HOME | E-MAIL | ENGLISH

昔も今も、パワフル山下さん

田川 暁子(Vn)

 維持会員の皆様、いつもご支援ありがとうございます
 今回の演奏会では新響の指揮台に初めて山下一史さんが登場します。
 プロ・アマを問わず数多くのオーケストラを振っていらっしゃいますからご存知の方も多いことでしょう。山下さんは桐朋学園大学をご卒業後にベルリン芸術大学に留学し、カラヤンの最晩年にアシスタントをされていました。1986年に急病のカラヤンに代わってジーンズ姿で急遽ベルリン・フィルの第九を指揮し大喝采を浴びたエピソードはあまりにも有名です。
 さて、私事で大変恐縮いたしますが、ちょうど同じころ私は都の西北にある某私立大学に入学しそこの交響楽団に入りました。オーケストラの中で弾くのはまったくの初めてで、とにかくわからないことだらけで不安なことばかり。ひとり飛び出したり落ちたりしないよう、練習中は怖い指揮者や先輩からいかに目をつけられずにすむかで必死でした。(私にもこんな初々しい時期がありました。懐かしい・・・。)そんな私の頭の中では、指揮者といえば「白髪・巨体・威圧」というイメージがいつしか出来上がっていました。 2年生になってしばらくすると初めての指揮者が練習にやってきました。
 「うわぁっ、若い!」(怖くなさそう、よかった~♪)
 そうです、それは当時まだ20代半ばの山下さんでした。髪は黒いし、お腹も出ていないし、偉そうでもない。目がくりっとして元気ハツラツのお兄さんではないですか!私の指揮者イメージ払拭です。練習はとにかく熱心で時には厳しく(“プルト弾き”なんてのもありましたっけ)、学生たちは一気に引き込まれていきました。
 それ以来、演奏旅行も含めて卒業までに山下さんの棒では十数曲を演奏しましたが、得意とするリヒャルト・シュトラウス(ドン・ファン)とブラームス(第2交響曲)が私の学生演奏活動の締めくくりとなりました。カラヤン譲りの壮麗で輝かしい部分はもちろんパワー全開ですが、ただ大味なのではなく、緻密さ、正確さも同時に求め、学生相手だからと手を抜くことはなかったと記憶しています。そういえば、「ドン・ファン」では再現部直前のあのチェロのパッセージも最後まで妥協しませんでした。(ちなみに山下さんはチェロ弾きです。)
 実はプログラム用のインタビューのため、すでに山下さんには一足お先にお目にかかりました。(プログラムのインタビュー記事をお楽しみに!)最初にお会いしてからなんと20年(!)になりますが、あまりお変わりなくパワフルで明るい山下さんは健在でした。いろいろなお話を伺いましたが、やはりカラヤン=ベルリン・フィルの話になると止まりません。特にリヒャルト・シュトラウスに関しては、何度も生で見聴きしていないとわからない貴重な経験や面白い話が次から次へと出てきて興味は尽きませんでした。当然ながら、山下さんご自身、体にしみついたリヒャルトの作品の中でも大切な「英雄の生涯」を取り組むことに並々ならぬ意欲をもっておられます。ブラームス2曲を含めてこの難曲を仕上げることは私たちにとって並大抵なことではありませんが、きっと充実した演奏会になるものと信じております。どうぞご期待ください!


第198回演奏会(2007.7)維持会ニュースより

このぺージのトップへ