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ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品

山口裕之(ホルン)

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 ウェーベルンの「オーケストラのための6つの小品」は、今からちょうど100年前にあたる1909年に作曲された。この時期は、彼が生きていた世紀転換期ウィーンの文化にとって、大きなターニングポイントにあたり、その意味でも非常に興味深い作品である。
 1890年頃から第一次世界大戦が始まる1914年頃のウィーンの文化・社会は、一般に「世紀末ウィーン」という言葉で言い表されている。この時代には、それまでの貴族や富裕な市民層の文化・価値観に対して、文学・美術・工芸・建築・音楽などさまざまな領域で、相互に密接にかかわりつつ、この時期に集中して革新運動が展開されていった。画家のグスタフ・クリムト、作曲家グスタフ・マーラー、あるい はウィーン観光の目玉の一つである「分離派館」の設計者オルブリヒなどは、「世紀末ウィーン」の最 初の世代の芸術家たちである。
 それに対して、それらを乗り越えていこうとする、さらに革新的な芸術家たちが20世紀にはいって躍進してくる。強烈にデフォルメされた表現で内面を赤裸々に描出する画家のココシュカ、エゴン・シーレ、 装飾を廃し機能性・構造性そのものの表現のうちに現代の建築の価値を求めたアドルフ・ロース、そして、「不協和音の解放」を推し進めることによって、伝統的な音楽における中心的な基盤である調性を解体したシェーンベルクとその弟子たち(ウェーベルン、ベルクら)は、そのもっとも代表的な芸術家である。こういった転換を考えるとき、1908年という年は特に重要な意味をもっている。建築家アドルフ・ロースが、装飾批判の姿勢を明確に打ち出すエッセイ「装飾と犯罪」を発表したのが1908年であり、またウェーベルンの師シェーンベルクが、いわゆる「無調性」へと移行したのも1908年だった。マーラーがウィーン宮廷歌劇場の監督を1907年に辞任したのも象徴的な出来事といえるかもしれない。ウェーベルンも、シェーンベルクと同じ時期に調性を放棄した作品を作曲し始める。「6つの小品」も、ウェーベルンの無調性の時代における最初の重要な作品の一つである。今日演奏される二つの曲は、ウィーンという街に生きた二人の作曲家のほぼ同じ時期の作品でありながら、1904年に完成されたマーラーの交響曲第6番と、1909年に作曲されたウェーベルンの「6つの小品」のあいだに、どれほど大きな隔たりがあるかを感じ取っていただけるのではないだろうか。
 「調性」を放棄することによって作品の構成原理を失うことになり、無調期のシェーンベルクには、緊張が保たれる短時間のうちに表現が完結する作品か、あるいは時間的持続をテクストに依拠する作品かのいずれかの可能性しか残されていなかった、ということが一般にいわれている。そういったとらえ方に立てば、ウェーベルンの「6つの小品」も、短い時間のうちに表現が収束する代表的な作品の一つということになる(とくに短い第3曲は、たった11小節しかない)。しかし、しばしば「アフォリズム的様式」という言葉を当てはめられるこれら小品は、そういった消極的な理由による創作の結果といったものをはるかに越えて、まさに「アフォリズム」という凝縮された文学形式に対応するような強力で緊張感に満ちた表現様式をもっているといえるだろう。
 「6つの小品」を実際に耳にすると、かなり抽象的な作品であるという印象を受けるかもしれない。しかし、このそれぞれの曲には、きわめて具体的なウェーベルンの個人的体験によって与えられたイメージがかかわっているということを、作曲者自身が語っている。今日演奏される1909年の初版では、第4曲目に「葬送行進曲(marcia funebre)」という標題が添えられているが、これは直接的には、この曲が作曲される3年前(1906年)の母の死と結びついている。ウェーベルンは、1906年に母親が亡くなった後、折にふれその悲しみについて言及しており、この「6つの小品」に限らず、彼の作品の多くには、母親の死という奥深い体験の影がつきまとっているようだ。「6つの小品」は、この経験がもっとも直接的なかたちで現れている作品で、初演の数週間前の1913年1月13日にシェーンベルクに宛てた手紙の中で、ウェーベルンは、それぞれの曲の根底にある心的状態や出来事について次のように述べている。

