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ワーグナー雑感    

橘谷英俊(Vn)


 私とワーグナーの出会いは中学生の時に、我が家にステレオが入ったときに最初に買ったレコードの中に「タンホイザー」の巡礼の合唱が入っており、それがえらく気に入ってしまったことに始まるようである。


 大学でオーケストラに目覚めたものの、演奏経験は「マイスタージンガー」前奏曲ぐらいしかなかったが、その後に収集したレコード、CD、LD、DVDではワーグナーの作品はかなりの比率を占めている。中でもショルティ指揮による「ニーベルングの指輪」、特にライトモチーフ集のレコードはワーグナーを理解する上で大変役に立った。重要な人物、物、感情などにそれを表すテーマミュージック(ライトモチーフ)を全曲を通じて統一的に使う作曲技法の見事さに大変なショックを受けた。
 その後、新響ではいくつかのワーグナーの曲をやる機会があったが、飯守先生の棒の下でのワーグナー体験は何にも増して貴重なものであった。例えば「タンホイザー」序曲は前述の巡礼の合唱のテーマで始まるが、これは重い荷物を背負って疲れ切った体で歩いているので絶対に等間隔の3拍子にはならない事を強調された。また、「ワルキューレ」第1幕を演奏会形式でやったときには、ワーグナーの精緻で効果的な作曲技法に感心するとともにその難しさに閉口した。個人的にはあれほど真剣に練習した演奏会は後にも先にもなく、その成果が現れた演奏会は今でも新響のベスト5に入るのではないかと思っている。
 今回の「トリスタンとイゾルデ」については、最初の先生の練習時間の半分以上を使って先生のビアノによる楽曲解説の時間があり、「トリスタン和音は調性を破壊したと言われるが、そうではなく、調性の機能を最大限活用したものである」など目からうろこが落ちる思いで拝聴した。
 海外出張などで夜の自由時間があるときにはオペラを最優先で探すようにしているが、結構当日でも切符を入手でき、演目としてはワーグナーに当たる確率がかなり高いように思う。それだけ世界中で人気があることの証拠であろう。最近では、昨年11月にパリ・バスチーユオペラで「トリスタンとイゾルデ」(ピーターセラーズ演出のわけのわからないもの。ゲルギエフ指揮で演奏は良かった)を、今年の9月にはウィーン国立歌劇場で「ローエングリン」(ペーター・ザイフェルトがローエングリン役)を楽しむことができた。バスチーユオペラでは数年前に「さまよえるオランダ人」も観ているが、このときの合唱団は子音が弱く、母音も鼻にかかったりしてとてもドイツ語には聞こえず、やはりフランス人にはワーグナーは向かないのかと思ったが、今回は違和感はなかった。余談ながら、KLMオランダ航空のマイレージプログラムは「さまよえるオランダ人」の英語訳と同じFlying Dutchmanで、空を飛ぶ(fly)をひっかけたしゃれたものであったが、エールフランスとの合併でFlying Blueというつまらないものになってしまったのは残念である。
 さて、ワーグナーの人間性についてであるが、これははっきり言って最悪で、あまりお付き合いしたくない。情熱的で、革命家ではあるが自己チューでわがまま、尊大、嘘つきでもあり、女性関係は華々しかった。有名なのは、スイスの商人ヴェーゼンドンクの妻マティルデを誘惑したことで、このときの体験が「トリスタンとイゾルデ」を作曲するきっかけになったと言われ、歌曲集「ヴェーゼンドンクの5つの歌」も生まれている。もう一つはワーグナーの支持者であった指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻であり2人の子持ちであったコジマ(リストの娘)を誘惑して、不倫関係のまま娘「イゾルデ」をもうけ、後にコジマを正式に妻にした事件であろう。コジマは後に息子「ジークフリート」を産んでおり、このことにより名曲「ジークフリートの牧歌」も誕生しているが、妻を取られたハンス・フォン・ビューローがワーグナーに敵対するブラームス支持派に移ったのには同情したい。
 ワーグナーの書いた音符の量はとてつもなく多い。彼のオペラは上演に4晩を要する「ニーベルングの指輪」をはじめ、単独で4時間以上かかるものも多く、そのスコア(総譜)は大きく、厚く、重く、パートの数も多く、パート譜に書かれた音符の数も半端ではなく、とても人間技とは思えない。例えば、「ワルキューレ」第3幕の「魔の炎の音楽」などは効果音として4つに分かれたヴァイオリンに細かく速く動く音符が延々と書かれ、これを楽譜上に書くだけで通常はかなりの日数を必要としそうだ。「トリスタンとイゾルデ」もスコアは650ページ以上あり、勉強熱心な多くの新響メンバーはこれを練習の度に運んで腕の筋力の強化に努めている。
 ワーグナーの楽劇の世界は異常である。「指輪」では古代の北欧神話、「ローエングリン」と「パルシファル」では聖杯伝説、「トリスタンとイゾルデ」ではケルト伝説などをもとにしつつもワーグナー流に自由に変えているので、登場人物の行動や言動は我々の理解を超えることが多い。「トリスタンとイゾルデ」におけるトリスタンはかなり異常であり、やはりワーグナーの異常性格が反映しているとしか思えない。しかし、音楽は、登場人物のすべての行動を赦し包み込む素晴らしいものであり、ついハマってしまう。麻薬のよう、とは良く言ったもので、私も脱出不可能な迷宮に入り込まないよう、必死に抵抗しているところである。


第195回演奏会(2006.11)維持会ニュースより

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