2004年4月演奏会パンフレットより


高関健が語る名曲・名演の「舞台裏」

昨年4月の新交響楽団の定期演奏会以来、1年ぶりに定期に登場する高関健さん。遺作となった石井眞木の「幻影と死」の原典となったバレエ音楽「梵鐘の聲」を初演した高関さんは、カラヤンを身近に知る指揮者の一人でもある。石井、ベートーヴェン、「ばらの騎士」の魅力、そして、カラヤンの思い出を語る。

インタビュアー:新交響楽団団長 土田恭四郎

■「ケンカ」から始まった眞木さんとの親交

 ― 高関さんは、これまで数多く石井作品を演奏してこられ、氏に最も近い指揮者の一人と思うんですが、その出会いはどういったことからなのですか。
 
高関 私は学生時代までヴァイオリンを弾いていましたが、眞木さんの作品を最初に弾いたのは、「日本太鼓とオーケストラのためのモノプリズム」の日本初演でした。小澤征爾さんの指揮でしたが、新日フィルのエキストラで第2ヴァイオリンを弾きました。そのとき、弾きながらとてもビックリしたんですね。ものすごいダイナミックな曲を作る人がいるんだなぁ、と。後に私がベルリンに留学してすぐ翌年、1979年に岩城宏之さんがベルリン・フィルの定期をお振りになった。その時、プログラムの1曲目が眞木さんの「オーケストラのための曙光 (1980)」の初演でした。練習から本番まで全部聴かせてもらいましたが、もちろん眞木さんも練習に立ち会われていて、その時初めてご挨拶しました。
 演奏会が無事に終わって、当時ベルリンに「京都」という学生も集まることができるような気軽な日本レストランがあったのですが、そこで打ち上げになったんです。前年のカラヤン・コンクール・ジャパンで入賞した3人(竹本泰蔵さん、今村能さん、私)がその場に揃っていましてね。で、岩城さんと眞木さんを中心に打ち上げをやっていた時に、眞木さんが初めて我々を目にとめて、「君たち、現代音楽をやらなきゃ指揮者じゃないよ」って言われましたね(笑)。それに対して三人三様の答え方をしたのですが、私だけが「うーん、でも僕らはドイツの音楽を勉強しに来たわけで」と言っちゃった(笑)。そうしたらその宴会の間ずっといろいろと言われましてね。最後にお開きという頃に、「おい、お前」と言うわけですよ。「なんですか?」と言いつつ内心、「これはまずかったかなぁ」と思いました(笑)。そうしたら「俺とケンカをしろ」とおっしゃるんです。
 それで、お互い酔っ払っていたこともあって、取っ組み合いになって、眞木さんは「俺は空手が強いんだ」とか言ってね。のしかかってこられて、受けないわけにいかないじゃないですか、逃げるわけにもいかない。結局、組み伏せられて、締め上げられて、おしまいだったんです。何しろ、向こうのほうがデカイですからね(爆笑)。
 そんな出会いから始まって、眞木さんの曲はいろいろ演奏していますけれども、私が「眞木さん、ここはどういうふうに演奏するのですか?」って聞くと、「そんなの君の読んだとおりにやりゃいいんだよ」っておっしゃるわけです。そのわりには、練習に来ると、「ちょっとそこテンポが遅い方がいいんじゃないか」なんておっしゃる(笑)。「もうちょっとこう、はったりをかましてだな」とか、そんな人でしたね。

 ― 邦人作品も数多く演奏する高関さんですが、日本人作曲家の中で、石井作品はどんな存在ですか?

高関 日本人作曲家としては、武満徹さんと両雄だったのではないでしょうか。日本人の感性の中のダイナミズムを世界に知らしめたと思いますね。武満さんはもちろん対照的に繊細な部分を担当していたように思います。私はアメリカのことは良くわかりませんが、ヨーロッパやドイツの人たちが持つ日本人のイメージから見ると、武満さんの作品の方が、どちらかといえば向こうの人の好みではあるんです。だからこそ、眞木さんの曲が演奏されると、非常に新鮮に受け取られるみたいですね。

