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知られざる名曲 エルガーの交響曲第2番

箭田 昌美(ホルン)


 維持会員の皆様、いつも応援頂きありがとうございます。第232回演奏会で取り上げるエルガーの交響曲第2番について書かせて頂きます。


 さて、普段クラシック音楽に親しんでいらっしゃる方でもエルガーの交響曲をご存知の方は少ないのではないでしょうか。私も今回演奏会の候補となるまで演奏したことも、聴いたこともなく、また正直なところ興味の対象外でした。私が知っているエルガーの曲といえば『威風堂々』、『愛の挨拶』、そして新響でも取り上げた『エニグマ変奏曲』の他にはチェロ協奏曲位でしょうか。オーケストラのレパートリーとして広く親しまれているのは『威風堂々』の第1番、そしてやや通好みかもしれませんがエルガーの出世作である『エニグマ変奏曲』も取り上げられる機会が多い曲です。またチェロ協奏曲も今日では名曲として知られていますが、この曲の知名度は悲劇の天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの影響によるところが大きいでしょう。特にエルガーやイギリス音楽のファンでもない私が今回この文章を書いているのは全く未知だったエルガーの交響曲第2番を演奏する機会を得たことに大いなる喜びを感じているからです。ですから専門的なことではなく、一ホルン奏者の個人的かつ主観的なこの曲への思いを書かせて頂きます。
 といいつつもまず若干解説的なことを書かせて頂くと、エルガーは42歳の時に作曲した『エニグマ変奏曲』により作曲家としての名声を確保します。そして『威風堂々』第1番の大成功、交響曲第1番、ヴァイオリン協奏曲と初演時から好評で迎えられます。しかし、ヴァイオリン協奏曲の翌年に作曲されたこの交響曲第2番の初演は不評で成功とは言えませんでした。ちなみにチェロ協奏曲の初演も失敗で、真価を認められるまで時間を要しています。
 さて、交響曲第2番の初演が不評だったことの個人的な推察です。交響曲の第1番も第2番も演奏時間60分近い大曲です。第1番はフランクの交響曲のような循環形式にて作曲されていて、冒頭に提示されるテーマが繰り返し演奏されます。またこのテーマが明らかにテーマと分かる聴き取りやすい旋律であり、初めて聴いた人も繰り返されるテーマに親しみを感じられたことが初演から好評だった一因とも考えられます。それに対して第2番は華やかな曲想で快活な部分も多いのですが、音が多く、動きが細かい、悪く言えば騒がしい印象を与える可能性もあり、もう少し整理して聴きやすくしたらと思わないでもない一面があります。多分、初演が失敗だった要因としてエルガーが書いた情報量が多すぎて聴衆の多くが戸惑ったのではないでしょうか。また静かに消えるように終わる最後が肩透かしだったとも言われています。今日でも第1番の支持者は第2番を好まず、第2番の支持者は第1番を好まないという傾向があるようです。


 この文章を書いているのは約3か月の練習期間の半ばですが、私は毎週、この曲の練習をすることをとても楽しんでいます。とんでもなく難しい箇所や金管奏者として耐久力を要求されることはあるのですが、それでも音を出すことが気持ち良いのです。それは大学のオーケストラに入り、いつか演奏してみたいと思う曲が沢山あって、あこがれの曲を演奏できる新鮮な喜びを感じていた若かりし頃に近い感覚かもしれません。
 少し話がそれますが演奏者というのはどの楽器であっても基本はその楽器の音が最も美しく心地良く響く、いわゆる良い音を目指し日々研鑚を積んでいます。ですが音楽表現というものは心地良い音だけでは成り立ちません。時には演奏者が不快に感じる音も要求されますし、その曲が生まれた文化背景によっては奏者が好むスタイルとは異なる音質や表現が求められることもあります。我々日本人の演奏者はもちろん一人一人の趣味嗜好は異なるものの、ベートーベンやブラームスなどドイツ音楽が好きで、目標はベルリンフィルと思っている人が比較的多いと思います。
 新響は最近でこそフランス音楽を得意とする矢崎氏の薫陶を受け、フランス物を少しはそれらしく演奏することも出来るようになってきましたが、やはり、フランス音楽やロシア音楽のスタイルが身に付いている訳ではなく、「ドイツ音楽ではないのだから」という注意を受けながらのリハーサルを経てなんとか演奏会を迎えています。
 今でこそ世界中のオーケストラが国際化して国毎の特徴が薄れつつありますが、少し前であればフランスのオーケストラ、ロシアのオーケストラなどとても個性ある音色を持っていて真似しようと思っても出来るものではありません。もちろんフランス的なとかロシア的なというものが音色の猿真似ではなく、可能な範囲での音質の調整、発音やアクセント、アーティキュレーションなどの工夫し、その曲にふさわしい音楽表現を実現していくものなのですが、不慣れな曲への戸惑いや違和感を覚えながら、ということが無くもありません。
 誤解なきように付け加えるなら新響はどんな曲であってもその曲の本質を捉えた演奏をしようと真摯に取り組んでいます。そして毎回の演奏会で反省を踏まえながらも少なからず達成感を得ることが出来きています。アマチュアとしての限界はあるものの、真面目に取り組んだことは結果に反映されることを知っていて常にベストを目指すというのが新響の良いところと自負しています。


