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ディーリアス:ブリッグの定期市

山口奏子(オーボエ)


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Delius in 1912 Jelka Delius (ディーリアス公式HPより)

 それは8月5日のことだった
 天気はすばらしく晴れていた
 ぼくはいとしい恋人に逢うために
 ブリッグの定期市に出かけていった

 ディーリアスの作曲した<ブリッグの定期市>は、同名のイギリス民謡をテーマとする変奏曲ですが、その民謡は、こんな歌詞で始まる優しくて柔らかい歌です。< br>  ディーリアスはイングランド北部ヨークシャー州ブラッドフォードの生まれ。ブリッグ(Brigg)という街からおよそ70㎞西北西という近さから、幼い頃に耳にした民謡をモチーフとして取り上げて作曲したのかな?と思ってしまうのですが、彼がこの素敵な旋律に出会えたのは、グレインジャー(Percy Grainger, 1882~1961)という優れたピアニスト&作曲家がいたからでした。
 オーストラリア(当時イギリス領)出身のグレインジャーは、ノルウェーに晩年のグリーグを訪ね、民俗音楽に関心を持つようになります。そして、イギリス各地で民謡を収集して回り、エジソン発明の蝋管蓄音器を用いて数多くの歌を記録しました。このため、集めた歌の一つである民謡<ブリッグの定期市>も、幸いなことに地元の老農夫ジョゼフ・テイラー(Josef Taylor)の艶やかな声による録音が残っています。グレインジャーはこの民謡に和声づけし、合唱曲にアレンジして発表しました。
 1906年、グレインジャーとディーリアスは病床にあったグリーグの紹介で知り合い、親交を深めるようになります。ディーリアスがグレインジャーを自宅に招いた際に、グレインジャーが<ブリッグの定期市>を弾いて聴かせたところ、ディーリアスはすっかり魅了され、この旋律を作曲に使う許可を求めました。翌年、書き上げられた<ブリッグの定期市>はバーゼルの音楽祭で初演され、好評を博します。この頃から、イギリス人指揮者のビーチャム(Sir Thomas Beecham, 1879~1961)がディーリアスの才能に惚れ込み、イギリスで彼の作品を盛んに演奏したため、彼の音楽が母国で高く評価されるようになりました。
 ちなみに、グレインジャーは、ジョゼフ・テイラーが歌の第2節までしか覚えていなかったため、他のイギリス民謡("Low down in the broom" と"The Merry King"の2曲)から歌詞を取り、付け加えました。その後録音された民謡<ブリッグの定期市>には様々なバージョンがありますが、グレインジャーがまとめたのは次のバージョンだといわれています。

It was on the fifth of August, the weather fine and fair,
Unto Brigg Fair I did repair, for love I was inclined.

I rose up with the lark in the morning, with my heart so full of glee,
Of thinking there to meet my dear, long time I'd wished to see.

I took hold of her lily-white hand, O and merrily was her heart:
"And now we're met together, I hope we ne'er shall part".

For it's meeting is a pleasure, and parting is a grief,
But an unconstant lover is worse than any thief.

The green leaves they shall wither and the branches they shall die
If ever I prove false to her, to the girl that loves me.

(第2節以降の日本語訳(例))
ぼくはよろこびに胸をふくらませて
朝早くひばりとともに起きた
ずっと逢いたいと願っていた
あの娘に逢えるのだと思って

ぼくは彼女の白百合のような手をとった
すると彼女の心もときめいていた
「ようやく逢えたのね
もう決して離れたくないわ」

逢っているときは楽しくて
離れているときは悲しい
けれども心変わりするような恋人は
どんな盗人よりもひどいもの
緑の葉はしおれ
枝は枯れてしまう
もしぼくを愛してくれる恋人を
ぼくが裏切ったりしたら

 ところで、ブリッグは、イングランド中東部リンカンシャー州北部の、海辺から約20㎞離れた場所にあるほんとうに小さな街です。英国政府観光庁の説明によると、ブリッグはグレインジャーとディーリアスにより有名になった街とのこと。古くから、聖ジェイムズの祝祭日(旧暦7月20日)から数えて5日間、定期市(縁日)が開かれていました。暦が変わり開催日が8月5日に移りましたが、いずれにしても年に1回しかない催し物だったわけです。定期市に行かないと逢えない恋人だったのでしょうか…。なお、現在も、8月5日に夏祭りのようなBrigg Fairが開催されており、ダンスショーや手工芸品や美術品の店といった出し物があるようです。

