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第219回演奏会のご案内

アメリカ音楽を作り上げた作曲家
 ガーシュウィンとコープランドの2人は、ともに「アメリカ音楽を作り上げた作曲家」と称されています。黒人文化に由来する音楽のジャズやヨーロッパの伝統的な民謡が元となったカントリーミュージックなど、アメリカ独特の音楽を取り入れたのが、クラシック分野における「アメリカ音楽」でしょう。
 ガーシュウィンは1898年、コープランドは1900年、ともにユダヤ系ロシア移民の息子として生まれ、ピアノを本格的に始めたのも同じ14歳でした。


ジャズとクラシックのクロスオーバー
 ガーシュウィンは15歳で楽譜店のデモ演奏をするピアニストになり、ミュージカル作曲家となります。1924年にジャズバンドを率いるホワイトマンにピアノ・コンチェルトを依頼され「アメリカ音楽とは何か?」と題された実験コンサートで大成功を収めました。これが有名な「ラプソディ・イン・ブルー」です。組曲「グランドキャニオン」で知られる当時ホワイトマン楽団専属アレンジャーだったグローフェによって編曲されました。その後独学でオーケストレーションを学びます。38歳の若さで亡くなったので、管弦楽曲は少ないですが、多くのミュージカルと歌曲を残しました。
 ブルーは「憂鬱な」といった意味ですが、ジャズのルーツであるブルースの語源なので、「ジャズ的狂詩曲」というところでしょうか。クラリネットのグリッサンドで始まるワクワク楽しい曲で、多くのCMや「のだめカンタービレ」のエンディングに使われ一度は耳にしているはずです。ピアノ独奏には「ねこふんじゃった」のアレンジ演奏で知られ、NHK教育テレビへの出演など多方面で活躍している小原孝を迎えます。


古き良きアメリカを感じる交響曲
 コープランドは15歳で作曲家を志し、21歳でフランスに留学しました。パリではジャズの要素を取り入れて作曲していましたが、1924年の帰国後はアメリカ民謡を研究してアメリカ的な音楽を模索し、「アパラチアの春」、「ビリーザキッド」といった明るく親しみやすい曲を書きました。1946年に作曲された交響曲第3番は、それらの集大成ともいえるでしょう。その後は前衛音楽への道に進み90歳まで長生きをしましたが、これが最後の交響曲となりました。
 抽象的な交響曲として書かれていますが、「市民のためのファンファーレ」が登場したり、ジャズや民謡が顔を出す愛国心溢れる曲です。ドラマ「大草原の小さな家」の情景が浮かんで来るのは、私だけではないかもしれません。
 どうぞお楽しみに!(H.O.)

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