2004年10月演奏会パンフレットより


曲目解説プログラムノート                

チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ

藤井 章太郎 (フルート)

チャイコフスキーは、生涯10曲におよぶ歌劇を作曲したが、ロシアのリアリズム文学の創始者として評価されているアレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキンの韻文詩「エフゲニー・オネーギン」を題材として、1877〜79年にイタリアで作曲されたこの作品が最も有名であろう。

社会的矛盾の中で厭世的になったオネーギンが農村に滞在している。田舎地主の娘タチアナはニヒルなオネーギンに恋をする。タチアナの純愛に対し、オネーギンは「あなたのことは妹のように愛している。結婚とは習慣であり、習慣は愛の終わりである。」と冷たくあしらう。そのうえ友人レンスキーの恋人である妹のオリガを口説こうとする。そして、レンスキーと決闘になりレンスキーを殺してしまう。

良心の呵責に悩むオネーギンは、26年間の放浪生活の末、親戚であるグレーミン公爵の屋敷の大夜会舞踏会で、公爵の妻となったタチアナに再会する。オネーギンは再会したタチアナを愛していることに気がつき、彼女に駆け落ちを迫る。タチアナはまだオネーギンのことを愛していながらも愛を拒絶する。タチアナに愛を拒まれオネーギンは絶望のどん底に突き落とされる。

このポロネーズは、首都ペテルブルクの社交界、グレーミン公爵家の大夜会舞踏会の場面である第3幕第1場で演奏される。

初演:1879年3月30日、N.ルビンシテインの指揮、モスクワ音楽院の学生の手で行われ、学生の未熟さがかえって演奏を引き締めたと言われている。

楽器編成(ポロネーズ):フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦楽5部


チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」

藤井 章太郎(フルート)

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は、「白鳥の湖」「眠りの森の美女」とともに、3大バレエ音楽として、あまりにも有名である。1890年、マリインスキー皇帝劇場の支配人フセヴォロジスキーは、新たにバレエ音楽を作曲するようチャイコフスキーに依頼した。バレエの題材はドイツロマン主義作家であるエルンスト・テオドーア・アマデウス・ホフマン原作の「くるみ割り人形と二十日ねずみの王様」だが、バレエ制作の原典はデュマのフランス語版「くるみ割り人形」をもとに振付師プティパがまとめた台本である。この時期は長年の文通と経済的支援でチャイコフスキーを支えてきたフォン・メック夫人との突然の別離で精神的に不安定な状況であったし、チャイコフスキー自身も「くるみ割り人形」の童話を読んではいたものの、童話はバレエに向かないと考えていた。しかし、プティパの台本を読んでみると、場面の音楽について細かい指示もあり、ホフマンの原作がバレエに巧妙にまとめ直されていた。気乗りしないものの、帝室劇場への深い義理もありこの依頼を引き受けることにした。

ニューヨークに向けてカーネギーホールのこけら落し演奏旅行など多忙な毎日を送るなか、1891年7月に草稿を完成し、1892年2月からオーケストレーションに着手した。この頃ロシア音楽協会から新作の演奏会を急に依頼されたが、新作を手がける時間もなく、作曲中のバレエ「くるみ割り人形」から8曲を選んで、組曲「くるみ割り人形」作品71aとしてバレエより先に発表することにした。この組曲の初演は1892年3月20日に行われ大成功であった。バレエ「くるみ割り人形」の初演は1892年12月19日、ペテルブルグのマリインスキー皇帝劇場にて行われたが、急病に倒れたプティパに変わって弟子のイワーノフが一部台本を改訂して振り付けを行ない、このバレエ初演は不評であった。しかしながら聴衆はチャイコフスキーの美しい音楽には惜しみない拍手を送ったのであった。

バレエのあらすじ(ワイノーネン版) 

第一幕:クリスマスイブ、マーシャの家のパーティーで、魔術師のドロッセルマイヤーが、いろいろな人形を踊らせて子供達を驚かせている。マーシャの為に出した人形は「くるみ割り人形」だった。マーシャはとても気に入るが、醜い人形だったので、他の子供達はマーシャをはやしたてていじめる。パーティーがおひらきになると、マーシャは「くるみ割り人形」を抱いて眠ってしまう。その夜更け、ねずみの大群が現れ、おもちゃの兵隊達と戦うが、最後に勝利をおさめるのは「くるみ割り人形」に率いられた鉛の兵隊だった。

