2005年7月演奏会パンフレット掲載予定


曲目解説
プログラムノート


矢代秋雄:交響曲

橘谷 英俊 (ヴィオラ)

1981年11月17日の夜、私は新宿厚生年金会館大ホールにおり、はじめて聞く矢代秋雄の交響曲への期待を高めていた。質の高い委嘱作品で有名だった日フィルシリーズの記念演奏会で、指揮は初演者である渡邉曉雄であった。

演奏が始まり、日本的な旋律やイメージを期待していた私は、素材として日本的なものも含みながらも全体としては国籍不明の響きに見事に裏切られたが、しっかりした構成と複雑なリズム、オーケストラを鳴らしきる優れたオーケストレーションに圧倒され、日本人の手による交響曲の最高傑作との感を強くした。この演奏会における立派な演奏はCDにより窺うことができる(ビクターVICC-23011)。私は、第3楽章の弦楽器によるコラールと掛け合いの形で奏される打楽器が次々に移っていく「合いの手」が特に印象に残り、いつの日か新響で演奏したいと思い、それが本日実現することになったのは感無量である。

この曲については、これが初演された日本フィルハーモニー交響楽団第9回演奏会において配布された機関誌「日本フィル」に矢代秋雄自身が解説を載せている。簡潔にして当を得た格調高い解説であるので、まず、ご覧いただきたい。

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交響曲 日本フィルのために       矢代秋雄

日本フィルの委嘱によつて今回定期公演のために書いたこの交響曲は, 今年の1月末から, 5月なかばにかけて作曲された。元来が遅筆の僕にとって, 大変強行軍だつたが, ここ数年来, 交響曲を書く心の準備が充分出来ているような気がしていたので, あえて強行軍したのである。第1楽章の一部分は, 特に冒頭は, パリで書きかけ, 遂に完成しなかつた交響曲の一部分を転用した。また, 第2楽章の特色あるリズムは, 10年程前, 獅子文六の小説「自由学校」のなかの, お神楽のタイコの音を描写した文章を読んだ時, 思いつき,ずつと暖めていたものである。即ち,テンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤ。

その他, この曲には, 特に語るべき内容や意図は全くないし, つけるべき標題の持合せもない。特定の情緒や雰囲気をかもしたり, 事柄や現象を表現したり, 説明しようなどという計画も全くない。その上, 作品は作曲家の手を離れたら,もう作曲家のものではなく,演奏家のものであり, 聴衆のものであり, 批評家, 美学者, 理論家のものとなるので, その段階に達しても, 作品を作曲家が自分の私有物のような顔をして, 演奏の仕方, きき方,感じ方, 受取り方などまで規定することは, 少くとも僕の流儀ではないようである。演奏という個性のあるフィルターをとおし, きき手一人一人の異つたスクリーンの上に映し出される僕の顔は, 逆さまだつたり, ピンボケだつたり, 2重うつしだつたり, 醜怪だつたり, 或は思いもかけずハンサムだつたりする事だろう。

さて,この交響曲は全曲を通じる幾つかの動機を持つているが, 最も重要なものは,(1)である。更に,これに対応する(2)。和声主題(3)。第3, 第4楽章で活躍する表情的な(4)。

第1楽章は,前奏曲である。前奏のムードである冒頭のアダジオのあとで,(1)と(2)が提示され, 再びアダジオとなり高潮し, (3)がその全貌を現す。そのあと漸弱し, 冒頭がもどつて来て, 静かに終わる。第2楽章は,終始(5)のようなリズムで一貫したスケルツオ。形式は全く伝統的な3部分である。第3楽章に主題(6)(7)と5つの変奏から成るが,各変奏は,長さもまちまちで判然たる切れ目もない。部分的には, バッハ以前のコラール変奏曲の形式を採つたところもある。弦を主体とし, 木管と打楽器を伴う第4変奏は, 一番長く, 主要な部分を占める。ここでは(4)が多くきかれる。第4楽章は, 序奏をもつたソナタ形式で, この交響曲中, 唯一のソナタ形式である。序奏ですでに第1第2主題が提示される。アレグロ・エネルジコ以下, 型どおりのソナタ形式である。発展部の後半で著しく高潮し,そのまま短縮された再現部に飛込み, 最後に和声主題がテユッティで奏され, そのあと, 急激に終る。

