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新交響楽団の点字プログラム

岡本 明(元団員)

 元団員の岡本 明と申します。維持会員の皆様には新響に対する絶大なご支援、心から感謝しております。
 私は1966年の入団以来、40年以上の長きにわたって新響に在団させていただき、ビオラパートで、もっぱら雑音・非協和音の生成に貢献してまいりました。大学在学中、先輩の命令によって有無を言わせず入団させられてから、ついつい長居をしてしまいましたが、65歳前期高齢者という称号を国家からいただき、職場も定年退職という節目にあたり、前回の演奏会をもって退団させていただきました。思えば高校時代に初めてオーケストラに入り、最初の曲がシューベルトの『未完成』でした。そして尊敬する飯守先生のシューベルトとブルックナーの未完成交響曲2曲をもって新響生活を終えるというのは実にかっこいいものと思い、このチャンスしかない、というのが退団の理由です。
 ビオラの片隅で弾いていた私の音は維持会員の皆様にはまったく聞こえていなかったと思いますが、それはビオラ弾きの最大のスキルである、皆から0.01秒遅れて音を出して決して飛び出さないようにすること、間違った音を出しても0.01秒以内に弾くのをやめて巧みにごまかすことに卓越していたからであります。このような私のいる新響を聴きに来て下さり、応援していただいている維持会員の皆様には心から感謝しております。退団にあたり改めて御礼申し上げます。

 さて、音楽面ではまったく役立たずの私でしたが、新響の場を利用させていただいて世の中にアピールを試みていることが一つあります。それは演奏会での点字プログラムの配布です。そのきっかけは次のようなことでした。
 「この間、お芝居を観に行ったら点字のプログラムがあったんです。簡単なものだったけど、おかげで筋が良くわかって楽しかったです。でも音楽会ではもらったことがないですね。」
数年前、ある全盲の女性と一緒に演奏会に行ったときに彼女が言った言葉です。「そういえば、どうして音楽会では点字プログラムを配らないんだろう。視覚障害のある人にとってはお芝居よりも音楽会の方が行く機会は多いのではないだろうか。」そう思って、プロのオーケストラの中のふたつほどに聞いてみたのですが、点字プログラムは配っていないという返事でした。そこで、じゃあ新響の演奏会で点字プログラムを配ってみようか、と考えたのです。

 点字とは、ご存知の方も多いと思いますが、眼が見えない方のための、触って読める文字です。英語ではBraille(ブレイル)と言います。これは点字の発明者であるフランスのルイ・ブライユの名前にちなんだものです。発明者と言いましたが、実は最初に点字を考案したのは、やはりフランス人の軍人だったシャルル・バルビエという人です。真っ暗な中で軍事情報をやり取りするために、12の点を使ってアルファベットを現す暗号文字を考えたのです。戦争が一段落した後、バルビエはこれを盲の人の文字として使えないかと考えて盲学校に持ち込みました。そこの生徒だった12歳のルイ・ブライユはそれを見て、これだ!と思ったのでしょう、点字の研究に明け暮れ、やがて6点のアルファベット点字を作り出したということです。このとき彼はまだ15歳の少年でした。ブライユは20歳のときに『点を使ってことば、楽譜、簡単な歌を書く方法』と言う本を出しました。これが点字が公開された最初です。ブライユははじめは点字を音楽のために使おうと考えた、ということですから、点字と音楽は縁が深いのです。
 なお、昔はフランス語のアルファベットにはWの文字がなかったのでこの最初の点字にはWがなかったそうです。歌が盛んなイタリア語もWがないようですから、必要なかったのですね。

 6点点字はサイコロの6の目と同じく、縦に3つの点を横2列に並べた6点の組み合わせでカナ1文字を表します。日本では一般に使われている点字はすべてカナを基本としていて、漢字はありません(漢字点字もありますが、まだあまり普及していません)。すべてがカナで表されるので(カナというよりは,耳で聞く表音ベースと言う方が正しいかもしれません)、読み間違えのないように、文節ごとにスペースを入れる・改行後の新しい文の始まりはスペースを2つ入れる・などの決まりがあります。また、助詞の「は」「へ」はそれぞれ「わ」「え」で書く、「う」で伸ばす言葉は長音にするというルールもあります。たとえば「私は新交響楽団の演奏会へ行く」は「わたしわ しん こーきょー がくだんの えんそーかいえ いく」となります。これも耳で聞こえたのに近い表現をするためということです。さらにいくつかのルールがあり、なかなか奥が深いものです。