 ― 石井先生の曲には、お坊さんが登場したり、声明があったり、世阿弥が出てきたり、日本人にさえ衝撃的ですからね。

高関 そうですね。初めて聴く人は相当度肝を抜かれたと思いますよ。でも、晩年は、いわゆるヨーロッパで普通に使う楽器で同じようなことをやったわけですよね。和楽器を使うと、日本人にしか演奏できないですからね。そうではない、みんなが演奏できて、わかりやすい曲を書くようになっていたように思います。
 お坊さんを連れて行くとか、演奏する時の物理的障害は、現実としてすごく感じられていたと思いますよ。眞木さんはTOKK(東京音楽企画研究所)というアンサンブルを組織されたこともあるし、そうやって和楽器、雅楽、お坊さんなどをヨーロッパに連れて行ったこともありますが、やはりそういうことより、現地の音楽家だけで演奏できたほうが自分の音楽が広まっていくのだという考え方に方向が変わっていったのだと思います。この「幻影と死」もノーマルなオーケストラ編成で作曲されています。特殊な打楽器は2〜3種類でしょうか、あとはみんな普通のオーケストラの楽器で演奏できます。

 ― 今回の「幻影と死」は、3幕もののバレエ曲「梵鐘の聲」を原典としているわけですが、この第1幕と第2幕を中心に再構成していると考えていいわけですか。
           
高関 そうです。ほぼ100%「梵鐘の聲」から採ってこられています。「梵鐘の聲」は、晩年の最後の時期の眞木さんの創意とでもいうのかな、そういったものの一番大事なところを集めた曲だったと思います。彼はオペラをもう一本書くつもりでいたようですが、もし書いていたとすれば、この「梵鐘の聲」とおそらく似たような作品を書いたでしょうね。
 一流の作曲家というのは、自分の書法というものにこだわるわけです。いろいろな作品があるなかで、パッと聴いた瞬間に「あっ、これは石井眞木だ」「これは武満徹だ」ってわかるような音楽を最終的には書きますね。それは他の現代の作曲家もそうだし、もっと前の作曲家もそうですけれど、スタイルを確立すると、どの作品も似た響きを持つようになります。
 石井作品の場合、「祇王」(1984)、「解脱」(1985)あたりの作品から、そうした書法が確立したように思います。「梵鐘の聲」は1998年に初演されていますが、その頃の石井作品は、もう聞けばすぐわかる。

― 石井さんは、交響詩「祇王」について「東洋と西洋音楽の統合である」と述べておられましたね。石井作品は「東西の融合」というキーワードで語られることが多いのですが、高関さんはどう見られていますか?

高関 「祇王」あたりは、確かに転換点かもしれませんね。70年代の眞木さんの曲というのは、日本の楽器が多用されていて、融合というよりは、眞木さんの中にある日本人としての感性をそのまま奔放に表現されていたと思います。でも、「祇王」が作曲された80年代に入ると、傾向が変わってきていると思います。
 「融合」ということも、ちょっと口走っておられたと思うのですが、「要するにもっとスケールの大きな事をやりたいのよ」というようなお話はありましたね。日本人でなきゃ演奏できないような曲は書きたくない、というような言葉は私も伺った覚えがあります。

― 「幻影と死」は平清盛が題材になっていますが、我々は平清盛というと、あるイメージを持つことができますよね。西洋人は、こうした日本の歴史的な物語に基づく音楽をどう聴くのでしょう。

高関 たとえばヨーロッパの人たちは「ドン・キホーテ」と言っただけで、あるイメージを持ちますよね。それぞれの地域の人が持つ歴史、風土から、当然、イメージは違ってきます。しかし、だからといってヨーロッパ人にとって平清盛というイメージがわかなければいけないかというと、そういうことでもないと思います。
 ですから、彼らが平清盛を知らなくても、それが日本人にとって、どのように語られてきたかを知らなくても、平家物語を読んで理解できるわけですよね。それでいいのではないかと思います。逆に言えば、ドン・キホーテの受容史を知らないと、西洋音楽ができないという考え方は、私は違うと思います。それは、この年になって、やっと思いますけどね。私自身も一時期は西洋人を真似ることを追い求めた時期もありました。学生時代には、ウィーン・フィルの録音を38センチのオープンリールテープでコピーして、4.75センチでゆっくり再生してですね、ウィンナーワルツの2拍目が普通の3拍子にくらべてどれだけ早く来るか、なんていう馬鹿みたいな研究をおおまじめにやったこともあるわけですよ(爆笑)。もちろん、それはそれで今も役に立っていて、無駄にはならなかったと思いますよ。でも、ただそれだけじゃ、どうしようもないわけですよね。

■版で異なるベートーヴェン像

― ところで、今回演奏するベートーヴェンの「運命」では、普段あまり耳慣れないClive Brown版を使用します。その意図は?