第2幕:「くるみ割り人形」は美しい王子様に変身し、マーシャをおとぎの国に連れて行く。おとぎの国では、お菓子の精やおもちゃが踊る民族舞踊のパーティーで楽しい時が過ぎていく。最後に、王女様になったマーシャと王子様になった「くるみ割り人形」が踊り、続いて全員の踊りに展開していく。急におとぎの国は消え、場面はマーシャの寝室になる。マーシャは「くるみ割り人形」を抱きしめて寝ている。

1. 小序曲
この曲では、トロンボーンやチェロ、コントラバスといった低音楽器がtacet(全休)である。サンクトペテルブルクのリマインスキー劇場で上演されたキーロフ・バレエの実況録画では、小序曲が演奏されている間、観客席のとびきり可愛い子供たちが楽しそうに「お行儀悪く」クリスマスイベントの幕開けを待っている様子が映し出されるが、低音部が極端に薄いこの曲のサウンドは、まさにこの光景にベストマッチである。

2. 個性的な踊り
バレエでは「個性的な踊り」は第2幕12景で上演されるが、組曲では第1幕2景の「行進曲」と第2幕14景の「こんぺい糖の踊り」が加えられている。
a)行進曲:マーシャの家のクリスマスパーティーで、この行進曲と共に子供達や参会者が登場する。金管群のテーマが印象的。
b)こんぺい糖の精の踊り:おとぎの国で王女様になったマーシャの踊り。チェレスタの旋律が夢の中の世界を連想させる。
チャイコフスキーは米国への演奏旅行の際、途中パリで当時発明されたばかりの楽器チェレスタをみつけ、友人で楽譜商のユルゲンソンに「この楽器を買っておいて欲しい。それから、私が最初に使いたいから、この楽器の存在を、他の人(当時のロシアの作曲家達)には内緒にしておくれ。」と頼んだというのは有名な逸話である。
本日使用するチェレスタは、数年前に新響維持会の資金から購入させて頂いたヤマハ製の楽器です。維持会の皆様に改めてお礼申し上げます。
c)ロシアの踊り(トレパーク):トレパークとはロシア農民の踊りで、男女3名のダンサーが軽快なリズムにのって踊る。
d)アラビアの踊り:コーヒーの精の踊り。5人の女性ダンサーによる甘美な踊り。
e)中国の踊り:お茶の精の踊り。フルート、ピッコロの旋律に乗って男女一人ずつのダンサーがコミカルに踊る。
f)あし笛の踊り:3人の子供が踊る「おもちゃの芦笛」の踊り。3本のフルートの旋律が小気味よい。

3.花のワルツ
パーティーの大詰め、おとぎの国の花たちの踊り。このワルツの後に、マーシャと「くるみ割り人形」のパ・ド・ドゥが続く。

2002年11月、新響長野公演でウラジミール・オフチニコフ氏をソリストに迎え、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を演奏した際、オフチニコフ氏はこの「花のワルツ」をグレンジャー編曲版でアンコール演奏したが、まるで千手観音が演奏しているのではと思わせるほど「多くの音」がぎっしり詰まった演奏であった。ステージ上の団員もあっけにとられて聴いていたのは、言うまでもない。

我が家では12月後半になると、居間に高さ約30cmのくるみ割り人形が置かれる。この人形は、フルートパート団員からドイツ演奏旅行の土産として貰ったものだ。私の家内は、新響のピアノ奏者である。1993年のドイツ演奏旅行では、一人娘の世話で夫婦どちらかが居残りしなければならず、「ピアノ奏者は一人しかいないが、フルート奏者は6人いる」という理由で私が居残り番になった。そのときのフルートパート団員が買ってきてくれた大切な人形なのである。貰ったときは「これが、くるみ割り人形なのか・・」ということ以外、何故ドイツの土産なのかという事も、クリスマスとの関係なども、殊更気に留めなかった。その後、年末の欧州に渡航する機会が多くなり、くるみ割り人形とクリスマスが実体験としてつながった。ドイツの都市では、11月末からクリスマスまでの間、日本で例えると縁日の屋台みたいな小屋が目抜き通りや広場に設けられるが、玩具屋やクリスマスオーナメント屋では、いろいろなくるみ割り人形が陳列される。夕刻ともなると、人々はホットワインを飲んで暖をとりながら、通路に面した小屋の窓の中でライトに照らされたくるみ割り人形の横を通り過ぎていく。日本で慌ただしい日々の生活に追われていると、この光景も、また夢のようなものかも知れない。

初演:組曲の初演は1892年3月20日でバレエに先だってペテルブルクで演奏された。バレエの初演は1892年12月19日。
楽器編成:フルート3(3番ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、タンブリン、鉄琴、チェレスタ、ハープ、弦5部


チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」

橘谷 英俊(ヴァイオリン、ヴィオラへ出向中)

最初から脱線してしまうのであるが、筆者が史上最高の映画として公言してはばからないのは「ウェストサイド物語」である。ストーリー良し、俳優(特にナタリー・ウッド)良し、踊り良し、音楽(バーンスタイン)良し、カメラワーク良し、欠点が見つからない。映画館で10回、テレビやDVDなどを合わせると数十回は見ているかもしれない。この撮影が行われたのはニューヨークの再開発前のリンカーンセンターのあたりである。

ウェストサイド物語のストーリーは良くできているが、それもそのはず、シェークスピア先生の「ロミオとジュリエット」を、舞台をヴェローナからニューヨークへ、モンタギュー家の「ロミオ」をイタリア系チンピラ集団のOB「トニー」へ、キャピュレット家の「ジュリエット」をプエルトリコ系のチンピラ集団のリーダーの妹「マリア」に置き換えたものであることは皆様ご存じの通り。

たしかに対立する二つの団体に属する男女が恋に落ち、団体の憎しみが2人に不幸をもたらすというプロットでは同じだが、ウェストサイドでは仮死状態を招く不思議な薬を提供するロレンス神父は登場せず、マリアは死なない点では違う。

もっとも、シェークスピア30歳のときに書かれたこの最初の悲劇は、実話や伝承に基づいて書かれたイタリアの作家バンデッロの散文を翻案したものであったが、ジュリエットの年齢をわずか13歳にし(なかなか大人になれない現代人と違い、昔の人は成熟が早かった)、たった5日間の物語とし、端役にまで生命を吹き込んだのはシェークスピアならではの手腕であった。また、42時間仮死状態になる魔法の薬(もう5分ジュリエットの目覚めが早ければ悲劇にならなかったはずで罪な薬である)が登場し、ロミオへの連絡がペストで足止め(現代は電話の発達ですれ違いを小説に書けなくなるのではないだろうか)されて、悲劇性が増大される。

この劇の最高のシーンはやはりバルコニーシーン(ウェストサイド物語では「トゥナイト」が歌われるシーン)だろうか。仮装舞踏会でジュリエットに一目惚れしたロミオが危険を顧みずキャピュレット屋敷に忍び込み、バルコニーで「おお、ロミオ、ロミオ!なぜあなたはロミオなの?」(福田恒存訳)と独白するジュリエットと愛の言葉を交わす場面である。なお、舞台となっているヴェローナにはジュリエットハウスという観光地があり、バルコニーとジュリエットの像が観光客の人気を集めている。

この劇は何度も映画化されているが、15歳のオリビア・ハッセーがジュリエットを演じたものでのバルコニーシーンはすばらしい。また、「恋に落ちたシェークスピア」ではこのバルコニーシーンはシェークスピア自身の体験に基づいたものであったことになっている。

さて、本題である。チャイコフスキーは友人のバラキレフに強く勧められて書いたが、いろいろなアドバイスや干渉により、何度も改訂されている。

序奏の重々しい主題はロレンス神父(例の薬を使った計画の立案者)を表すが、木管楽器の音程を合わせるのが大変難しい。

アレグロになり、第1主題は、モンタギュー家とキャピュレット家の争いを表す。途中の全弦楽器による音階を主体とするユニゾンがぴったり合うかどうかでオーケストラの実力がわかる。管楽器による荒々しい合いの手はサーベルがふれあう音を彷彿とさせる。

静かになるとコールアングレとヴィオラに美しい愛のテーマである第2主題が現れ、バルコニーシーンが表現される。続いて夜のとばりを表すような静かな弦楽器の伴奏の上に木管楽器で愛のテーマが続く。 

2人の愛が高まっていくものの、再現部で両家の争いがまた現れ、葬送行進曲風のパッセージで2人の死が表現され、第1主題が長調に転調されて2人は天国で結ばれたことが表現され、印象的に終わる。

オーケストラ曲としては非常にポピュラーで、新響メンバーのほとんどは演奏経験があると思われるが、意外に難しい曲である。普段控えめなヴィオラが第2主題を朗々と奏でるので、是非ご注目いただきたいと思います。

初演:1870年3月4日、ニコライ・ルービンシュテイン指揮ロシア音楽協会モスクワ支部第8回交響楽演奏会にて(ただし初稿版)
楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、7トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、ハープ、弦5部


