第194回演奏会パンフレット(2006年7月)掲載予定


マエストロ岩城宏之へのエレジー

指揮者 小松一彦

 1975年、オランダ、ハーグ。岩城宏之邸。マエストロが常任指揮者を務めておられるハーグ・フィルのある同じ市内のお宅に泊めて頂いた次の日の朝食。「味噌汁は冷えているのが一番旨いんだよな」「そんなこと言うの貴方だけよ!?」奥様の木村かをりさんに一蹴され、声の無かったマエストロ。新婚間もない頃でいらしたと存ずるが、私が「ああ、こうして世代の違うお二人がお互いに補完しあっておられる、素晴らしいご夫婦だ!」と感動した思い出が昨日の事のように甦る。
 昭和一桁世代。その中でも飛切りがむしゃらだったのは岩城さんと三島由紀夫か? でも岩城さんには挫折は無かった(ように見える)。「情熱と意志の人・指揮者」そのパワーは「特攻隊精神」が“変容”し、その目的を変えたエネルギーに強く支えられていたと私は見る。太平洋戦争終結。そこには“現人神”から“人”となった天皇が、出兵しないまま終わった岩城少年の前に存在した。「エネルギーの捌け口をどこへ向けたらよいのか?」この言葉は岩城さんが何百回となく使われた岩城語録のひとつだ。
 この上なく人間的な人・指揮者だった。赤裸々でもあったし、人間臭かった。ステージでグッショリと、そして汗を飛ばしながら指揮し、日本の“戦後の音楽界・作曲界”を“がむしゃら”に牽引してこられた。でも、高度成長が終わり、芥川也寸志が黛敏郎が、そして武満徹が、また秋山邦晴等がこの世を去ってしまった。その後も、全力で漕ぎ続けるのを止めなかった素晴らしさ!
 芥川さんの功績を記念して設けられた芥川作曲賞。私がずっと連続して指揮させて頂いているが、その選考演奏会に岩城さんは必ずといっていいほど顔を出され「誰か若い、いい作曲家はいないかな?と思って」と。何人の若い日本人作曲家がアンサンブル金沢のレジデンス・コンポーザー(座付き?作曲家)として岩城さんに育てて頂いたことだろう。こうして戦後の日本の作曲界は、岩城マエストロのお陰が随分とあって、今や世界有数のレベルに達しているのは私も誇りに思うところである。
 邦人作品に停まらない。私がN響の指揮研究員に入れて頂いてまだ半年も経っていない時、「来年2月の定期でシュトックハウゼンの“3つのオーケストラのグループ(3群のオーケストラが3人の指揮者で同時に演奏する難曲)”を日本初演しようと思っているが、君に第3オーケストラの指揮をやらせてみようかな?」と。そして数年後、同じN響定期でアイヴスの交響曲第4番。「僕一人でできないこともないんだけど、お客もオケも見ていても楽しいだろうから、君、第2指揮者を頼むよ」「ええー?!」嫌だった、恥ずかしかった。だって、岩城さんの後ろに、彼より1m近くも高い指揮台に登らされ、まるで晒しもののようだったし、楽員には「こっちから見ていたら、千手観音みたいに見えたぞ、ワッハッハ!」と言われてしまうし…。
 でも今となっては、すべて岩城さんのお陰で、様々な、そして貴重な体験をさせて頂いた良い思い出だ。最晩年に岩城さんが「1日でベートーヴェンの交響曲全曲演奏」に挑まれたのも、ご自分とベートーヴェンの間に“情熱と意志の人”としての共通点を強く感じたからではないだろうか? お体さえ壊さなければ、万年青年の岩城さんには“晩年”という言葉はなかったと思う。岩城さんが天国へ旅立たれた日、その時“日本音楽界の戦後”も終焉を迎えたと私は感じた。
 マエストロ! 今こそ、どうぞゆっくりお休み下さい。

 2006.7.22 岩城マエストロの代役を務めさせて頂く日に


指揮 小松一彦 プロフィール

 桐朋学園大学指揮科卒業。NHK交響楽団指揮研究員、旧西独ライン・ドイツ歌劇揚副指揮者を経て、1978年N響を指揮して正式デビュー。日本を代表する国際的指揮者の一人。現在、チェコの名門プラハ交響楽団の常任客演指揮者を務める。大阪芸術大学・大学院教授。これまでイタリア放送協会賞、大阪府民劇場奨励賞を、また2001年、現代音楽・邦人作品での長年の優れた業績に対し、第19回中島健蔵音楽賞を受賞した。
 芥川也寸志の業績を称え設置された「芥川作曲賞」選考演奏会の指揮を第1回から今年で16年連続で務めるのをはじめ、大正・昭和期の日本人作品の復元、最近は特に貴志康一や須賀田磯太郎などに力を入れており、内外の現代作品の演奏にも特に情熱を注いでいる。
2006年2月プラハ交響楽団定期演奏会で〈モーツァルト生誕250年記念プログラム〉、サンクトペテルブルグ・フィル定期演奏会では〈ショスタコーヴィチ生誕100年記念プログラム〉を指揮し、絶賛された。
 新響とは1994年「芥川也寸志メモリアル・コンサート II」(映画音楽の夕べ)以来共演を重ねており、2000年<東京の夏>音楽祭「映画のための音楽」出演を含め、今回で8回目(定期では6回目)の共演となる。


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