高関 私は3種類の原典版をすでに全部演奏したことがあります。ギュルケ版もやったし、ベーレンライター版もよくやっています。マルケヴィッチ版も1回やったことがあります。もちろんベーレンライター版が出る前は、ブライトコプフ社の旧版を使っていました。その結果思うのは、ベーレンライター版はむしろ保守的ですね。全9曲すべてで、そのことが言えます。この先ヘンレによる新全集版が出たら、もっと違う見解が出てくるでしょうね。ベーレンライターの保守的な姿勢が浮き彫りになると思います。
 例えば、すでに出版されている新全集(ヘンレ)版の交響曲1番や2番などを見ると、ベーレンライターとの違いがほんとうによくわかりますね。以前から私はベーレンライターの編集方針が不徹底だという思いがありました。その点、このブラウン版を見たときに、相当踏み込んでいて面白いと思ったんですね。ファクシミリ(自筆譜の写し)と比べながらブラウン版を見ると、もともと自筆譜にあった事が幾つも採用されていることもあるので、この際ブラウン版でやってみよう、と。それで、すぐにパート譜を買ってしまいました。この先ヘンレの新全集が出れば、また違った見解が出てくるでしょうから、その時はまた、新たに考え直そうと思っています。
 5番について言えば、やっぱりこれだけ問題がある以上、見解の違う版を演奏した方が結果が面白いと思いますね。私の考えではベーレンライター版は、今までのベートーヴェン像の枠の中に入っちゃっているし、衝撃を受けることが少ないような気がします。
   
 ― 今回のブラウン版で唯一、高関さんの中でひっかかっているのは第3楽章の繰り返しの件でしょうか。

高関 第3楽章全体の反復についてはさまざまな意見があります。現在出ている3種類の原典版はそれぞれ楽譜と同時に校訂報告と資料の評価に関する本を出版しています。これを読むのは非常に大切なことですが、ギュルケは反復すべき、デルマーは反復なし、ブラウンは結論を出していません。興味のある方は是非読んでみていただきたいと思いますが、論点は元になる資料の中のどの部分を評価するか、ということですね。資料というのは自筆譜、筆写譜、初演当時の手書きのパート譜、後の出版譜、作曲家と出版社との手紙のやり取り、初演を含めた演奏の批評など広範囲にわたります。ブラウンはどちらかと言えば、自筆譜を積極的に評価しているようで、その点で私の好みに合っています。因みに今回は第3楽章の反復も行なうつもりです。
 今後は新全集版による残りの交響曲の出版が待望されます。他の分野の作品はかなり出版が進んで、たとえば協奏曲はすべて揃いました。たとえば、「皇帝」(ピアノ協奏曲5番)の2楽章にとんでもない不協和音が1発ある。それも新全集版で初めて出てきたものです。そういう事は今後もいろいろ出てくるでしょう。まだまだ興味はつきません。交響曲5番、6番については、日本でも残念ながら早くに亡くなられましたが、小島新先生が相当なところまでつっこんで研究をなさっていました。こうした国内での研究も大事にしなければならないと思います。
 
