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マーラー:交響曲第6番

松下俊行(フルート)

■ハンマーを巡って
『悲劇的』が演奏されるとなると、そこには必ずそのオーケストラ独自のハンマーが登場する事になる。楽員そして聴衆の感嘆・呆然・失笑が渾然一体となった束の間の賞賛を浴びては忘れ去られるこの「楽器」は、言うなれば死と再生を繰返しながら、着実に巨大化の道を歩んできた。

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 確かに最終楽章の大音響の中でこのハンマーの効果を引き出す事は難しい。そこで音量を補強する手段としてハンマーの質量増大が図られる。これは人類の限りない欲望の肥大と同様に、不可逆的な道筋となって久しい。前回よりサイズを小さくしましょうという声は、世界中の核兵器を廃絶しましょうというに等しく、誰もその実現を信じていない。どこのオーケストラがどんなハンマーを使い、いかなる末路を辿 たどったかも耳に入る。かくしてハンマーの大型化は更に加速され、それはひとたび振り下ろされるや、人間の運命の変転よろしく奏者のコントロールを離れてしまい、指揮者はひたすら落下するハンマーの到達点を見定めて、オーケストラに出を合図せざるを得ないという段階にまで、今や事態は深刻化しているのである。今世紀中には人力の及ばぬところまで極大化するだろう。
 マーラーはこのハンマーのパートを、総譜を脱稿した後に書き加えた。「金属的ではない性質の音。(斧を打ち込むように)」との指定がある。言うまでもなくハンマーは楽器ではない。打楽器として転用するにせよ、それは叩く為の道具であって、叩くべき発音体がなければならない。鐘を撞(つ)いて鳴るのは鐘であって撞木(しゅもく)ではない道理である(そしていくら撞木を大きくしても、鐘の音量は上がらない)。ところが作曲者は何を叩くかを指定せず、ただ音のイメージのみ示す。そこで一応は叩くべき対象について打楽器奏者は思案する。が、結局それよりは前述の通り、作曲家が指定しているハンマーの、サイズや仕様に帰着させてしまう傾向がある。基本的には指揮者も彼らの自主性に任せ、既存の楽器と組合せて現実の音を補強する挙に出る。と、その時点でハンマーは聴衆に対し、聴覚よりは視覚に訴え、彼らに実際以上の音を連想させる効果をもたらすべき象徴へと変質を遂げる。ここに於いてハンマーの無軌道且つ無謀とも見える巨大化は、音量を拡大する手段としては間違っているが、作曲者の意図を象徴する道具立てという意味では極めて正しいという結論が導き出される訳である。
 では新響のハンマーはどうか?というと、巨大化路線には与(くみ)せず、叩くべき発音体の追求に力点が置かれている。所詮ハンマーは叩くための道具に過ぎぬという方針は、『悲劇的』を初めて演奏した1980年以来30年間、一貫して冷徹なまでに堅持されているのである。さすがというべきであろう(ちょっと 淋しい気もするが…)。

 ハンマーによる打撃は当初5回書き入れられていた。その後3回に減らされ、初演では最終的に2回となった。だから妻であったアルマの語る、初演翌年の1907年に訪れるマーラーの人生への3つの打撃(長女の死・死病となった心臓病の判明・ウィーン宮廷歌劇場との訣別)の暗示とこれを解するのは、あとづけの理屈にもなっていない。この作品を書いた1903~4年はマーラーの人生に於いて順風満帆の時期だった。いま思えばあの時がピークだったとその後の結果を知る人は、そこに何らかの衰微の兆しを見出す事でひとつの物語を完結させようと努めがちである。マーラーの死後30年を経て語られたアルマの回想が、そうした「因果」の物語に満ちている事には、よくよくの注意を払わねばなるまい。

