2003年10月演奏会パンフレットより


「答えはひとつではない。」音楽学 東京芸術大学音楽学部楽理科教授 土田英三郎氏に聞く

― 東京芸大のほか、国立音楽大学音楽研究所の所員としてベートーヴェンの研究をされていますね。

土田:私の専門は18・19世紀のドイツ語圏を中心とする音楽史で、特に交響曲の歴史や音楽形式の問題にこだわっています。この時代のいろいろな問題をやっていると、当然ベートーヴェン、バッハ、ハイドン、モーツアルト等、最低限の勉強はしなければなりません。やはりベートーヴェンの交響曲はいつかはとことんやらなければいけないと思っていました。

― ベーレンライター版による交響曲のCDや演奏会が話題となり、今までのイメージと異なるベートーヴェンの交響曲演奏が脚光を浴びていますが。

土田:まず楽譜の問題ですね。驚くべきこととして「何で今までベートーヴェンの交響曲でまともな楽譜がなかったのか」ということがあります。よりによってベートーヴェンの交響曲で。「まともな楽譜」という言い方は語弊があるけれど、いちおう信頼のおける楽譜ですね。旧全集としてブライトコップ・ウント・ヘルテル社の楽譜が基本で、あれさえあれば何の問題もない、と演奏家を含めて大抵の人は思っていたわけです。ところが実は問題だらけだ、ということが比較的最近一般にも知られるようになってきた。例えば1977年に旧東独側のペータースが独自に出版したPeter Gulke校訂の交響曲第5番「運命」が、ひところ話題になりました。第3楽章のスケルツォで繰り返しがあってね。その後の検証でそれほど画期的なものではないことがわかったのですが、いずれにしろ我々に手に入る楽譜にはいろいろと問題がある、ということが知られてくるひとつのきっかけにはなったかもしれません。

― 交響曲の演奏のスタイルとして例えばニキシュ、メンゲルベルク、フルトヴェングラーといったような大指揮者による演奏のイメージが強いように思います。

土田:ベートーヴェンの交響曲演奏の伝統というのは、それ自体がすごい歴史の厚みをもっていますから、いろいろな解釈が蓄積されてきた。楽譜通りやるとは限らず、むしろ指揮者が勝手に直すことが多かった。ひところはそういうものを批判する考え方が強くなりましたよね。原典主義、オーセンティシティを謳って、「正しい」楽譜を使い、作曲家の意図に忠実で、その時代の演奏法に則った演奏を追求する。そういうことができると信じられた。突き詰めると当時の楽器で演奏するしかない、という極論も出てきた(ひとつの有効なジャンルとして確立された近年の古楽器による演奏のことではなくて、古楽原理主義的な傾向のこと)。まだそこまでの意識はなくとも、楽譜の上だけではオーセンティックな形でやりたい、というのが第2次大戦後わりと強くなってきました。でも今また揺り戻しがあるかな、古い録音で楽譜に勝手に手を入れた演奏、主観的な解釈でも、現代人にとっては逆に新しい発見があったりする。おおげさにいえば、学問的には受容史、レセプション・ヒストリーですが、時代毎に音楽のつくり方だけでなく、聴き方・受け止め方にも違いがあって、そのことが意味をもってくる。特に音楽の場合は演奏しなければどうにもならないわけですから、むしろ時代によって音楽作品というのは変化していく面をもっています。これは音楽史の宿命ですね。
 ベートーヴェンの交響曲は、多くの会社が楽譜を出版して、細かいところには違いはあるけれど、結局は19世紀に刊行されたブライトコップ・ウント・ヘルテル社の旧全集がベースなのです。そういう状況の中、1996年に全く新しい校訂版として出たのがClive Brown校訂の「運命」です。あとボンのベートーヴェン研究所が校訂、ヘンレ社から出版されている新全集では、交響曲はまだ1番と2番しか出ていません。この2曲は楽譜上の問題がそれほどない。1996年以降、ベーレンライター社からJonathan Del Marが一人で全交響曲を校訂したものが順次出版されましたが、これもまったく新しいエディションです。資料全部を徹底的に見直して作成された楽譜ですから、従来の旧全集をベースにした楽譜とでは、曲によっては驚くほど違うのです。