 ― 「運命」の冒頭の部分では、指揮者によって演奏のしかたが随分ちがいますね。それに、同じ指揮者でもその時々で違っていたりもします。

高関 冒頭の「ジャジャジャジャーン」のテンポが一番早い指揮者は誰だと思います?なんとブルーノ・ワルターなんです。意外でしょ。そのかわりフェルマータが異常に長い。冒頭については今回の演奏会でも、いろいろ考えていますよ。
 有名な話ですが、冒頭の4小節目(譜例1)は、最初、無かったのです。あそこは印刷する段階で書き足されたのですね。自筆原稿には無いんですよ。ベートーヴェンの頭には、最初はそういうイメージはなかった。演奏してみて、2つ目の方が長い方がよい、と確認したようですね。だからベートーヴェンは試演した段階でこの1小節を入れた。
 もっと面白いのは、しばらく進むと再びフェルマータが2回ありますが、その2つ目(22〜24小節目)が最初は無かった。この部分は後で原稿に書き足しているのです。ファクシミリを見るとはっきり分かる事ですが、ベートーヴェンは五線紙を注文した時に、横の線(五線)だけではなく、縦線を2本入れさせて、1ページを3等分にしていました。つまり、3小節にしていました。5番の第1楽章の場合、ベートーヴェンはそれを自分でまた半分ずつに区切って、6小節にして書いていきます。
 ところが問題のところだけは1ページが8小節になっている。しかも1つ目の「ソ」のフェルマータを区切る小節線の本当にちょっと手前に小節線をもう1本引いて、その間に「ラララ」とへばり付くように書きこんであります。「ファ」のフェルマータも小節線のすぐ右につぶれるように小さく書いて、またすぐに小節線です(譜例2)。ということは、この2小節は後で入れたと考えられるわけです。しかも23小節目については冒頭の第4小節目と同様に出版の段階で初めて付加されています。

 ― 欧米ではこの交響曲を「運命」と言う習慣はありませんよね。

高関 そうですね。パストラール(田園=6番交響曲)とエロイカ(英雄=3番交響曲)はむこうでも必ず副題で呼ぶのですが、5番についてはただ、「ナンバーファイブ」ですね。

 ― なぜ日本ではこのような表題を付けるのでしょうか。

高関 それは、弟子のシントラーが後に語った話からきているわけでしょう。ベートーヴェンが「運命はこのように音をたたく」と彼に言ったという、例の話ですね。ただ、私がベルリンに留学しているころ、「運命」の廉価版のLPを買った時に、『Schicksals-Sinfonie』(運命交響曲)と書いてあるジャケットを見たことがありますよ。ドイツでもそういう呼び方をまったくしないわけではないようですね。

 ― 日本では第9番の交響曲が年末に盛り上がりを見せますが、ドイツではどうなのでしょうか。

高関 ベートーヴェンの交響曲は総じてよく演奏されています。しかし第九はむしろ少ないと思います。でも、ライプツィヒでは確か毎年1月1日に演奏しているのではないでしょうか。だいたいライプツィヒの伝統を近衛秀麿(指揮者)さんたちが持ち込んで、1月1日にやる予定が、日本は旗日で出来ませんから、それで年末にやろうということになったのが始まりです。これがよく言う「餅代」になるわけですね。合唱団が切符を売ってくれるので、オーケストラが潤うわけです。師走の忙しい時期ですから、普通、演奏会には人が入りません。ところが、第九をやるとお客さんはどんどん入ります、今でもね。これはいいことを考えたものだと思いますよ。
       
■カラヤンと「ばらの騎士」

 ― さて、高関さんといえば、77年に「カラヤン・コンクール・ジャパン」で優勝し、ベルリンに留学され、カラヤンの薫陶も受けるわけですが、「ばらの騎士」では、そのカラヤンのザルツブルクでの演奏(1983,84年)が名演として知られていますね。

高関 はい、やっぱり素晴らしかったですね、カラヤンの「ばらの騎士」は。あの当時はカルロス・クライバーが全盛期で、私はもちろんミュンヘンまで観に行きましたし、全部で3回くらい観ているんですが、やはりクライバーとカラヤンは、全然違うスタイルの演奏でしたね。私はカルロス・クライバーも大好きですけれども、クライバーは、はっきり言って非常に軽い演奏ですね。音楽面では非常に素晴らしいのですが、それ以外の事について彼は興味がない。思い通りに振って、ぱぁーっと行って、よかった、よかった、というような感じはありますね。舞台上で何が起こっていても、音楽だけがまとまっていれば良い、というような感じの公演でした。
 カラヤンの場合、演出も自分でやっています。そうすると、演出の観点からのテンポ設定がはっきりと打ち出されてきます。そこがクライバーとは決定的に違いましたね。どちらかというと遅めになっている。もちろん年を取っているせいもあるにはあると思いますけれどね。56年にフィルハーモニア管弦楽団が演奏し、元帥夫人をエリザベート・シュワルツコップが歌い、オックス男爵をオットー・エーデルマンが歌った録音では、テンポは、すごく速かったですからね。