 第1曲は、私がまだウィーンにいた時の私の心情を表現しようとしています。そのとき私は、不幸を予感しながらも、生きているうちに母に会えるのではないかとそれでも希望を抱いていました。その日は天気の良い日で、一分間ほどは、何も起こってはいないのだと確信していたのです。(第2曲)ケルンテンへ汽車で向かう途上、それはまさにその日の午後のことだったのですが、その事実を知ることになりました。第3曲は、エリカの香りの印象です。このエリカの花は、森の中の私にとってとても意義深い場所で摘みとったもので、私はこれを棺架の上に置いたのです。第4曲目には、あとになって「葬送行進曲」という標題を与えました。私は今でもまだ、棺の後ろを墓地へと歩いて行ったこの時の私の感情を理解できません。わかっているのはただ、そのあいだずっと、背筋をぴんと伸ばして歩いて行ったということだけです。それはもしかすると、広い範囲にわたってあらゆる低俗なものの力を退けるためだったのかもしれません。私の申し上げることを正しく理解していただきたいのですが、私はこの独特な状態について明らかにしたいと思っているのです。私はこのことはまだ誰にも話したことがないのですが、埋葬が終わった晩はほんとうに不思議でした。(第5・6曲)私は妻[当時の妻ヴィルヘルミーネ]と連れだってもう一度墓地へと足を運び、埋葬された塚に供えられた花環や花束をきれいにととのえました。私はいつも、母と身体的に近いと感じていました。わたしには母がやさしく微笑んでいるのが見えました。それは一瞬のことでしたが、至福の感覚でした。その後、2回の夏[実際には、3回の夏]がすぎて、ようやくまた自分の家に戻ることになりましたが、その夏の終わりにこれらの曲〔「6つの小品」〕を書いたのです。私は毎日、夕方頃に墓を訪れました。もう夕暮れですっかり暗くなっていることもよくありました。」

 さらに1933年、1928年に改訂されたこの曲が演奏される機会に、ウェーベルンは次のような短いコメ ントをある音楽雑誌に書いている。

 「この曲は、その多くが3部形式だという意味で、短い歌曲の形式を取っている。主題的な連関は、それぞれの曲の内部においても存在しない。そういったものを与えなかったのは、意識的に行ったことでもある。次々に変化してゆく表現を求めていたからだ。これらの小品――純粋に抒情的性質をもつ――の性格を簡単に述べると、第1曲はある不幸の予感を、そして第2曲目はそれがほんとうにそうなったという確信を表している。第3曲は、きわめて繊細な対立・コントラストを表す。それはある意味で、第4曲、葬送行進曲への導入となっている。第5曲、第6曲はエピローグ――回想と諦念――である。この作品は1928年に、新しく楽器編成を行った稿を重ねることになった。この改定稿は、初稿に対してきわめて簡潔なものとなっており、唯一有効なものと考えている。」

 1933年に書かれたこのコメントは、十二音技法時代のウェーベルンによって書かれたものだということをまず念頭においておく必要がある。このときのウェーベルンにとっては、無調性の時代に入ったばかりの1909年のこの曲の巨大なオーケストレーションに対して、より簡潔で透明性を増した改訂版が正しいものと考えられていたということになる。しかし、逆にいえば、無調性の時代の初稿は、改訂版とはまったく異なる志向を持つ作品として独自の価値を持つということもいえるだろう。
 それはともかくとして、作曲家自身によるこれら二つのコメントから、この「6つの小品」を形成しているある明確なイメージ、あるいは母親の死にまつわる「物語」が浮かび上がってくる。それは、確かに、そのとき体験されたさまざまな心情や出来事が、6つの曲においていわば時系列的に並べられることによって出来上がる物語である。しかし、それと同時に、1933年のコメントでこれらの小品が「純粋に抒情的性質をもつ」と述べられていることを見逃すべきではないだろう。「抒情的」とは、「叙事的」に対置される言葉として、「物語」として語られるものではなく、ある感情や印象そのものの表現にかかわる。この作品の各曲に仮に標題が与えられることになったとしても、それらは、R.シュトラウスの交響詩にしばしば見られるように、ある種の物語を紡ぎだすものではなく、あるイメージに対してそれを何らかのかたちで呼ぶために名前がつけられたと考えられるだろう。「6つの小品」が作られたとき、そこには確かにウェーベルン自身が語っているような物語的な流れが存在していたかもしれない。しかしそうだとしても、それぞれの曲が「純粋に抒情的性質をもつ」ということは、これらの小品によって与えられるものは、出来事の描写ではなく、出来事によって生み出されたウェーベルンのイメージそのもの、つまり音楽そのものということになるだろう。

6つの曲のそれぞれには、次のような速度・表情の指示、標題が与えられている。
第1曲 ある程度動きをもった♪(八分音符)
第2曲 動きをもって
第3曲 繊細に動きをもって
第4曲 ゆっくりと(♪) 葬送行進曲
第5曲 非常にゆっくりと
第6曲 繊細に動きをもって

主要参考文献
『Anton von Webern.Chronik seines Lebens und Werkes. Zürich』Hans und Rosaleen Moldenhauer(Atlantis 1980)
『ヴェーベルン西洋音楽史のプリズム』岡部真一郎(春秋社2004年)

初  演:1913年3月31日 シェーンベルク指揮 ウィーン「私の師であり、友であるアーノルド・シェーンベルクに、この上ない愛情を込めて」献呈

楽器編成:フルート4(ピッコロ2、アルトフルート)、オーボエ2、コールアングレ2、クラリネット3(Esクラリネット)、バスクラリネット2、ファゴット2(コントラファゴット)、ホルン6、トランペット6、トロンボーン6、テューバ、ハープ2、チェレスタ、ティンパニ(奏者3人)、大太鼓、シンバル、トライアングル、小太鼓、タムタム、グロッケンシュピール、低音の鐘、ルーテ(ムチ)、弦五部
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