― 新響は、今回ブライトコップ・ウント・ヘルテル社ペーター・ハウシルト新校訂版(1994)です。第7番は版により大きな違いがないのですが、ベートーヴェンの楽譜には「これで確定だ」というのはないのでしょうか。

土田:エディション(校訂譜)というのは、そもそもそういう性格のものではないんです。仮に資料がひとつしかない曲だったら、ほかに典拠がないのですから、そういってよい例もあり得ますが。どの作曲家の楽譜でも多かれ少なかれ同じ問題を抱えています。例えばバッハだってモーツァルトだってみんなそうなのですよね。多くの場合、いわゆる新全集版というのが一番信頼のおけるエディションだと考えられています。でもそれが必ずしも正しいとはいえません。
 最近の新しい録音とか演奏会チクルスでは猫も杓子もベーレンライター版を使う傾向があります。肝心なのは、「答えはひとつではない」ということです。曲によるのですが、5番とか9番のように作品が完成するまでの状況が複雑で、資料がたくさんあるもの。自筆譜とか、写譜職人が書き移したものを作曲家自身が赤クレヨンなどを使って朱を入れたりしてチェックしている、そういうのはオリジナルな資料といえます。これらの曲の場合、内容が資料によって違うのですね。じゃあどれが一番正しいのか、そう簡単には言えないのです。このようなケースでは、決定的な楽譜というのは現実にはあり得ないのではないかということです。
校訂報告というエディティングの作業を非常に詳しく報告している冊子がありますが、校訂譜というのは、校訂報告を読んで初めて完全に使いこなせるものです。どういう資料を使って、どういう判断根拠で私はこういう読みをしたということを、校訂者が書いているのです。明確な結論が得られない場合には、いろいろな可能性を挙げている。答えがどこかに客観的にあるのでは無くて、解釈という要素の介入があります。やはり主観も入る、直感も入る。だから同じ材料を前にしても人によって結論は違ってくるはずの性質のものなのです。歴史解釈だって同じことですね。もちろん、学者はとことん実証的に研究しなければなりませんが、実証には限界がある。優れた研究には必ずどこかで想像力も作用しています。
ベーレンライター版ですが、かつてこれほどいろいろな資料をチェックして出た楽譜が無いわけです。丹念に資料を比較、整理して順番を年代順に並べた上で、最初の自筆譜からどういう経緯をたどって初版譜に行き着いたかとか、わかる範囲で全部検討してある。だからこれ自体非常に優れた、かつて出版された中では一番優れた版かもしれません。けれどもこれを盲目的に無批判に「これが一番正しい」と思いこんだとしたら危険です。別の解答もあり得ます。演奏家の方もそこまで問題意識を持って使ってらっしゃればよいのですけれど。

