2005年1月演奏会パンフレット掲載予定


曲目解説
プログラムノート

レスピーギ:交響詩「ローマの祭」

箭田昌美(ホルン)

本日、レスピーギのローマ三部作の中で最初に演奏するのは「ローマの祭」です。しかし、この曲を単なる前座と侮ってはいけません。ローマ三部作の中で最後に作曲され、編成も演奏時間も最大の作品です。本来ならメインとなっても良い曲ですが、三部作の中では壮大で最も有名な終曲「アッピア街道の松」を持つ「ローマの松」にトリを譲ることとなった次第です。

さて、曲目解説も最初ですから、まずはレスピーギとローマ三部作について少し触れておくことに致しましょう。

レスピーギは1879年にイタリアはボローニャに生まれました。地元でヴァイオリン、ヴィオラ、作曲を学んだ後、1900年にペテルブルグの歌劇場のヴィオラ奏者となります。その時にR.コルサコフの門を叩き作曲の研鑚を積みます。またその後にはベルリンでブルッフにも師事しR.シュトラウスらの近代ドイツ音楽にも感化されます。このような経験がレスピーギの色彩的な管弦楽法や感覚的な和声法の基となっています。また1913年にはローマにあるサンタ・チェチリア音楽院の作曲家の教授となり、後に院長を務めます。この音楽院の図書館に所蔵された膨大な古楽の資料に接することで古楽やグレゴリオ聖歌、教会旋法などに精通するようになります。そのようなレスピーギの研鑚の結果が色彩豊かな近代管弦楽法を駆使しながらも古楽の要素を取り入れ、古さと新しさの同居する傑作「ローマ三部作」を生み出しています。

レスピーギが生きたのはファシズムが台頭する不穏な時代であり、レスピーギ自身もまた熱心なムッソリーニ支持者であったそうです。ムッソリーニの掲げた「古代ローマ帝国の復権」とローマ三部作の誕生は決して無縁では無いと思われます。しかし、それは決して作品の価値を下げる物ではなく、ローマ三部作からはレスピーギの純粋なローマへの愛着と、長い歴史を持つローマという都市の奥深さを感じとることが出来ます。レスピーギはファシズムの悲惨な末路を知ること無く1936年にローマで永眠しています。

なお「ローマ三部作」は「ローマの噴水」(1916)、「ローマの松」(1924)、「ローマの祭」(1928)の順に独立した交響詩として作曲されています。

それでは「ローマの祭」について解説致しましょう。交響詩「ローマの祭」は「祭」をテーマにした4つの曲より構成されています。各曲はそれぞれ交響詩として具体的なテキストに基づいており、その光景が目に浮かぶような描写的な音楽となっています。さて一般的に祭とは宗教的な催事であり、宗教的な意味を持っています。そしてローマといえばローマ教皇を国家元首とするバチカン市国を有する都市であり、カトリックの本山として常にキリスト教の歴史の中心であり続けています。この「ローマの祭」の4つの曲はローマ時代に始まり、近代に到るまでの祭を年代順に配置していますが、それはローマにおけるキリスト教の歴史を表現しているものでもあります。また4つの曲の繋ぎが非常に巧妙であり、違和感なく場面が展開して行きます。従って独立した4つの曲から成るというよりも、一つの壮大な歴史絵巻を見るかのような構成となっており、レスピーギの描く「ローマ物語」であると言うことも出来るでしょう。

第1曲「チルチェンセス」

レスピーギ自身による次のような説明があります。
「チルコ・マッシモ(競技場)の上に威嚇するように空がかかっている。しかし今日は民衆の休日、「アヴェ・ネローネ(ネロ皇帝万歳)」だ。鉄の扉が開かれ、聖歌の歌唱と野獣の咆哮が大気に漂う。群集は激昂している。乱れずに、殉教者たちの歌が広がり、制し、そして騒ぎの中に消えてゆく。」