 私はこの3月に定年になるまで、視覚障害・聴覚障害のある学生のための唯一の大学である国立大学法人筑波技術大学の教員をしておりまして、視覚障害や聴覚障害のある学生に教えておりました。重度の視覚障害のある学生に教えるためには点字の教科書を作らなければなりません。眼が見える私はまず普通の文字(インクで印刷するということから「墨字(すみじ)」といいます)で教科書を作ってからそれを点字に変える(点訳といいます)のですが、分からないことが多くて苦労していました。点字プログラム作成はその勉強にもなるし、視覚障害のある人にも喜んでもらえるなら、一石二鳥だというわけで始めたのです。新響も一所懸命練習をした成果をできるだけたくさんのお客様に聴いていただきたいのですが、長屋の大家の義太夫のように強制することもできず、お客様集めには毎回苦労しています。もし点字プログラムを作ることでお客様が一人でも増えるなら、一石三鳥にもなるわけです。さらには、もしこれが広まって、どの演奏会でも点字プログラムを配るのが当たり前、というようになるきっかけになれば、一石四鳥です。
 恥ずかしながら私は正式に点訳の講習を受けたことがありません。しかしありがたいことに、点訳ソフトがあるのです。パソコンで作った漢字・かな混じりの文章をそのソフトに流し込んでやればあっという間に点字に変えてくれて、点字プリンタにかければ点字印刷ができあがります。じゃあ点字については何も知らなくても点訳ができるかというと、そうはいきません。点訳ソフトでできた点字文書にはいくつか誤りが発生します。人間でないと分からないこともあります(たとえば人の名前で、長田さんは「ながたさん」なのか「おさださん」なのかは機械には判断できません)。人手による校正が必要です。私は基本的に点訳ソフトに頼って、校正は見様見真似というか、分からないところは点字に詳しい人に聞きまくってやっている状態です。この校正は、点字のチェックだけでなく、もとの原稿の誤りを見つけるチェックにもなるので、プログラム作成担当者からは感謝されています。誤りではないけれど、日本語として少しおかしいような文章もこの段階で著者にアドバイスします。
 以前はこのまま、「専門の点訳者が点訳したものではありませんので、誤り等があるかと思いますが、ご容赦ください。」という弁解をつけて、自分で数部プリントしていました。しかし受け取った点字使用の方から基本的な誤りをいくつか指摘され、やはりきちんと校正しなければならないと反省し、2年ほど前から専門の点訳者の方に最終チェックと修正をお願いすることにしました。幸いなことに、日本点字図書館のベテランの点訳者の方がボランティアで引き受けていただけることになりました。お願いすると毎回かなりの修正を入れて返してくださいます(ということは以前チェックなしで出していたものはとてもひどいものだったということであり、いまさらながらに申し訳なく、赤面しています)。さらに、ただチェック・修正するだけではなく、その理由もきちんと説明していただけるのです。また点訳者の心得も教えていただけます。おかげで私の点訳の腕も以前よりは少し上がってきていると自負しています。
 点字プログラムの印刷は日本点字図書館にお願いしていますが、大変リーズナブルな価格で印刷していただき助かっています。

 実はこの点字プログラム、困ったことがあります。それはとても分厚くなってしまうことです。点字は触って読むため一文字が墨字よりずっと大きく、そのため,墨字1ページは点字ではおおむね3,4ページになります。新響のプログラムはとくにページ数が多く、墨字で20ページにもなることがあります。それを全部点字化すると60ページ以上にもなってしまうのです。印刷のコストもかかりますし、持ち運びも大変です。読む方も大変です。両面印刷もできるのですが、それでも30枚以上になります。
 私は、障害のある方も可能な限り、障害のない人と同じことができるようになるのが理想だと考えています。点字プログラムも墨字のものとまったく同じものを作りたいと思っています。また、視覚障害のある方がふらりと演奏会に来られてもいつでも点字プログラムが用意されているようにしたいと思っています。しかし実際には、どんなにがんばっても墨字のものとまったく同じ情報は提供できないのです。図や写真は点字にできませんので、説明文で代替しなければなりません。曲の解説にときどき譜例(楽譜)が出てきますが、これは楽譜専用の点字を使わないと表現できず、いまの点訳ソフトでは作れません。一般の点字使用者の方も読める方は多くないので、これは省略しています。団員名簿はページ数の関係から点字版では省略してしまっています。はたしてこれで良いのか?といつも迷いながら作業を進めています。いつでも点字プログラムを渡せるようにするというのも、実際には点字印刷にはコストもかかりますのでなかなか難しいのです。できるだけ余分な印刷をしないですむようにするには、何人の点字使用の方が見えるのかを事前に予測する必要があります。そのためには事前申し込みをいただくようにするのが一番簡単ですが、それでは一般の人と違うことを要求することになってしまいます。幸い、今のところ新響演奏会にお出でになる点字使用の方は、日本点字図書館や筑波大学付属視覚特別支援学校(以前の盲学校)で取りまとめていただいている方が多いので、大体の数を知ることができています。しかし本来は、ふらりと来られても点字プログラムがちゃんとあるようにしたいものと思っています。