― 最近、いろいろな本が出版され、それを見るとベート−ヴェンは「楽聖」というイメージと随分違うように思います。

土田:それは「楽聖・ベートーヴェン」に限らず、バッハやモーツァルトにしろ皆そうではないのでしょうか。最近よく言われるのは、従来私たちが親しんできた音楽の歴史は、19世紀にドイツ中心の意識で構築された音楽史であるということです。古典派というのも、ドイツ語圏のヴィーンを中心とする、18世紀後半から19世紀初頭を代表する楽派だと言われていますが、同じ時代にどの国や都市でも盛んな音楽活動はあったわけで、この言い方には19世紀ドイツの歴史家の価値判断が大きく働いています。もちろん優れた音楽をたくさん残した大作曲家たちであることは少しも変わらないのですけれども、現在ではもう少し相対化されていて、歴史記述に一種のイデオロギーが作用していたということが言われていますね(もっとも、なんらかのイデオロギーなくしては歴史もなにも書けないですが)。そうした神格化、英雄視は音楽家については特に強いと思います。未だに。
 生のベートーヴェンの姿を知る為の資料は専門家向けの文献ではどんどん出ています。ベートーヴェン研究の節目というのは何回かあるのですが、近年で大きかったのは1970年と1977年、生誕200年と没後150年ですね。メモリアル・イヤーの前後にワッと新しい研究が出たのです。90年代になって書簡全集が出版され、これでベートーヴェンの書簡は知られる限りほぼすべて読めるようになりました。彼の手紙はドイツ語だけではなく、フランス語もありますが、原文のまますべての手紙が読めるようになったのは、このようにわりと最近です。そこで分かってきたことというのが随分とあります。例えばベートーヴェンの考え方とか、生活上のこと、創作態度のこと、出版のことのほか、作品の年代が少しずれているとか、個々の作品で成立の事情が今までより詳しく見られるようになったとか、ですね。あとベートーヴェン自身が書き残した資料はたくさんありますが、特に重要なのは会話帳です。完全に耳が聞こえなくなったベートーヴェンと筆談をする為に、会話の相手が書いたケースが多いのです。その出版が完結したのがつい最近で、この会話帳から分かったことというのがものすごく多い。ベートーヴェンの晩年に秘書のようなことをしていたシンドラーが会話帳をかなり改竄していたので、かつてはベートーヴェンの生涯に関して相当に歪められたという事実があります。現在、シンドラーが捏造した部分はほぼわかっています。
 なぜシンドラーのようなケースが出てきたかというと、やはりベートーヴェンが生きているときから、また没後すぐから、彼が神格化されてきたということなのです。神格化という点ではバッハもそうですが、バッハだといったん世間一般の目から隠れて、19世紀前半にまた浮上してバッハ再発見というのが行われたのですが、ベートーヴェンは生前から名声と人気が持続しています。ヘンデルもそうですね。
運命と苦闘する貧乏な天才芸術家というイメージもありますね。ところが、音楽家として成功した人は、同時代の一般市民の収入に比べればずっと高収入を得ている、これは確かです。シューベルトもモーツァルトもそうですが、ただ彼らは浪費が激しかった。ベートーヴェンの収入は、演奏会収入もありますが経費も大きいのでやはり作曲料、それに援助金ですね。出版社との取引で得るお金は相当になります。しかもベートーヴェンは、二重取りをしていることが多いのです。同じ作品を例えばロンドンと大陸で出版し両方から取るなんていうのは当たり前。あと貴族とのつきあい、これは大きいです。ベートーヴェンには有力な貴族のパトロンが何人もついて、やがて年金を支給されるようになります。ここにはベートーヴェンがかなり巧妙に立ち回った気配が窺えます。でも、これは当時の音楽家としては当然のことです。ベートーヴェンは年金に限らず貴族からいろいろな援助を受けていますが、他の音楽家と違うのは、貴族と対等に渡り合うことができたという点ですね。ベートーヴェンは自由に生きることが出来た最初の大作曲家であった、と言われています。「芸術家」というイメージですね。それまでの作曲家達はほとんどが、音楽家として尊敬を受けることはあっても、「芸術家」ではなくて結局は定職に就いた「職人」です。バッハも宮廷に仕えたり、市に雇われた「勤め人」だったわけです。

― ベート−ヴェンの名前にある"van"については

土田:貴族的な称号にあたるものを常に自分の名前に入れているということ自体、やはり自分の生まれ、血筋に関しての差別化の意識はあったのでしょうね。その辺の心理学的解釈というのは、心理学者でもあるSolomonが書いた『ベートーヴェン』という伝記があり翻訳がでています(岩波書店)。精神分析的な面からベートーヴェンを解釈し過ぎているという批判もありますが、事実関係ではきちんと学術的に資料を吟味して書かれた立派な本です。楽譜と同じようなことが言えるのですが、これもSolomonという人の解釈であって、決定的なものではない。でも説得力はあります。

― ところで、当時ウィーンで一般市民はどのくらい彼の作品を聴くことができたのでしょうか

土田:社会学系・社会史系の研究がありますが、ベートーヴェンの時代、オペラや音楽会に行ったり、楽譜を買って演奏を楽しむことができるような、経済的な余裕があったのは、総人口のうちピラミッドのほんの頂点です。その中には貴族階級と中産階級の上が含まれます。後者は一般市民だけれども知識人や比較的趣味の活動が出来る余裕のある人たち。「音楽の都ウィーン」なんて言われていますが、実際に芸術音楽を心から享受できた人はほんの一握りで、ベートーヴェンの曲を理解できた人達はその中のさらにごく一部のインテリではないでしょうか。ただベートーヴェンが死んだ時、葬儀に二万人が参加したと言われていますが、これはおそらく事実でしょう。それほどベートーヴェンは有名で、尊敬の対象だったわけです。

聞き手:土田恭四郎
(2003年9月9日、於:東京芸術大学)



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