チルチェンセス circenses とはラテン語の Panem et circenses つまり「パン(食物)とサーカス(娯楽)」のサーカスのことです。ローマ時代の支配者である皇帝や貴族達は自らの兵力、支持者となるローマ市民に対し食物と娯楽を提供する「パンとサーカス政策」を行なっていました。サーカスは市民への娯楽として行なわれた様々な競技のことですが、ここで描かれているのは娯楽と呼ぶには相応しくない残虐なもので、歴史上悪名高いローマ皇帝ネロがキリスト教徒迫害を目的として行なった公開処刑の光景です。レスピーギの多彩なオーケストレーションが十二分に発揮され群集の暴力的な激昂や猛獣の咆哮が目に浮かぶ音楽となっており、舞台外に配置されたブッキーナ(古代のラッパを模したもので実際にはトランペットで演奏される)が効果的に使われています。途中に聴かれる聖歌は猛獣と戦わされ処刑されるキリスト教徒達の祈りを表しています。

ネロは64年に発生したローマの大火の原因が自身の仕業とする噂を打ち消す為にキリスト教徒にその罪を着せ、キリスト教の迫害を開始します。ローマ帝国におけるキリスト教の迫害はネロの後も長く続き、キリスト教が公認されるのは313年のことです。そして392年にキリスト教はローマ帝国の正式な国教となります。

第2曲「五十年祭」

「巡礼者達が祈りながら、街道沿いにゆっくりやってくる。ついに、モンテ・マリオの頂上から渇望する目と切望する魂にとって永遠の都、「ローマ、ローマ」が現れる。歓喜の讃歌が突然起こり、教会はそれに答えて鐘を鳴り響かせる。」

「五十年祭」の始まりはまるで「チルチェンセス」で犠牲となったキリスト教徒の悲しみを引きずるかのような巡礼者達の疲れた足取りを表す音形から始まります。重くゆったりした音形の上に静かな賛美歌が歌われていきます。ローマに近づくにつれ次第に足取りが速くなり、賛美歌も次第に早く、そして大きくなっていきます。頂上付近ではついに駆け足となり、ローマが一望出来た時の音楽描写の見事さは「ローマの祭」全体の中でも秀逸で一つのクライマックスとなっています。また、この部分を境にしてチルチェンセスの悲劇から始まったこの「ローマの祭」は暗から明に切り換わり、この後は楽しい祭の情景が描写されていくことになります。殉教者達を迎える鐘の音が盛大に鳴り響いた後で、ホルンの楽しげな旋律が現れ、そのまま第3曲に続いて行きます。

五十年祭とは旧約聖書の「ヨベル(ジュビリー)の年」に基づく大赦が与えられる聖年のことです。第1回の聖年は教皇ボニファティウス8世により1300年に行なわれました。また聖年は100年ごとに行なうと定められます。しかし1350年に教皇クレメンス6世によって第2回の聖年が行なわれ、以後50年ごとに行なうものとされます。さらに1470年、教皇パウロ2世は25年ごとに行なうものとし、今日まで続いています。

第3曲「十月祭」

「カステリ・ロマーニでの十月祭は、葡萄で覆われ、狩りの響き、鐘の音、愛の歌にあふれている。その内に柔らかい夕日の中にロマンティックなセレナードが起ってくる。」

時代はさらに新しくなり、葡萄の収穫を祝う収穫祭の様子が描かれています。カステリ・ロマーニはローマから25km程南にあり、ローマ教皇の別荘もある名所で、ワインの産地としても有名です。特徴的なのはミュートを付けたホルンによる遠くから聞こえる狩の角笛、セレナーデを奏でるマンドリンの音色です。
 
第4曲「主顕祭」

「ナヴォナ広場での主顕祭の前夜。特徴あるトランペットのリズムが狂乱の喧騒を支配している。増加してくる騒音の上に、次から次へと田舎風の動機、サルタレロのカデンツァ、小屋の手回しオルガンの節、物売りの呼び声、酩酊した人達の耳障りな歌声や「ローマ人だ、通りを行こう!」と親しみのある感情で表現している活気のある歌などが流れている。」

時代はレスピーギの生きた1900年代に移ります。ローマ時代の悲劇から始まるこの「ローマの祭」も最後はまさにお祭り騒ぎな世界と変貌します。ナヴォナ広場でクリスマスシーズンに繰広げられる出店や見せ物小屋、音楽、そういった喧騒の様子が次から次へと描写されて行きます。小クラリネットの騒がしい動機から始まるこの曲は最後には多数の打楽器群を含む大編成のオーケストラによる音の洪水が押し寄せ、狂ったような盛り上がりをもって曲を閉じます。