 ところで、最近改めて調べてみたところ、実はいくつかのプロのオーケストラでときどきは点字プログラムが用意されることが分かりました。日本には室内オーケストラを含めて32のプロオーケストラがあります。そのすべてに電話をして問い合わせてみたところ、少しでも点字プログラムを配布しているところが全体の4分の1の8団体ありました。東京の場合、現在11のプロオーケストラがありますが。そのうちの3団体で、全部の演奏会ではないけれど点字プログラムを配布しているということでした。5年・10年前から配布しているというところもありました。
 内容は、墨字版とまったく同じではないけれど、曲目・解説・ソリストのプロフィールなどは載っているということです。東京のオーケストラ2団体は事前の申し込みなしでも当日受付に行けば受け取れるようにいつも5部用意し、毎回、2・3部が受け取られるそうです。定期会員からの要望が点字プログラム配布のきっかけとなったということでした。点訳・印刷は外部の団体に有料で依頼しています。
 東京以外では5団体で点字プログラムを配布しています。事前に申し込めばカセットテープに入れた「音訳版」も提供しているところもあります。特徴的なのは、点訳から印刷までをボランティアに頼っているところが多い点です。献身的なボランティアがおられて、すべての点訳を引き受けてくれているそうです。ライトハウスなどの視覚障害関連の団体と連携しているところもあります。
 しかしどこも「点字プログラム」が用意されていることをあまり大きく宣伝していないのです。これはなぜなのでしょうか?インターネットにも書いてないところがほとんどです。せっかく作っているのだからもっと周知してもらえればと思います。
 一方、アマチュアオーケストラはどうでしょう。知り合いのいる約10団体に聞いてみたのですが、どこも点字プログラムは作っていません。日本にはそれこそ星の数ほどもアマチュアオーケストラがあるので、どこかはやってくれているとは思うのですが、本業の仕事の傍ら、墨字のプログラムを作るので精一杯で、点字まではとても手が回らないという状況だと思います(新響で岡本がやれたのは、大学教員っていうのはヒマだからか、といわれると困るのですが、決してヒマではありませんよ)。

 ここでは音楽会のプログラムについて書きましたが、それに限らず、展覧会・博覧会などいろいろな場で点字の資料が用意されるようになって欲しいと思っています。
 点字は重度の視覚障害のある人にとっての大切な文字で、音声からは得られない情報があります。もっともっと普及させる必要があると思います。しかし、先に書きましたように、作成の手間とお金が作成する際の障壁になっているのです。このようなところにこそ、文化庁・文部科学省などの助成が欲しいと思うのです。
 新交響楽団の演奏会では最近は毎回10人から15人の方に点字プログラムを受け取っておられます。内容がよくわかって音楽がいっそう楽しめると言っていただいたり、わざわざお礼のお手紙を下さる方もあり、やりがいを感じています。  なお、新交響楽団では、視覚障害のある方と付き添いの方を年4回の定期演奏会にご招待しています。毎回そのご案内をインターネット上の毎日新聞のユニバーサロン(http://www.mainichi.co.jp /universalon/volunteer/message/)に載せていただいているので是非ご覧ください。
 私は退団しましたが、幸いこれからもトランペットの小出氏が担当を引き継いでくれて、私が点訳をして、点字プログラムの配布を続けることになりました。

 いささか長文になってしまって失礼いたしましたが、点字プログラムのことを維持会の皆様にも是非お伝えしておきたいと思い、書かせていただきました。もしお知り合いに点字使用の方が居られましたら、このことをお知らせいただければ幸いです。
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