2005年1月演奏会パンフレット掲載予定


プロの技術、アマチュアの心

〜マエストロ小松の超熱き想いに触れる〜

1994年「芥川也寸志メモリアル・コンサートII(映画音楽の夕べ)」、および1995年の174回新響「映画誕生100年記念」演奏会にて、聴衆の皆様はもちろん、我々団員にも強烈な印象を残した小松氏。2003年からは3年連続、6度目の共演となります。最近ではベルリオーズ、フランク、ラヴェルなどのフランスものを中心としたプログラムでしたが、今回は小松氏の熱い要望でローマ三部作を取り上げます。小松氏にとってのローマ三部作とは? また新響の今、そしてこれからは?折からの台風23号首都圏直撃の暴風雨激しい中、熱い想いを存分に語っていただきました。

− 本日は、台風直撃の中、どうもありがとうございます。

小松 確かにすごい天気で、早く終わらないと電車が止まりそうですね。

− 今日はローマ三部作のお話ですが、食事は和食&焼酎です。創作料理をお楽しみいただければと思います。

小松 音楽家は皆、おいしいお酒と食事は大好きです。グルメ小松ではなく、グルマン小松と呼んでください(笑)。

−  早速ですが、本題に入らせていただきたいと思います。まずはローマ三部作に関する先生の想いをお聞かせください。

小松 今回のテーマは「イメージが大切」です。演奏する側にとって特に大事なのは、音色のイメージを作れるかということ。一方聞く側にとっては、情景に対する自分のイメージの膨らまし、映像的ファンタジーを膨らます感性があるかどうか、がポイントです。色に対するイメージを豊かに持つ、空想的なファンタジーを羽ばたかせる、映像的にも音の色として膨らませる、ということ。色彩感は日本人にとって苦手な部分で、基本的に日本人には、日本人にとって最も大切な色である白を基本に、ほとんどモノクロームの色彩感しか無いと私は思っています。新響にも色がちょっと不足している部分があると思います。だから、小松と一緒に色を増やしてみませんか?ということでローマ三部作を提案させていただきました。新響&小松で色の探求を! イタリア人の色彩感は、ファッションを見ても分かるように鮮やかですからね。

− ところで先生は学生のときに「ローマの松」の演奏会ですごく感銘された経験がある、と伺いましたが。

小松 高校生の時の思い出です。若き日のロリン・マゼールが単身来日し、チャイコフスキーの交響曲第4番、「ローマの松」で、松がメインでした。東京の某プロオケがいつもとは違うすごい音を出し、その緊張感溢れた演奏は今でも忘れられません。

− 先生にとって、ローマ三部作の魅力とは何ですか?

小松 アマチュアナンバーワンの新響だから提案したプログラム、承諾してくれてとてもうれしく思います。プロでも3曲まとめてはめったにやらない。祭と松のパワフルな曲の、その間に繊細な噴水を置くということにより、叙情性とドラマティックな対比が出ます。この3つのセットというのは実に聞き応えがあり、迫力・色彩感豊かなものです。レスピーギの素晴らしいオーケストレーションも加わって、まさにオーケストラ音楽の醍醐味を満喫出来ると思います。ぜひご期待下さい。

−  たとえば、噴水だけが中プロとして取り上げられることがありますが、構成として今ひとつ無理があるように思えます

小松  そうですね。一方「ローマの松」だけ、というのはよくありますね、他のシンフォニーとの組み合わせなどで。
ここでは松の「オスティナート・リズム」というのがポイントなのです。日本人の音楽の体質というのがはっきりはしていないですが、西洋音楽の中で共感を持てるひとつが、ラヴェルの「ボレロ」に象徴される同リズム反復の音楽ではないでしょうか。力強い根源的なエネルギーの高まりを感じるのは、オスティナートリズムの音楽だと思います。だから、松を最後にすえるのがいいと思うのです。演奏効果としては祭はすばらしく、華やか。だが、松のほうが日本人には受けると思います。

− 次に、三部作それぞれの魅力、特色、聴き所についてお伺いします。まずは、「ローマの祭」です。

小松  色彩感が豊か、ということ。祭のバンダ(別働隊=ステージ以外で演奏するバンドの事)を日本人が聞いたら、甲子園の高校野球の応援団の音=祭、を思い出す人もいるかもしれません。三部作の最後に書かれた円熟さから、オーケストレーション的な魅力は祭が一番かもしれないです。にぎやかではあるが、メインではなく最初に持ってきてお客様に楽しんでいただきたい。祭のバンダは、円形劇場の中でファンファーレを吹き鳴らすイメージで書かれています。それによるサラウンド効果=暴君ネロを思い起こさせる感じ、でお楽しみいただきたい。イタリアの、ラテン系の華やかでホットな音楽を提示しつつ、その雰囲気を味わっていただきたいです。