■『悲劇的』の誕生
 グスタフ・マーラーは1911年に51歳を目前に死んだ。その生涯に生み出した作品数は決して多くはない。音楽大事典に載るその全作品リストは2ページに満たない(「M」つながりで言えば同書に見えるモーツァルトのそれは25ページに及ぶ)。彼はウィーンの音楽院で作曲を学んだものの卒業時のコンクール選考に落ち、指揮者としてスタートした。ヨーロッパ各地の劇場を転々とし、37歳(1897年)でウィーン宮廷歌劇場の音楽監督の地位に登りつめる。この悲願の実現に際し、ユダヤ人たる彼はカトリックへの改宗に踏み切っている。ヨーロッパ最高峰、という事は世界最高峰の指揮者としての多忙な日々…年間に100回もの演奏会(勿論練習は別にある)…の中で、2ヶ月弱の夏の休暇期間だけが自らの創作に許された時間だった。
 限られた時間の中で彼の創作の主体となった交響曲は、最初期段階から従来このジャンルの作品が持っていた「時間の経過に伴う発展と終結」にこだわらぬスタイルを持っていた。それは例えばテーマの発展性に対する無関心であり、ソナタ形式からの離脱であり、楽章間の調的な連続性を含めた関連性の否定といったものある。卑俗な音楽をも採りこんだ作品は、ベートーヴェン以来の交響曲になじんだ聴衆に「つぎはぎだらけ」の印象をもたらし、故に指揮者の余技に過ぎぬとの非難も受けた。そうして最初の4曲の交響曲は書かれた。これらは並行して創作された彼の歌曲と密接な関係がある。20世紀を迎えて以降に書いた3曲の交響曲群は、様々な特殊楽器と前世紀に発達を遂げた管楽器を含んだ大編成の純器楽作品で、ウィーン宮廷歌劇場のオーケストラを掌中にしたマーラーにして、初めて完成し得た世 界だった。

 さて第6交響曲である。マーラーの全11曲の交響曲中ちょうど中間に位置するこの作品は、ソナタ形式(もちろん極度に複雑化している)による両端の楽章を備え、全曲に一貫するテーマをもつなど、ほぼ唯一古典的スタイルを保ち、彼のそれまで「交響曲」とは一線を画している。
 イ短調で書かれた交響曲は何故かこの作品以前には余り例がない(『スコットランド』くらいだろうか)が、それに加えて他の主要楽章もその調性に基づいているという一貫性。楽章間の調的関係についてこだわりを見せなかった作曲者が、こうしたスタイルを堅持している事はもっと注目されて良いだろう。この調性の持つ色調(トーン)が作品全体を覆い、交響曲としての統一感をもたらしている事は間違いないのだから。
 そしてこの色調ゆえに『悲劇的』の名も定着している。作曲者による命名ではないが、初演時のプログラムの表紙に既にそれは明示されており、指揮をしたマーラーもこれに頓着しなかった。聴衆は新しい音楽に込められている意味を見出すためのヒントを常に求める。それが片言であっても構わない。むしろ作品全体のムードを象徴する、気の利いたひと言を好む。そんな手垢じみた空疎な一言で作品が表現され得るものなら、作曲家は複雑で長大な音楽など書く必要もないのだが。マーラーは最初の交響曲に『巨人』の標題を用いたが、その標題と音楽の細部との関連について説明を求められる煩雑さ故に、これを撤回している。第3交響曲には楽章ごとに標題を付したが、やはり後に全て取り去った。このように標題によって作品の持つ多面性が損なわれる事を避けようと行動した同じ人物が、第6交響曲のみ看過した真意は最早わからない。
 「私の『第6番』は、私の最初の5つの交響曲を吸収し、それを真に消化した世代だけが、その解決を企てうる謎を提供するだろう」とはマーラーの書簡にある言葉である。晦渋(かいじゅう)な言葉だが、これまでの自身の交響曲の集大成を産み出した自信が伝わる。それが『悲劇的』の名を敢えて黙認するだけの余裕を、作曲者に与えていたと解すべきだろうか。