チャイコフスキー:交響曲第4番 へ短調

野崎 一弘(トランペット)

この譜面は本日演奏する交響曲第4番のトランペットの冒頭部分のパッセージです。(HPでは省略)

チャイコフスキーの説明によるところの「運命」を表す序奏のファンファーレが、最初のファゴットとホルンに続いて勇ましく力強く奏されます。この曲を演奏されたトランペット奏者の中には、この場面でプロ、アマ問わず苦い経験をされた方が少なからずおられるだろうと思います。「音質、音程、アタック、バランス…」良かれ悪かれ聴衆の皆さんの評価を受けてしまう所で、この音型は汪y章と4楽章の後半に現れます。トランペットはたぶんオーケストラの中で打楽器とトロンボーンを除いて、音量、音質的にその他の楽器を凌いでおり、本来非常に鋭い音色を持っています。その為、オーケストラがffで全奏していても音がでしゃばりすぎる可能性が高い楽器で、他と比べて特別に「ミス」しやすい楽器とは思いませんが、オーケストラの中でトランペットが「ミス」を犯せばすぐに気付かれてしまうという宿命を持っているわけです。私達トランペット奏者はこのような緊張を強いられながら、この交響曲は始まります。

1.チャイコフスキーの交響曲

チャイコフスキーの交響曲は完成されて番号の付いた6曲が有ります。(他に番号の無いマンフレッド交響曲が有ります)初期作品は第1番「冬の日の幻想」第2番「小ロシア」第3番「ポーランド」の3曲です。中期作品は本日演奏する第4番。後期作品は第5番と第6番「悲愴」と一般的に分類されています。

初期の作品はロシアの冬景色の雰囲気を伝えるような民族的な作品で、特に第1交響曲はロシアが生んだ最初の記念碑的な交響曲と言われています。中期の代表作の交響曲第4番にはさらに新しい特色が加わっています。すなわち民族的な音楽の上にチャイコフスキーの人生上の問題、個人的な苦悩を表現したのでした。

この第4交響曲はロシアが生んだ交響曲の最初の傑作であると言われています。その後この作品のあり方は、後期傑作の交響曲弟5番と交響曲第6番「悲愴」の円熟した作風に受け継がれて行きました。

2.交響曲第4番の概説

作曲は1877−1878年1月にかけて行われました。良く知られていますが、この曲を作曲している頃にチャイコフスキーに二つの大きな出来事がありました。一つは45歳の裕福なメック婦人から無償の愛の援助を受けた事です。この交際は実に不思議で互いに顔を合わせる事なく、密接な手紙のやり取りのみでした。とにかく婦人から毎年膨大な年金を受けています。

もう一つはアントニーナとの結婚です。アントニーノに押し切られた形で結婚しましたが、どうしても愛する事が出来ず、ひと月もたたずに家を抜け出し、すっかり神経衰弱に陥ってしまい、ついには自殺まで起こしているのです。

このような中で作曲が進められ、最終的にイタリアの転地療養先で完成していますが、この二つの対照的な出来事が直接、又、間接的にこの作品に関与していると言われています。

1楽章 アンダンテ・ソステヌート−モデラート・コン・アニマ  ヘ短調  4/4拍子
ファゴットとホルンによるファンファーレで「運命」の序奏より始まりトランペットに受け継がれます。
これは以後何回も出てきますが、展開部のピークに、この主題だけが3/4拍子で出てくる所は強烈な効果が有り印象に残ります。

2楽章 アンダンテ・イン・モード・ディ・カンツォーナ  変ロ短調  2/4拍子
オーボエの物悲しい旋律で始まります、独特の哀愁をおびた旋律を味わってください。

3楽章 スケルッオ、ピッツィカート・オステヌート−アレグロ  ヘ短調  2/4拍子
弦のピッツィカートで始まります、ピッツィカートが目覚しい効果を上げています。

4楽章 フィナーレ、アレグロ・コン・フォーコ  ヘ長調  4/4拍子
自由なロンド風で書かれており、フルオーケストラの輝かしく激しい音楽で始まります。後半に汪y章の「運命」の序奏が再現してその後クライマックスに達して終わります。強い意志と未来への希望が伝わって来ます。

作曲:1878年1月 イタリア、サンレモで完成
初演:1878年2月23日  モスクワ
楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、トライアングル、シンバル、弦5部
新響演奏経歴  
1970年11月4日  第20回定期演奏会  指揮 外山雄三   共立公会堂
1985年11月3日  第109定期演奏会  指揮 芥川也寸志  東京文化会館


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