− 「ローマの噴水」はいかがでしょうか。

小松  全体としては、演奏会の中プロとして取り上げられる要素があります。そのことからも解るように、祭と松の動的イメージよりも、叙情的・静的なイメージが強い曲です。噴水の演奏が一番難しい。3曲の中で一番“印象派”の音楽・音色に近い曲です。繊細さをとことん追求してみたいですね。ハーモニーの微妙な変化への対応性、小節線のまたぎのタイミングの絶妙な呼吸感、テンポ・ルバート(リタルダンドではない、たゆたう感じ)、これらがとても大事。繊細な「ハーモニーの色の変化」を出したいです。噴水の持つデリケートな美しさが浮かび上がり、前後の曲とのコントラストが引き立つでしょう。この演奏会で噴水の効果がどうあるべきか、コンサート全体の演出を考えて演奏したいです。繊細という意味では、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」の音形=特殊な新しいハーモニーの移植が見られます。「ばらの騎士」の非常にミステリアスな、微妙に光を反射しながら、きらきら感と神秘さを併せ持った和音。これらがレスピーギにも影響を与えているのではないでしょうか。あまりにも素晴らしいので、レスピーギも模倣したのではないでしょうか。

− それでは3曲目の「ローマの松」ですが。

小松  演奏効果はとても高い曲ですね。華やかさのみならず、重み、奥行き、深みもあるとても素晴らしい作品です。三部作の中でメイン曲になる、というのもうなずけます。オーケストレーションの華麗さと重み、両方併せ持っているからこそ、シンフォニーを押しのけてメインになり得る。立体的な音響、音楽、映像的なものを含んで、一番空間的な奥行きを感じます。ステージ裏のトランペット(カタコンベの中から響いてくるという演出)があり、アッピア街道のバンダありと、同じ曲の中に違うキャラクターのバンダ2つが出てくるという面白さがあります。祭ではマンドリンも入り、まさにイベント的な要素が強く、それはそれで面白いですが。

− 祭はやはり現実的なものではないですか?

小松  そうですね。松は、自然を通して聴き手の想像力を大きく羽ばたかせられる、という楽しみがあります。古代の「ベン・ハー」の世界に通じる、そういう様々なファンタスティックな世界を一人一人の聞き手の中で羽ばたかせることができるものです。最後に言いたいことは、オペラとかバレエは視覚を伴うもので、それゆえの強さ、言葉があるがゆえのインパクト、訴えかける強さがありますが、言葉のない、音だけの音楽は聞き手のなかで自由にファンタジーを羽ばたかせることができるというメリット、面白さがあるのです。標題音楽といっていながら、現実の舞台を伴わないが故の、逆に想像力を掻き立てる、聞いている人も興奮・感動するものなのです。

ここからが大事なポイントですが、イタリアで演奏するなら、祭がメイン、でいいと思います。イタリア人と日本人では気質が違うので。日本人は色彩感が乏しいが、イタリア人は色彩感があり、すぐ頭に血が上るタイプ(笑)。だからイタリアでは絶対祭がメインにいいと思います。日本人は、頭に血が上るといっても、その乗り方が違います。松の最後のオスティナートリズムでじわーっとのってくる=“じわノリ”のフィナーレ“なのです。アッチェレランドはしてはだめ。軽くなってはだめ。まさに“じわノリ”。このフィナーレでの本当にインパクトのある演奏は、じわーっと来ないといけない。

− イタリアという国に関して、何かありますか?

小松 我々が感じてないような色彩感覚のすばらしさ、空想のセンス、ファッションのセンス、つまりセンスということに関しては、すばらしいものがあると思います。音楽は、その国の国民性、民族性、気候、風土、言語などがすべて係わっているので、いい意味で古代ローマの事やその歴史の重みも含めて、今回はイタリアという国を満喫できればいいと思います。色彩感覚=センスがいい演奏を目指したいです。