最後に, この曲の成立と演奏の機会を与えられた日本フィル当局と, 敬愛する渡邉曉雄先生, メンバーの皆さんに深い感謝の念を捧げる。なお,この曲は僕をいつも暖く励まして下さつた,S.O.氏に捧げる。もう大分前の事だが, 同氏に僕の第1シンフォニーを捧げる約束をした事があつたが, それが果せた事を僕はとても嬉しく思つている。(「日本フィル」第9回定期演奏会プログラム 1958.6.9)

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文章も大変うまかった作曲者自身の解説の後ではいささか蛇足の感もあるが、補足説明を試みたい。

矢代秋雄は高名な美術史家矢代幸雄の長男として1929年に生まれたが、父親が外国美術に精通し母親が上手いアマチュアピアニストであった家庭環境と、芸大卒業後のパリ音楽院への留学が矢代の作風を著しく国際的なものにしたものと考えられる。矢代の作品はきわめて少なく、発表されているのは10数曲に過ぎない。矢代作品は少数の舞台音楽や札幌オリンピック式典序曲などを除けば、構成のしっかりした絶対音楽を得意としており、また標題のついた作品は一つもない。わけのわからない標題で曲のイメージを固定させることが嫌いであったことは、上の解説からも読み取れる。

矢代秋雄は、1945年東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学し、作曲を池内友次郎、伊福部昭に師事しているが、入学前から橋本国彦にも師事していた。池内と伊福部に共に師事した黛敏郎と一緒にパリ音楽院に留学したが、黛はパリ音楽院にはもはや学ぶことなしとして1年あまりで帰国したのに対し、矢代はパリ音楽院のアカデミズムにどっぷり浸り、その伝統的作曲手法を十分に吸収して5年後に帰国した。パリ音楽院には池内クラスの後輩である東大生の三善晃が後に加わった。矢代は三善の才能を高く評価し、交響三章を絶賛しているが、この曲は冒頭の演奏会で同時に演奏された曲でもあり、前掲CDにも収録されている。

伊福部昭と言えば、黛や我が新交響楽団の創立者である芥川也寸志などの師として有名であるが、矢代は芥川などのようには強い影響を受けていない。しかし、矢代自身が富樫康との対談で語っているように、他の教師に言われなかったようなことを伊福部に言われて注意するようになったこともあったという。

パリ音楽院の卒業作品として書いた弦楽四重奏曲は身につけたアカデミックな手法にのっとったものではあったが、斬新な面も持ち合わせており、これが当時の保守的な審査員の大部分には理解されず、惨憺たる成績がついた。しかし、この作品を高く評価した審査員のアンリ・バローとフローラン・シュミットの紹介でパレナン四重奏団によりフランスで放送初演され、日本でも毎日音楽賞を受賞するなど、現在では日本人の手になる屈指の弦楽四重奏曲とされている。帰国後に発表した作品はわずか5曲(交響曲、2本のフルートのためのソナタ、チェロ協奏曲、ピアノソナタ、ピアノ協奏曲)であるが、いずれも傑作で、それぞれのジャンルで代表的な作品とされている。特に、天才少女中村紘子を意識して書いたピアノ協奏曲は矢代の芸術の集大成であり、かつ絶筆である。このような傑作が多く生み出されたのは、パリ音楽院で徹底的に身につけた良い仕上げの技術が最大限発揮されたことによるものであろう。なお、矢代が自身の解説で述べているこの交響曲の献呈者のS.O.氏とは、当時倉敷レーヨン(現・クラレ)社長であり、倉敷大原美術館創立者である大原総一郎氏のことである。