 この辺でディーリアスについても少し触れておきたいと思います。彼は裕福なイギリスの羊毛商人の家庭に育ち、ロンドンのカレッジ卒業後、一旦は父親に従い家業の羊毛会社に入りました。しかし、幼い頃からヴァイオリンやピアノを習い音楽に親しんでいた彼は、どうしても音楽の道に進みたかったため、当時盛んになっていたフロリダ州でのオレンジ栽培を口実にして父親を説得し、自由と資金を獲得します。案の定オレンジ栽培は放ったらかし。彼は音楽の勉強や作曲に積極的に取り組み始めました。農園で働く黒人労働者たちの音楽にも夢中になったといいます。
 そのうち父親が諦めてライプツィヒ音楽院入学を許可し、1886年、晴れて音楽の道に。在学中に出会ったグリーグからは、音楽的に強い影響を受けただけでなく、卒業後もグリーグの口添えによりパリで作曲活動を続けられることになるなど随分と世話になりました。
 1897年、ディーリアスは女流画家のイェルカ・ローゼンとともに、パリ近郊の村、グレ=シュール=ロワンに移り住み、結婚します。グレでの生活は、家の庭やすぐ近くを流れるロワン河など、その後のディーリアスの楽想を刺激するものに満ち溢れており、アメリカで触れた黒人音楽や、パリで出会ったゴーギャンやムンクといった後期印象派あるいは象徴主義と呼ばれる画家たちとの交流などとともに、彼の作品に大きな影響を与えました。
 ディーリアスの音楽は、他の誰とも違う、独特の個性を持っているといわれています。19世紀後半の後期ロマン派に属しているものの、自由にしなやかに移ろうハーモニーの変化が、ディーリアスらしさを表しています。
 また、音楽が絵画に喩えられることがよくありますが、ディーリアスはイギリス史上最も偉大な画家と呼ばれるターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775~1851)に喩えられることが多いようです。ターナーは、特に水彩画の分野で高い業績を残したロマン主義の風景画家です。絵の多くは明るく透明感のある微妙な色彩で満たされており、物の輪郭ははっきりしていません。霧の中のような、まるで風景のなかの空気が描かれているように見えるのです。ディーリアスの描くハーモニーの移ろいは微妙で、ちょうどターナーのとらえた光や色彩の変化を想い起させるようです。

■序奏(ゆっくり、牧歌的に)
 フルートがハープのアルペジオに乗って牧歌的な旋律を奏でる。夏の朝、まだ靄がかかる頃の田舎の空気の感じ。湿度や温度さえ肌に感じられるような美しい旋律である。
■主題(軽く楽な速さで)
 オーボエがクラリネットとファゴットの作る独特の和声の上で、イングランド民謡<ブリッグの定期市>の主題をやわらかく歌う。
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 この旋律が和声、リズム、テクスチュアを変化させながら各楽器へと受け継がれる。木管楽器、弦楽器からホルン、そして最後にトランペットへ。トランペットによる第六変奏の頃にはだいぶ盛り上がってくるので、大きな楽器編成にも納得いただける…と思う。
■間奏(ゆっくりときわめて静かに)
 フルートが序奏の旋律を回想し、弱音器をつけたヴァイオリンが美しい旋律を歌う。少し悲しげな旋律はコールアングレやホルンに引き継がれていく。
■第七変奏~(やや速く、しかし慌てずに)
 少しだけ速度があがり、クラリネットやフルートが主題の変奏を奏でる。
■第九変奏~(ゆるやかなテンポで)
 木管楽器の変奏に対してヴァイオリンが副主題を奏でる。この副主題は少しワーグナーを想起させる旋律。
■第十一変奏~(ゆっくり荘厳に)
 トランペットとトロンボーンが荘厳な主題の変奏を奏した後、木管楽器とホルンに旋律が受け継がれ、周りで様々な楽器が八分音符の後打ちを入れ、めまぐるしくハーモニーを変化させながら曲が進む。この曲の中で一番混沌としている箇所。市の雑踏を複数のカメラで撮影し、素早く切り替えながら見せ、所々恋人たちの映像がちりばめられているような感じ。
■第十三変奏~(陽気に)
 フルートとクラリネットによる変奏。恋人たちの楽しげな様子。さまざまな楽器による変奏が続き、曲は最高潮に。打楽器が明るい色彩感を与える。
■コーダ(きわめて静かに)
 オーボエが再び静かに主題を奏で、ゆっくりと消え入るように終わる。

参考文献
「ディーリアス<ブリッグの定期市>(ポケット・スコア)」日本楽譜出版社
「ディーリアス管弦楽曲集 バルビローリ指揮 ロンドン交響楽団」CD曲目解説
ディーリアス公式HP、英国政府観光庁HP

初演:1907年10月23日、バーゼルにて。指揮はズーター(Hermann Suter, 1870~1926)。イギリスでの初演は翌年1月11日、リヴァプールにて。バントック(Granville Bantock, 1868~1946)指揮。

楽器編成:フルート3、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン6、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、チューブラベルズ(チャイム)、トライアングル、ハープ、弦5部
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