− 今回で6度目の共演、ここ最近では3年連続のご登場になりますが、新響に対する率直な御感想をいただけますか。

小松  新響は私の理想とするアマチュアオーケストラです。もちろん技術的にもとても高いのが嬉しいですが、それ以上に団員全員が「今手がけている作品を通じて自分を豊かにする」という意識を持っているのがすばらしいです。このようなオーケストラとは、ぜひずっとお付き合いさせて頂きたいです。そして私の強烈な体質にも随分慣れていただいたようで(笑)。最初は小松ショックでアレルギーも大きかったのかもしれない。恒常的なお付き合いになったのは最近です。いい意味でカルチャーショック(刺激)になっているのであれば、うれしいです。今回はいままでの延長線上で「色彩感の更なる開発」、これが目的です。息の長い構築力というよりも、それぞれの場面での性格づけが大切で、それは色彩感であり、同時にドラマ性、強烈なキャラクターの表出です。新響はラテン系の曲を演奏することが少ない、ということも聞いたので、新響が私のオファーをOKしてくれてそれに取り組んでみよう、という意欲を見せてくれたことはとてもうれしく思います。

− ということは、次なる新響との取り組みは、どのあたりがターゲットになるでしょうか。

小松 アマチュア最高峰の新響が目指せるのであれば、「オーケストラのための協奏曲・三連発」というアイディアがあります。ルトスワフスキ、コダーイ、三善晃の三連発で何とバルトークは入りません(笑)。あえて新響だからこそ、やってみる価値はあるのではないでしょうか。バルトークのオケコンはすばらしいですが、バルトークの本来の持ち味とは違うと思います。「木製の王子」「中国の不思議な役人」など、バルトーク特集をやってみるのも面白いと思います。いい意味でのマニアックな感じ、マニアックとオタクは違うのです!(笑)

今回は、邦人作品がないので、次回に「オケコン三連発」に取り組めれば、三善を取り上げることが出来ていいのではないでしょうか。新響は、ご存命の作曲家を取り上げる、という方針で、それは自分も賛同できます。作曲家の先生と一緒に作り上げていく、というのが素晴らしいことで、私もその姿勢に大賛成です。これも私が新響に惹かれる理由のひとつです。

− 新響に対して最近感じられたことは。

小松  新響を一番評価しているのは、2003年1月の演奏会のプーランク「牝鹿」があれほどよくなるとは思わなかった。『皆さんがいままでブルックナーとかで積み上げてきたのとはまったく違い、この曲は、軽薄で頭空っぽで面白くやってみてくれないと困るのです』、これでみんながカルチャーショックを受けたみたいでした(笑)。そしてウィットとユーモアが随分通じる、感じられるオーケストラになったのがいいですね。“フランスのエスプリ”の次は“イタリアのカラフルな色”です。

あとは「ストラヴィンスキー三部作」(「火の鳥」は組曲)の三連発、三連発が新たなキーワードになりそう(笑)。実は新響はパワーがあるから、根源的なエネルギーのある「春の祭典」をぜひぜひやりたい! これは小松の究極の願い。新響のパワーと小松のパワーのCollaboration! 「プロの技術、アマチュアの心」。これは私の座右の銘ですが、そこに小松の指揮(バトン)が加わって皆さんが音楽的・合奏的にも精緻さが加わり幸せな接点になるのではないでしょうか。

−  え? それでは「春の祭典」が終わったら、さよならですか?

小松 新響と「春の祭典」を演奏するのは新たなる始まりで、私の特別な思いということを理解していただきたいです。まずは、「オケコン三連発」で、そのうち、「チャイコフスキーのバレエ曲三連発」とか、「ショスタコーヴィッチ・シリーズ」とか、じっくりと滋味深く「ブラームス・シリーズ」に取り組む、というのもいいのではないでしょうか。世界各地の指揮体験で得たそれぞれ本場のサウンド・音楽を、日本のオーケストラにフィードバックするという事も、私の大事な役目のひとつと思っています。

− 本日は素晴らしいお話をありがとうございました。それでは改めて、ローマ三部作についてキーワードをいただけますか。

小松 世界中を指揮してまわって、やはり日本人には色とデザイン的センスが不足していると感じます。西洋人が作曲したものにもかかわらず水墨画的な渋い色彩感を持つフォーレの「レクイエム」などのストイックな作品もありますが、今回のローマ三部作はその対極にある作品と言えるでしょう。

ですから色彩感を大事に。音にドブネズミ的(?!)でない色を付けましょう。そしてすべての情景において“鮮やかさ”の表出を目指しましょう。サラウンドの祭(人間)、アンテナ感度3倍が必要条件のセンシティブな噴水(人造物)、“じわノリ”の熱い熱いフィナーレの松(自然)、というところでしょうか。

(一同) 本日は台風の中、台風を吹き飛ばすような熱い想いを、どうもありがとうございました。


聞き手:小出高明(Vn)、土田恭四郎(Tuba)、柳部容子(Vc)
構成;小出高明(Vn)、藤井 泉(Pf)


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