 ― カラヤンの魅力は、やはりオペラで発揮されるのでしょうか。

高関 彼は根っからのオペラ指揮者でした。オペラに対する気持ちは人一倍でしたね。私が聴いていた「ばらの騎士」では、とにかくテンポに無理がなかったですよね。頭の中でテキスト(歌詞)を完全に反芻しながら振っているのが良く分かりました。だから、作曲家の頭の中と同じ意識で演奏が進んで行く。いい時のカラヤンがオペラを振るときは、いつもそうでした。
 歌い手からみれば、本当に理想的なテンポになっているわけです。歌手が歌いきるまで、決してオーケストラは先に行かない。これはカラヤンの鉄則でしたね。逆にカルロス・クライバーは基本的にモノディなんですね。全部の音楽を一つの線に集めちゃうという才能です。オーケストラも歌手も含めて、パーッと一つの線に集めて、その集まった糸を揺らしながらやっているようなタイプの指揮者です。
 カラヤンは、そうではなくて、全部が同時に進行しているというイメージですよね。具合の悪いところがあれば、そこだけピッと引っ張って、全体としてはしっかりコントロールしているのですが、そのなかで、オーケストラも歌手も自由にやっているという感じですね。

 ― オペラでのカラヤンは、まず、歌を尊重するということですね。
             
高関 そうですね。カラヤンがオペラを指揮しているときは、終始オケピットから舞台を見て振っていました。下のオーケストラを見ることはほとんどない。コンサートを振っている時のカラヤンとは振り方が全く違います。オーケストラで問題が起きたときには、反対の方の手で「ほいっ」とやると、オーケストラがピタッと合ってしまう(笑)。それがカラヤンのオペラの指揮でした。すごいのは、左手と右手が時々違う動きをするんですよ。そうするとオーケストラがピシッと歌にくっついて、そして合ったら右手だけで振っている、というような感じでしたね。とにかく、すごいの一言ですよ。
            
 ― 83年に立ち会われた 「ばらの騎士」の録音は、どんな様子だったんですか。
                
高関 今でもはっきり覚えています。ムジークフェライン(楽友協会大ホール)での録音でしたけれども、朝の9時半に行って、カラヤンのところに挨拶に行ったら、「お前、スコア持っているか?」と、横にあったスコアを貸してくれようとするんですよ。もちろん僕は持っていたから、「あります」とかなんか言ったら、「ああ、それでいいのか」とか言われました。そんな会話をかわしたのを覚えています。
 そのとき、ちょうどシュターツオパー(国立歌劇場)でも「ばらの騎士」が出し物になっていて、そちらはホルスト・シュタインが振っていました。キャストはオクタヴィアンをアグネス・バルツァ、オックス男爵をクルト・モルが歌っていて、ムジークフェラインでの録音も同じキャストでした。ですから、夜に本番がある人は歌わない、というような予定で、録音していきました。
 でも、オーケストラは朝10時と3時の2回の録音で演奏しなきゃならないわけですよ。しかも、夜6時半からは本番もある。どうしたって5時半には終わらなければいけない。翌朝10時にまたムジークフェラインに行くと、カラヤンが「おーい、スコアがないぞ」って言うんです。それでワイワイ探して、結局、シュタインのところにスコアがいっていたことがわかって、シュタインの楽屋から取り戻してくる。そんな雰囲気で録音が進んでいました。ヘッツェルが元気だった頃のウィーン・フィルです。

 ― ちょっと日本では考えられませんね。

高関 そうですね。ある日の朝なんか、カラヤンがぱっと来て、「今日は3幕ね」と言う。「じゃあ、3幕テイク1」ということで録音が始まるんですね。3幕の難しい前奏曲をずっと切れ目なしに演奏しちゃうんですよね。バンダが入ってくる所まで一発で通しちゃう。それでパッと切って、後ろで録音スタッフが「OK」と言っていました。録音も一発ですよ。オーケストラも素晴らしい。練習無しで本番を録音するのですから。「ばらの騎士」のような難曲でこれができるのは、すごいことですよ。                                              

構成   森 創一郎(フルート)



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