返す。
 子供のときの夢が、彼の顔に哀調を帯びた微笑みを浮かべさせる。
 突如、死は襲いかかり、容赦なく彼を揺り起こし、再び恐ろしい戦いが始まる。
 しかしこの戦いの勝利は決せられず、静寂が来る。
 彼は過ぎ去った日々に思いを馳せる。
 無邪気な幼い頃の日々。力の鍛錬に終始する少年時代。自己の理想を実現するための闘争。
 心から憧れた全てのものを彼は死の床にもまた求め続ける。
 再び死は彼に襲いかかり、最後の宣告を下し、死の鉄槌により肉体を引き裂く。
 芸術家の魂は肉体を離れ、死の恐怖は安らぎへと変わる。
 彼の求めた世界の浄化(変容)が、天空からの美しい余韻と響きと共に、
 永遠の世界の中で完成される。


 楽曲の聴きどころが聴き手により違うことは承知の上で敢えて申し上げる。「死と変容」の白眉は、この曲の最後の数分間、主人公である芸術家が天に召される情景であろう。「死と変容」のすべての部分はこのために存在すると言っても過言ではない。このラストシーンを、本日会場においで下さった皆様と一緒に是非味わいたい。


 「死と変容」は、不規則なリズム(八分音符2つ+三連音符3つの組み合わせ、(譜例1)が醸し出す不安な雰囲気で開始する。このリズムは、弱音器を付けた弦楽器や、弱く叩かれるティンパニにより提示される。病床にある芸術家の不規則な呼吸、今にも止まりそうな弱々しい脈拍を模し、死を予感させる。このリズム、手を変え品を変え各所に現れては、自らの運命に抗おうとする主人公を現実へと引きずり戻す。最初は弱く奏されるが、曲が進むにつれてだんだん明確に、強く大きな音で提示されてゆく。迫りくる死の象徴である。
対して、ハープの伴奏にのってオーボエが演奏する、少年時代の懐かしく優しい思い出を表す旋律が提示される。(譜例2)


 回想に浸り心穏やかになりかけた瞬間、突如ティンパニの強打に導かれて、死との壮絶な格闘が始まる。


 地の底を這いずりまわる様な恐ろしい旋律(譜例3)が弦楽器と木管楽器の低音に現れる。最初は長いフレーズで、次第にフレーズが短くなってゆき、たたみ掛けていく。(譜例3) 繰り返しさらされる死の恐怖に、主人公が立ち向かう。「闘いのテーマ」とも言うべき音型が現れる。(譜例4)


 病魔と闘い自らの運命に抗うような勇壮な雰囲気を持つこのテーマをもとに、全楽器入り乱れての強奏が続く。
 その強奏が頂点に達すると、「芸術家の理想」の主題が提示される。(譜例5)


 この主題は、低音から始まりオクターブの上昇を伴うという劇的な性格を持つ。各所でこのテーマが現れる。特に、曲の最後の芸術家が天に召される情景では繰り返し奏され、天上の高みに昇る様子を音型によっても表現している。
 強奏が止み、フルートによって少年時代のテーマが奏された後、芸術家の回想は青年時代にも及ぶ。希望に満ちた堂々たる旋律がホルンと木管楽器によって奏され、次第に全体を巻き込み熱狂的な盛り上がりを見せていく。そのような盛り上がりの最中でも「闘いのテーマ」「死を予感させるリズム」が現れる。(譜例6)


 ノスタルジックな回想の世界から死が目前に迫っているという現実へ容赦なく引き戻される心の痛みを演出するため、「死を予感させるリズム」をトロンボーンが演奏する場合は、「特に際立った印象を与えるため、観客にベルを向けて演奏すること」との指示が楽譜に書いてある。
 死を予感させるリズム」による度重なる中断を受けながらも、芸術家の青年期の回想は激しく情熱的に展開し、再び「芸術家の理想」の主題が輝かしく登場する。彼の人生における全盛期が絢爛たる管弦楽で表現される。
 しかし、また現実へ引き戻される。みすぼらしい部屋のベッドの上に横たわり、息も絶え絶えの情景が再び現れる。そして、再びテインパニの強打による死との闘いが始まる。もはやその闘いに勝つほどの体力・気力は残っておらず、やがて急速に音楽はその勢いを失ってゆく。上行型の半音階を弦楽器と木管楽器がだんだん小さく演奏することで、その様子を描いている(譜例7)。


 そしてついに、彼は現世を離れる。いったん静寂が支配し、弱く叩かれるタムタム(ドラ)が非現実的な世界観を雰囲気作り、生の終わりを告げる。
 人は死後どのようになるのかというのは永遠に正解が出ない問いである。リヒャルト・シュトラウスは、この曲の中でこの問いに敢えて答えている。「自分の理想が実現し、すべて満たされる」とでも言いたげなラストシーンをこの曲に用意した。「芸術家の理想」の主題が繰り返し奏され(譜例8)、輝かしく盛大なフィナーレを迎えるというものである。


 曲目解説としては、それだけで十分であろう。しかし、前半に書いた「皆様と一緒に是非味わいたいラストシーン」を存分に味わうためには、もう1つ味付けをしたいと思う。


 よく耳を澄ませていると、「芸術家の理想」主題の合間に、弦楽器によって少年時代の懐かしい思い出の主題が演奏されているのが分かるだろう。(譜例9)


 この部分の響きが、筆舌に尽くしがたいほど美しい。「芸術家の理想」と「少年時代の懐かしく優しい思い出」により構成されているこの箇所は、あたかも「ああ、良かったな。いい人生だった。」と昔を回想しているようである。そのような往生を遂げられるこの芸術家は、実はこの上なく幸せなのではないだろうか。そんなことを考えながら聴くと、まるで良く出来た映画のラストシーンを見ているような、そんな気分にさせてくれるのである。
 この幸福感に満ち満ちた響きの瞬間を、是非会場一体となって味わいたい。皆一緒に、リヒャルト・シュトラウスによる音の絵巻にしてやられてみませんか。



主要参考文献:
『交響詩<死と変容>(総譜)』リヒャルト・シュトラウス (オイレンブルク=全音楽譜出版社)

初演:1890年6月21日 リヒャルト・シュトラウス指揮 アイゼナハ市立劇場。
楽器編成:フルート3、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、タムタム、ハープ2、弦5部


※譜例準備中

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