ところで、矢代は芸大ではオーケストラにも所属しティンパニを担当した。アマチュアの鎌倉交響楽団にも在籍したそうである。芸大オーケストラを聴いて矢代のティンパニに感動し、ティンパニストになることを夢見てピアノもろくに弾けないのに芸大を受験し、最低点で合格した高校生がいた。若き日の岩城宏之である。第2楽章を始めとしてティンパニおよび打楽器の大活躍は奏者としての経験が基礎となっていることは間違いない。

1976年、矢代46歳での突然の早すぎる死は、日本音楽界における一大損失であった。

第1楽章 前奏曲  アダージョ−モデラート

冒頭の弦による2度や3度の繰り返し音型の中に管楽器が加わって混沌とした世界が描き出され、これから始まる音楽への期待を高める。
トロンボーンにより最初に現れる(1)の主題はこの後も各楽章で形を変えて姿を現す最重要主題であり、フランクなどの循環主題を連想させる。(2)の主題は第2楽章にも現れるが、(1)の反行型と考えられる。
なお、作曲者自身が語っている、パリ留学時代に書きかけていた作品とは、オスカー・ワイルドの「サロメ」の序曲であったことが、前掲の富樫との対談の中で語られている。

第2楽章 スケルツォ ヴィヴァーチェ

冒頭でティンパニにより奏され、この楽章を支配するテンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤという特異なリズムは矢代が神楽のリズムとして採用したと思われがちだが、作曲者自身が富樫との対談で明確に否定している。つまり、獅子文六の新聞小説の中にあった神楽囃子を模倣した「日本語のリズム」が面白いので使用したのである。矢代は言葉のリズムに非常に敏感であった。しかし、このリズムはなかなか難しく、初演以来プロのオーケストラでも苦労しているようで、山田和男(のち山田一雄と改名)はこの曲を練習するとき、テンヤワンヤ ソレテンヤワンヤと数えることを強制したそうである。
この楽章は作曲者が述べているように3部形式であり、中間部分の木管の旋律と、基本リズムの絡み合いが絶妙である。

第3楽章 レント

コールアングレによる長いソロが続くが、この旋律には(1)を変形した音型が含まれる。この主題が変奏されるが、1つ1つの変奏が異なる雰囲気、色彩を持っているのは見事である。第2変奏では弦楽器からヴィオラに旋律が引き渡され、第3変奏では管楽器にひき渡される。第4変奏から打楽器の印象的な「合いの手」を伴って盛り上がり、第5変奏では再びコールアングレの主題が戻り静かに終わる。

第4楽章 アダージョ−アレグロ・エネルジコ

序奏のついた、この交響曲唯一のソナタ形式の堂々たる終曲である。矢代の意図としては、通常の交響曲が第1、第4楽章がソナタ形式であるのは無駄なような気がするので、本来正規であると思われる第4楽章に重きを置いてそこまでの3楽章はフィナーレに行く前提だという考えで書いたとのことである。
序奏でのピッコロは能管などの響きと共通するものがある。アレグロになってからは終楽章にふさわしい盛り上がりを見せて終わる。
この楽章で誤解を生じやすいのは、アレグロになった部分をフーガであると錯覚する点であろう。この点も矢代は前掲の富樫との対談中でそのつもりはなく、ただのソナタ形式であることを強調している。たしかに、フーガについてのいろいろな約束事が守られておらず、フーガとは言いがたい。しかし、主題(1)を変形した主題がいろいろなパートに次々に現れて展開される点はフーガ的な扱いを感じさせるのは確かで、対位法が得意だった矢代の作曲テクニックに聴衆がはまってしまうのも無理はない。

参考文献:

矢代秋雄遺稿集「オルフェオの死」 深夜叢書社 1977.4.28刊 (後に「オルフェオの死」「対談集 矢代秋雄 音楽の世界」に分けて音楽の友社より復刊 )
岩城宏之「フィルハーモニーの風景」岩波新書 1990年