 さて、ではエルガー的なイギリス的な音とはと考えてみると、例えばイギリスのオーケストラでもオーボエとかクラリネットとか楽器によってはとても特徴的な音色を出しているものもあります。ですがイギリスのオーケストラの音は音色的な特徴というよりも総じて自然体で無理が無く柔らかく豊な響きを持っていることにあるように思います。エルガーのスコアには、あまり馴染みのないnobilmente(上品な、気品のある)という指示がありますが、正に上品で気品のある音こそイギリス的な音の特徴です。そして、そのような音は先に書いた各演奏者がその楽器にとっての理想とする良い音を出そうとすることに通じるのです。それゆえ難しい箇所はあっても音を出すことにストレスがなく、演奏していて音を出すことが心地よいと感じられるのだと思います。
 話が脱線してしまいましたが、ホルン奏者の視点でのエルガーの交響曲第2番の魅力を書きたいと思います。
 まずこの曲は変ホ長調で書かれています。変ホ長調は調性の性格的には「壮大で英雄的」と言われています。変ホ長調で書かれた名曲としてはベートーベンの第3交響曲『英雄』を始め、シューマンの第3交響曲『ライン』、R.シュトラウスの『英雄の生涯』とホルンが活躍する「壮大で英雄的」な曲が並びます。またホルン協奏曲には変ホ長調で書かれたものが多く、ホルンと最も相性の良い調性であり、ホルンが朗々と鳴り響きく調性なのです。そしてこの曲もその例に違わず全楽章に渡り、ホルンが大活躍します。またホルンに限らず金管楽器の出番が多く、また金管楽器に細かい動きまでも要求していることに特徴があります。それは金管バンドの活動が盛んな金管大国イギリスならではと言えます。この曲は「エルガーの英雄交響曲」と呼ばれることがあります。それは元々、チャールズ・ジョージ・ゴードン将軍という英雄と称える曲を書こうという動機があったこと、ベートーベンの『英雄』交響曲と同様に第2楽章が葬送行進曲風であることなどからですが、曲の完成時にはゴードン将軍を称えるという動機は薄れていたようです。また葬送行進曲は国王エドワード7世の崩御に対して書かれたとされることがあるようですが、実際は親友のアルフレッド・ロードウォルドへの追悼だったというのが真実のようです。また故エドワード7世に献呈されたこの曲は大英帝国の黄昏と形容されることもあり、華やかでもあり、気品と優雅さを備えながら、懐かしさや慈愛に満ちており、20世紀の初頭に作られたロマン派の音楽の集大成でもあります。総合的にはエルガー独自の音楽でありながら、部分的にはワーグナーやブルックナー、あるいはシベリウスなどを連想する箇所もあります。
 また多彩なオーケストレーションによるダイナミックなオーケストラサウンドはハリウッドの映画音楽の先駆け的でもあります。実は私が最初にこの曲のCDを聴いた時にイメージしたのは『スターウォーズ』です。
 第1楽章冒頭からの華やかな音楽は勝利の凱旋を想起させ、私的には『スターウォーズ』第一作エピソード4の最後、ルーク達がメダルを授与される式典が頭に浮かびました。憂いを帯びたチェロによる第二主題の後の展開部は静かな部分が多いのですが、陰影や色彩の変化に富み、ここも無重力の宇宙空間の漂いを感じます。壮大な一楽章の最後はホルンにさえ、2オクターヴの半音階の上昇音型を演奏させ華やか終わります。
 葬送行進曲と言われる第2楽章は確かに葬送的な音楽ではありますが、荘厳さの中にも激しい感情の起伏も感じられ、深く感動的な音楽はブルックナーのアダージョに通じるものがあります。第2楽章は本当に感動的で個人的にはこの交響曲の一番の聴き所だと思っています。
 続く第3楽章は軽快なスケルッツォですが、演奏する上ではとても難しい楽章です。8分の3拍子のプレストの楽章でありながら16分音符の音型をホルンやトロンボーンが演奏することを要求しています。第3楽章は内容的には軽めだと思いますが、変化に富み、楽しめる音楽だと思います。
 第4楽章はチェロと低音管楽器によって静かなテーマで始まりますが、紳士的であり懐かしさや郷愁を感じます。この楽章全体に過去の栄光を懐古するといった趣があり、それが黄昏と呼ばれる所以でしょう。この楽章の第二主題ではエルガーが自筆のスコアに親友である大指揮者ハンス・リヒターに対し、「これは君自身だよ」と書き込んでいますが、この朗々かつ堂々としたテーマはとても印象的です。展開部では非常に難しい音型が続き、演奏者にとっては難所が続きます。終盤では様々な主題が交錯し大きな盛り上がりをみせるものの、最後は第1楽章の主題を回想しつつ静かに消えるように終わります。この終わりこそがこの曲の魅力であり、寂しさや懐かしさを感じつつなんとも心地よい余韻を残してくれるのです。


 さてここまで書いてきたようにこの曲の魅力は素晴らしい旋律、テーマに満ちていること、ダイナミックなオーケストラサウンドを堪能できることです。全楽章にこれでもかと溢れる旋律はどれもが魅力的で、素直に音楽って良いなと感じられます。ですが下手な演奏をしてしまうと整理がつかずにただ騒がしい音楽になってしまう可能性もあり、またアンサンブルの乱れが曲を台無しにしてしまうことも有り得ます。指揮者の湯浅氏はこの曲は20世紀の交響曲の最高傑作のひとつとの思い入れを持っており、演奏会に向けてこの曲の魅力が最大限に伝えられるように団員一同準備しておりますので、どうぞ湯浅卓雄/新交響楽団によるエルガーの交響曲第2番にご期待ください。

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