■第1楽章
マーラー特有の行進曲風の出だし。やがてこの作品に一貫する長和音→短和音のハーモニーの変転と打楽器による示導動機=「モットー」が現れる。次いでノスタルジックな旋律が提示される。アルマはこれを作曲者が与えた自分へのテーマと回想しているが、ソナタ形式の各主題としての対照性を際立たせている事の方がよほど重要だ。この2つの主題の提示部はマーラーの交響曲としては例外的に繰返される。
 途中チェレスタを伴ってカウベルが彼方から響く。作曲者はこれを「非音楽的な日常の響きの断片」となるように奏者に指示する一方で、「この演奏上の注意は、決して標題的な意味をもたらさないということ、その事ははっきり釘を刺しておきたい」と、具体的な情景と無縁である事を強調している。
 イ長調(同主調)に転じた第2主題を以って楽章は締めくくられる。

■第2楽章
 楽章配置に最後まで迷ったものの、初演を含めマーラー自身が指揮をした演奏は全てここに緩徐楽章を置いている。古典的な楽章配列に落ち着いたわけである。
 特徴のある跳躍の音型が動機となって、楽章全体を覆う。めまぐるしい転調の中で音響の色彩変化が繰返されるが、主調に戻り静謐(せいひつ)の中で終結する。

■第3楽章
 激情・無邪気・グロテスクといったあらゆる感情の錯綜する楽章と言える。スケルツォと題されてはいるが、激情の部分については第1楽章に通じる部分を持っている(同じイ短調)。続けて演奏されれば楽章の転換の気分は表れにくく、作曲者が配置を変えた理由のひとつと言われる。トリオにあたる部分は長調に転調し、拍子もめまぐるしく変わる。アルマは、マーラーとの間に設けたふたりの娘がよちよち歩く様の描写であり、やがてそれが長女の死に向かう楽想であると回想しているが、次女はこの作曲の最中に生まれたばかりであり、「ふたりの娘」の描写と矛盾する。ここにも彼女の牽強付会(けんきょうふかい)がある。
 モットーの長和音→短和音が繰返し現れながら次第に弱まって終わる。

■第4楽章
 マーラーの書いた最長の楽章のひとつ。ここだけで約30分かかる。長い序奏が入る最終楽章も彼の交響曲にはあまり無いスタイルである。このテーマは都合3回現れ、その都度モットーにつながっていく。
 ハンマーの打撃は、速度を速めた音楽の最高潮に1度、そして退潮の兆しが明確になった曲調を再度奮い立たせるために1度加えられている。当初考えられていた最後の打撃は3度目に楽章冒頭のテーマが現れる箇所であり、既に全体の音量も下がっている。これを「英雄への最後の一撃」と解する向きもあるが(作曲者がそうコメントしたという)、この部分にのみそうした具体性を追っても他の楽章から一貫したテーマが見えてくる訳ではない。せいぜいがこの楽章に限定された「気分」にすぎない。
 楽章冒頭の葬送的な旋律が金管群によって奏されたのち、打楽器を含むモットーが短和音のまま現れ て、断ち切られたように突然終わる。

主要参考文献
『音楽大事典』(平凡社)
『マーラー 全作品解説事典』長木誠司(立風書房)
『マーラー-音楽的観相学』アドルノ(法政大学出版局)
『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』アルマ・マーラー 石井宏訳(中公文庫)
『グスタフ・マーラー 生涯と作品』クルシェネク/レートリヒ 和田旦訳(みすず書房)
『ウィーン音楽文化史』渡辺護(音楽之友社)
『文化史の中のマーラー』渡辺裕(ちくまライブラリー)
『音楽の現代史』諸井誠(岩波新書)
『マーラー』村井翔(音楽之友社) 他

初  演:1906年5月27日エッセン 全ドイツ音楽連盟音楽祭にて作曲者自身の指揮による

楽器編成:ピッコロ、フルート4(3・4番はピッコロ持替)、オーボエ4(3・4番はコールアングレ持替)、コールアングレ、Esクラリネット(クラリネット持替)、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット4、コントラファゴット、ホルン8、トランペット6、トロンボーン3、バストロンボーン、バステューバ、ハープ2、チェレスタ、ティンパニ(奏者2人)、大太鼓、シンバル(合わせ-複数・吊り)、トライアングル(複数)、小太鼓2、タムタム、ハンマー、ルーテ(ムチ)、ヘルデングロッケン(カウベル・複数)、低音の鐘(複数)、シロフォン、グロッケンシュピール、弦五部
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