主顕祭とはイエスが誕生し、1月6日に東方から三賢者がベツレヘムの馬小屋に礼拝に訪れた主顕日(1月6日)を祝う祭りで顕現祭、公現祭ともいいます。古いキリスト教の国であるイタリアやスペインではイエスの降誕日である12月25日から顕現日の1月6日までをクリスマスとして祝います。そしてその時期にはナヴォナ広場ではクリスマス市が開催されます。イギリスやドイツ、アメリカでは12月25日にサンタクロースが子供達にプレゼントを持ってきますが、スペインやイタリアではベファーナという魔法使いが1月6日(5日の夜)にプレゼントを持ってくることになっているそうです。

最後に「ローマの祭」の大きな特徴のひとつとして、その編成の大きさを上げることが出来ます。基本的には3管編成ですが、それに加え10人を要する打楽器群、オルガン、ピアノ連弾、マンドリン、舞台外のトランペットが必要となることが実演の機会を減らしている一因ともなっています。アマチュアオーケストラとしては団員数の多い新響ですが、この曲を演奏するには団員だけではとても人数が足りません。本日の演奏は多くの賛助出演者の協力により実現することを最後に付け加えさせて頂きます。

初演:1929年2月21日 トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィルハーモニーによる
楽器編成:フルート3(第3フルートはピッコロ持替え)、オーボエ2、コールアングレ、Esクラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、タンブリン、ラチェット、鈴、小太鼓、中太鼓、トライアングル、シンバル、シンバル付大太鼓、大太鼓、タムタム、鉄琴、鐘、木琴、タヴォレッタ(木製の小板)2、ピアノ(2手および4手)、オルガン、ブッキーナ3、マンドリン、弦5部


レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」

田川接也(ファゴット)

ローマには噴水が多い。その数、千とも二千とも云われる。ローマでは古代から他の文明に先んじて、いち早く水道が発達した。今でも市内のいたる所に噴水が多いのは、そういう歴史背景によるものである。そのローマの噴水は、どれもあまり大きくはなく、これ見よがしに水を高々と噴き上げているものは殆どない。また、精緻な彫刻を施されたものが多く、芸術作品としての価値が高いものも多い。ローマ市民にとって、噴水は昔から憩いの場、安らぎの場であると同時に、生活に不可欠な水の供給源でもあった。

レスピーギは、そういうローマの噴水の中から4つを舞台として選び、夜明けから夕暮れまでの刻を切り取って4枚の絵を描いた。その情景そのものを描写している曲もあれば、その噴水から想起される幻想的なシーンを描いているものもある。彼は「それぞれの噴水が周囲の風景と最もよく調和する、あるいは見る人が最もそれらの美しさを感じることのできる時刻に着目し、その時受けた感情と幻想に表現を与えようとした」と言っている。

賑やかに始まり大音響で幕を閉じる「ローマの祭」や「ローマの松」に比べると、編成も小さく、三部作の中では、やや地味な印象を持たれるのは否めないが、情景描写はまことに繊細で美しく、聴いた後に安らぎを与えてくれる、まさに佳曲である。しかしながら、何故か1917年の初演時の評価は、本人がスコアをしまい込んでしまうぐらい惨憺たるものだったらしい。後年トスカニーニの手により再演され、絶賛を博し、無事真価が認められた。

尚、この4つの情景は途中途切れることなく、続けて演奏される。

第1曲「夜明けのジュリア谷の噴水」

レスピーギが選んだ4つの噴水の中で、この噴水だけが、現存していない、または特定できないと云われる。また「ジュリア谷」といっても、山あいの深い谷ではなく、「ローマの松」にも登場するボルゲーゼ荘の中にある少し窪んだ盆地のような場所らしい。まずは、ここからローマの一日が始まる。

まだ薄暗いジュリア谷。夜はいま明けようとしている。静かに夜が明けてゆく牧歌的な情景を木管楽器が情緒的に歌い交わす。牛の群れが乳白色の朝もやの中をゆっくりと通り過ぎて行く。あたりは次第に明るさを増し、もやがだんだん晴れてくる。いつもと変わらないローマの一日が、こうして静かに始まる。

第2曲「朝のトリトンの噴水」

澄み切った朝の空気の中、突然響きわたるホラ貝の音。急に目が覚めたように曲は始まる。トリトンは海神ポセイドン(ネプチューン)の息子で、下半身が魚、上半身が人という半人半魚。「海のラッパ手」という異名を持ち、嵐で難破しそうな船を見つけると、ホラ貝で嵐を鎮めてくれる、なんとも親切な神である。

