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我が青春の想い出

桜井哲雄(Ob)


 今を去る事40年程前私は一人の女性を好きになりました。今以上に純情だった私は「まず、何かすごい事に誘わなければ成らない」と思って、銀座のフランス料理に誘うくらいにしておけばいいのに「トリスタンとイゾルデ」に誘いました。1967年(昭和42年)の夏、バイロイト・ワーグナー・フェスティバルが例外的特別出張公演で大阪国際フェスティバル・ホールに来たのです。東京には来なかったのです。知る人ぞ知る公演で、ヴィーラント・ワーグナー演出、ピエール・ブーレーズ指揮。歌手はヴィントガッセン、ビルギット・ニルソン、ハンス・ホッター、オケはN響と言うものでした。チケットは2万円を超える。フランス料理とチューリップにしておけば良かった。見事に断られました。良家の子女はそんなものには行きません。で、ひとりで新幹線に乗って大阪へ。忘れられない一夜を過ごす事に成ったのです。ぼけ始めた脳がいまだに覚えてる事をいくつか。
1.ビルギット・ニルソンのソプラノ。恋するには媚薬の助けが必要な女丈夫でしたが、声は素晴らしかった。3管編成のN響がフォルテで演奏しているその頭上を神の声のように隅々まで届いてくる。3時間も歌い続けているのに。
2.長過ぎる休憩。2回の休憩の合計が1時間以上あって、恋に破れて代役を現地調達出来ない純情青年には長過ぎた。ひたすらビールを飲んでトイレに通った。オペラに一人で行くのはやめた方がいいという事を彼女のおかげで学んだ。特に失恋中の男にとっては、目に入った女性、誰でも良くなり始める。
3.似鳥健彦のコール・アングレ。長く、とても難しいソロが有るのです。今回の演奏会では少し短くしますがとても印象的なソロです。それを似鳥健彦は表情豊かに歌い上げたのです。2000人が聞き惚れました。あまりのすばらしさにブーレーズは賞賛と感謝の手紙を似鳥先生に送ったそうです。先生はそれに感動して宝物にしているとおっしゃっていました。
4.ヴィーラント・ワーグナーの舞台。最近では当たり前になった現代的象徴的な一見簡素化された舞台装置。手前に傾いた舞台。照明でやりくりする舞台。バイロイトも破産寸前と思いました。でも本当はお城仕立てにするより大変なんです。
5.字幕の無いワーグナー。何が何だか。
 これで私の青春は終りました。ところでその好きになった女性ですが、誰だったかどうしても思い出せないのです。多分、あの女性かあの女性、どっちかだと思うんですが、気の弱い僕は聞く事が出来ないでいます。


第195回演奏会(2006.11)維持会ニュースより

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