作曲 1958年1月末−5月半ば 日本フィルシリーズの第1回作品として委嘱
初演 1958年6月9日 日比谷公会堂 渡邉曉雄 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
出版 1959年 音楽の友社
編成 ピッコロ(3番フルート持ち替え)、フルート2(1番は2番ピッコロ、2番はアルト・フルート持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット(3番クラリネット持ち替え)、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4,トランペット3,トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トムトム3(大・中・小)、大太鼓、小太鼓、ウッドブロック、シンバル(合わせ、吊り)、タムタム、グロッケンシュピール、木琴、ヴィブラフォン、テューブラーベル、チェレスタ、ピアノ、ハープ2、弦5部

以下、余談です。
今後の演奏会には上記解説に名前の載った方々、関係者が次々に登場します。
次回の191回演奏会の指揮者は渡邉曉雄の長男である渡邉康雄です。
192回では矢代秋雄が絶賛した三善晃の交響三章を演奏します。
194回には 芥川也寸志、伊福部昭、黛敏郎の作品を岩城宏之の指揮で演奏します。
(敬称は略させていただきました)

注)譜例は準備中です


ラヴェル: ダフニスとクロエ

松下 俊行(フルート)

食えない男 =ディアギレフとその時代=

○バレエの世紀へ

例えばブラームスやブルックナー作曲のバレエ音楽・・・なるものは我々の想像を超えている上に、余り想像したくもないし、事実そうした作品は無い(何故かほっとする)。

音楽史に於ける19世紀は、謂わば「交響曲の世紀」であり、傑作の殆どはこの100年の間に作られたと言って過言ではない。世紀後半のオペラの隆盛も視野に入れるにせよ、これらの分野の飛躍的な発展と普遍化に寄与した、傑出した才能と活躍の土壌とを思い浮かべる事は容易だろう。逆にその段階以前のジャンルは多分に地域的であり、驚くべき才能の出現を待ちつつ雌伏せざるを得ない。バレエが飛躍的発展を遂げた時と場に遭遇する機会の無かった冒頭のふたりは、あくまで19世紀的作曲家として生を全うしたのである。

バレエ芸術は20世紀の初頭に於いて一気に開花した。今日我々が親しんでいるバレエ音楽の傑作群は極めて短時日のうちに創造されている。その著しい伸長には、前世紀に隆盛を見た分野同様に、人材と土壌の契機があった。1908年から29年という時代のパリと、ロシア・バレエ団の彼の地での公演、そしてとりもなおさず団の主宰者セルゲイ・ディアギレフという男の出現がそれである。総合的な舞台芸術への革命的な審美眼と才能を見出す特有の嗅覚とによって、あらゆる適材を適所に配し、ロシアという辺陬(へんすう)に埋もれていたバレエに新たな息吹を与えた彼の存在が無ければ、20世紀のバレエ音楽の傑作が、我々の耳に届く事は、決してなかっただろう。

○『ダフニスとクロエ』への途

その「天才を見極める天才」のディアギレフから、ラヴェルが新作バレエの台本を示されたのは1909年の事である。だが『ダフニスとクロエ』と題されたこの台本の熟読を重ねるごとに、彼は失望を深めていった。

主人公たる二人は共に美貌と健康な肉体を誇り、しかも実は高貴な生まれ。それぞれ故あって捨てられるが曲折の後に真実が判明して結ばれ、ハッピーエンドに至るから、一種の貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)だろう。恋の妨げとなるべきライヴァル(ドルコーン)も根は善人で、さしたる邪魔にもならぬ間に死んでしまう都合の良さ。ダフニスに性の手ほどきをする人妻リュカイニオンとの関係も1回きり(ありえない!)で、この若者が良心の呵責に懊悩(おうのう)しつつも爛(ただ)れた愛慾に溺れる――近代の小説ならこれだけで長編のテーマだ――事もない。これが原作。こうした文学は今に残っているだけで価値があり、内容には「大らか」とか「素朴」という好意的評価を与えられがちだが、自らの意思と関係なくそれを与えられた作曲者にとって、創作の刺戟につながるとは限らない。実際の台本は振付師であるフォーキンが5年を費やして書き上げたものだが、原作の他愛なさはまだしも、振付けの都合を優先した細かい指示は、いや増しにラヴェルの違和感を掻き立てた。後の述懐によれば、このとき彼の念頭には、原作の様な「健全な古代」を再現する意図は全く無く、ただフレスコ画の如き「広大な音楽的壁画を作曲する」事があるのみだった。そしてその企図ゆえにバレエ音楽としては異例の合唱を加えようとし、ディアギレフとさえ衝突している(この偉大な効果は、いま我々がよく知るところだ)。