眩しい朝日を浴びてトリトンが水の精たちと戯れる。トリトンが誇らしげに吹き鳴らすホラ貝の音、光にきらめく水のしぶき、乙女たちの嬌声、そして輪舞。力強いホルンの音に高音木管楽器やヴァイオリンが絡み、歓びに満ちた情景がリズミカルに繰り広げられる。

このトリトンの噴水はローマの中心部バルベリーニ広場にある。バロック期の著名な彫刻家ベルニーニの作品で、1643年に完成した。4頭のイルカに支えられた大きな貝の上にトリトンが乗り、空に向かって高々とホラ貝を吹いている。

第3曲「昼のトレヴィの噴水」

数あるローマの噴水の中で最も壮大かつ有名なのが、このトレヴィの噴水であろう。ローマといえばコロッセオなどと並んで、まず思い浮かぶ観光名所である。「愛の泉」とも呼ばれ、泉を背にして肩越しにコインを1枚投げ入れると、またローマに戻ってくることができると云われ、2枚投げ入れると好きな人と一緒になれる、3枚だと嫌いな人と別れることができると云われている。建築家サルヴィによって設計され、中断を挟んだ約30年の工期の末、1762年に完成している。宮殿の大きな壁面を背に、海神ポセイドンを中心にした壮麗な彫刻が居並ぶさまは、まさに壮観である。

海馬に引かせた馬車に乗り、トリトンや女神たちを従えたポセイドンの凱旋。木管楽器により提示される荘重なテーマは金管楽器へ受け継がれ、雄壮さを増し、ポセイドンたちが近づいて来るさまを表す。雲が起こり、海はまばゆいばかりに輝く。目がくらむような黄金の光の中、勝ち誇ったポセイドンの行列が目の前を通り過ぎて行く。そして遠くから響くトランペットの音とともに彼方へ消えていく。

第4曲「黄昏のメディチ荘の噴水」

小高い丘の上にあるメディチ荘からはローマ市街が一望できる。噴水は円形に広がった大きなお盆のような形をしており、その向こうにローマの街が広がっている。

噴水から、あかね色に染まった街が見える。夜明け、朝、昼と過ぎていったローマの一日も、そろそろ終わりを迎えようとしている。鳥のさえずり、木々のざわめきが聞こえる。あかね色の空は次第に暗さを増し、群青色に変わっていく。遠くで教会の鐘が鳴り、フルートが奏でるひばりが夜の訪れを知らせ、空には星が瞬きだす。やがて、ひばりもいなくなり、鐘の音だけが残る。そして、静かに明けたローマの一日は、感謝と共に静かに夜のとばりに包まれる。

初演:1916年、初演:1917年3月11日
ローマ アウグステオ楽堂 アントニオ・グァルニエリ指揮による
楽器編成:フルート2、ピッコロ、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、鉄琴、鐘、ハープ2、チェレスタ、ピアノ、オルガン(任意)、弦5部


レスピーギ:交響詩「ローマの松」

前田知加子(ヴァイオリン)

ローマ三部作の第2作目にあたるこの作品は、前作「ローマの噴水」から7年をおいて1923年から24年にかけて作曲された。初演は作曲後間もなくローマで行われているが、この時彼の地では、あのムッソリーニが選挙法の改正などを行い、着々とファシスト政権による独裁体制を固め始めていたということは、音楽には直接関係ないかもしれないが、記憶に留められてよい事実であろう。

前作同様、全体は4つの部分に分かれているが、切れ目無しに演奏される。三管編成の大オーケストラに、多様な打楽器、ピアノ・チェレスタ・ハープ・そしてオルガンが加わり、更にバンダと呼ばれる場外奏者を要し、鶯の鳴き声を録音したレコードまでもかけなければならないこの曲ほど、コンサートホールで実演を聞く醍醐味を味わえる曲はない。師のリムスキー=コルサコフを凌ぐ豪華絢爛・多彩なオーケストラの響きに身を浸すのと同時に、オーケストラを見る楽しみもそこにはある。

この作品についても作曲者自身によるコメントがのこされているので、以下鑑賞の手引きの参考としたい。

第1曲「ボルゲーゼ庭園の松」

「ボルゲーゼ庭園の松林の間で子供たちが遊んでいる。輪になって踊ったり、兵隊ごっこをして行進したり戦ったり。自分たちの叫び声に興奮して、夕暮れのツバメの様に群れを成し、来ては去っていく。突然、場面は変わり...」