こうした齟齬(そご)と議論の反復によって作曲への着手は当然遅延し、ディアギレフの当初の計画には間に合わなくなった。そこでこの稀代のプロデューサーはひとまずストラヴィンスキイに代作を依頼。生まれたのが『火の鳥』と翌年の『ペトルーシュカ』なのだから流石に豪儀なものだ。得てして「勢い」とはこうしたものなのだろうが、これだけに止まらない。後にはプーランクやファリャ、レスピーギ、ミヨーなど錚々(そうそう)たるメンバーが公演の為に起用され、時代を画す作品を1929年のディアギレフの死に至るまで世に送り続ける。彼の存在無しにこの時代を語れない所以(ゆえん)だ。因みに1910年の時点でこれらの関係者は揃って20代から30代。19世紀的旧弊とは無縁の若い才能の種がパリという土壌に落ち、バレエ芸術という新分野で如何(いか)に見事に開花したかが解ろう。これは奇跡と呼ぶに相応(ふさわ)しい。

○1912年の『牧神の午後』

結局作品は完成までに3年以上の時間を要した。掉尾(ちょうび)を飾る『全員の踊り』だけで1年を費やしたと作曲者自身も述べているが、その緻密な総譜を目の当たりにすれば、その程度の時間で仕上げられた事がむしろ信じ難い。

このバレエは、パンとニンフの物語に仮託されたダフニスとクロエの求婚場面をひとつの頂点としている。同様の物語に基づく作品として、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲(1894年初演)』が思い浮かばれよう。実はこれが『ダフニスとクロエ』初演の10日足らず前(1912年5月29日)、ニジンスキイの振付けでバレエ初演されている。待ちに待った新作への伏線ともとれるこの公演は、一歩誤れば「前座」に堕してしまう。その危うさを察したのか、ドビュッシーは旧作が舞踏に使われる事に全く乗り気ではなかったし、実際その振付けが原因で騒ぎが生じる始末(仕方なくバレエ団の為に『遊戯』を翌年書くが、直後に『春の祭典』の初演騒動が起き、今も殆ど埋もれたまま。踏んだり蹴ったりだ)。そして日を経ずして『ダフニスとクロエ』の成功とあれば、この初演に向けての話題作りこそがディアギレフの目論見だったのでは?との疑念は拭いきれない。新作の前評判の為にはドビュッシーの名作さえ躊躇(ちゅうちょ)なく利用してしまう「食えない」男――友人にするのは絶対御免だが、旧弊を斬って捨て、返す刀で新時代を果敢に拓いてゆくのは、得てしてこうした人種ではある。事実、前世紀末の芸術至上主義とは対蹠的(たいせきてき)な、醒(さ)めた理念と野心無くしては、『ダフニスとクロエ』も誕生し得なかったのだから・・・その結果だけ有難く享受するとしよう(笑)。

さて「食えなくない」善良な男(私のこと)は、ディアギレフの野心とも牧神の好色とも無縁に、恬淡(てんたん)として今日も笛を吹くのみだ。生の実感としては、これだけで充分な重みがある。

全曲初演:1912年6月8日 ピエール・モントゥ指揮 パリ シャトレ座 ロシア・バレエ団

楽器編成:フルート2、ピッコロ、アルト・フルート、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、Esクラリネット、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、他に舞台上のピッコロ、Esクラリネット各1、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、他に舞台裏のホルン、トランペット各1、ティンパニ、大太鼓、中太鼓、小太鼓、タンブリン、トライアングル、シンバル(合わせ・吊り)、クロタル(アンティークシンバル)、カスタネット、ドラ、木琴、ウィンドマシン、ジュ・ド・タンブル(鍵盤グロッケンシュピール)、チェレスタ、ハープ2、弦5部、混声合唱


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