ボルゲーゼ庭園はローマの中心部にある公園であるが、音楽は子供たちが元気よく叫びながら遊びまわる様子を表すべく、終始高音域で進行する。したかってチェロやファゴットの様な低音楽器でも、専ら高音部が使われ、コントラバスに至っては全曲出番がない。


第2曲「カタコンベの傍らの松」

「松の木の影が、カタコンベ(初期キリスト教徒の地下墓地)への入り口を象っている。地下の深みから悲痛に満ちた詩篇の調べが聞こえてくる。それは厳粛な賛歌のように辺りを漂い、次第にそして神秘的に消えていく。」

1曲目からなだれ込むようにして一転、静かな2曲目が始まる。暫くすると遠くからトランペットにより聞こえてくるのは、グレゴリオ聖歌のサンクトゥスである。やがて、迫害を受けた初期キリスト教徒の呟きの様な調べが低く奏でられ、次第に音量を増し、クライマックスでは先のサンクトゥスと響き合い、また消えていく。一度聴いたら忘れられない曲である。

第3曲「ジャニコロの丘の松」

「大気が揺らぐ。ジャニコロの丘の松は満月の明るい光に照らされ、くっきりと姿を浮かび上がらせて立ち、ナイチンゲール(夜鶯)が啼く。」

2曲目の重苦しい雰囲気を一掃するかの様なさわやかなピアノのアルペジオで始まる。最初クラリネットによって奏でられる夢見る様な鳥の囀りに、ピアノ・ハープ・チェレスタなどが降りかかる月の光のように絡む所は、この曲の最も美しい箇所であろう。短いが美しく官能的なチェロのソロも効果的である。曲の終わり近くには鶯の鳴き声がレコードによって流される(作曲者によりレコード番号まで指定されている)が、この辺りからチェロパートに目を転じると、何人かの奏者が首をかしげて糸巻きを回しているはずである.。これは次の4曲目でローマ軍の行進のリズムで、チェロの通常使われる最低音(ド)よりも半音低い音(シ)を弾くために弦を緩めているところ。一旦下げた弦を途中でまた戻すために、4曲目の途中でもまた同じことが繰り返されるはずである。

第4曲「アッピア街道の松」

「アッピア街道の霧深い夜明け。孤高の松は不思議な光景を見守る。静かに絶え間なく、尽きることのない足音のリズムが聞こえる。詩人は過ぎ去りし栄光の幻影を見る。トランペットが鳴り響き、新たに昇る太陽の輝きの中、執政官の軍隊は神聖街道を勢いよく進み、勝ちてカンピドリオの丘に登る。」

この曲では後半で、バンダにブッキーナという古代ローマ時代の楽器を使用する様指定されている。手元のイタリア語辞典には、バルブもピストンも付いていない角笛の様な絵が書かれているが、これでは恐らくレスピーギが書いた音は出せないのであろう。復元された楽器もあるようではあるが、実際には、トランペット、ホルン、トロンボーンを使用することが多く、レスピーギ自身も、代替楽器での演奏を考えていた様である。本日はトランペットで演奏される。会場で奏者がどこにいるかはお楽しみ。最初ほとんど聞き取れないローマ軍の行進の足取りが次第に高まり、全オーケストラの強奏にバンダ・オルガンを加えたクライマックスに至る過程は、殆ど催眠術に近いものがある。最良の聞き方は何も考えず、ひたすら音の洪水に身をまかすことであろう。

ところで、ローマの「松」は、地中海沿岸地域に広く生息する「カサマツ」(種名Pinus pinea 、松のなかの松、といったところか)で、高さ25mくらいになる高木である。種名の示す通り、ヨーロッパではこの種が松の代表とされており、日本の松とは異なる様だ(プログラムの表紙、8〜9ページの写真などご参照)。


初演:1924年12月 ローマ
楽器編成:フルート3、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン4、ティンパニ、トライアングル、小シンバル2、タンブリン、ラチェット、シンバル、大太鼓、タムタム、ハープ、鉄琴、チェレスタ、ピアノ、オルガン、レコード録音(ナイチンゲールの声)、ブッキーナ6、弦5部


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