2003年4月演奏会パンフレットより


曲目解説
プログラムノート


バルトーク:中国の不思議な役人

荒井 隆(ヴァイオリン)

 オーストリアを西に、北にはスロヴァキアとウクライナ、東にルーマニア、南に旧ユーゴスラビアに囲まれた国ハンガリーは、ヨーロッパのほぼ中央に位置しながら、文化的な独自性が極めて強い。例えば、この国の言語であるハンガリー語(マジャール語)を例に取ってみよう。「こんにちは」(ヨー・ナポト・キヴァーノク)という基本的な挨拶言葉一つにしても、他のヨーロッパ系の言語とかなり趣きが違う。マジャール語は、個々の単語や数字の読み方、文法構造などに英語やドイツ語などとの共通点がほとんど無いので、現地に旅行する際には、外国人観光客が多く外国語が比較的通じるブダペスト地域以外を訪問する場合、この難解な言語との格闘を余儀なくされる。
 ヨーロッパ各国語の中でマジャール語がこのようにやや特殊な位置を占めているのは、ハンガリー民族の独自性に由来する。彼らは、ゲルマン系・ラテン系・スラブ系の何れにも属さず起源が中央アジアの草原地帯ともいわれ、古くは遊牧民族として馬に乗って大地を駈け巡っていた。今でもその伝統は残っており、「プシュタ(Puszta)」といわれるハンガリー中部の大平原において、民族衣装を纏った現地人が馬を駈って勇壮に牛や羊を追う姿を、観光客向けのショーで垣間見ることが出来る。放牧というと、スイスなどの高原の斜面で、長閑に牛を放し飼いにする光景を想像する向きも多いと思うが、こうしたハンガリー流の勇壮かつ速いテンポで動作が流れるスタイルは、きっと新鮮に写ることだろう。
 バルトークが生まれた19世紀の後半、当時のハンガリーはハプスブルク帝国の版図に組み込まれていて、ドイツ語が公用語とされ、文化的にもドイツ・オーストリアの流行に支配されていた。音楽も例外でなく、「ハンガリーの音楽」といえば、リストの「ハンガリー狂詩曲」やブラームスの「ハンガリー舞曲」のような、暗く情熱的ないわゆる「ジプシー風」の旋律で色付けされたエキゾチックな香りのする西欧スタイルのロマン派音楽と考えられていた。
 こうした中にあって、バルトークはピアノをリスト音楽院で学び、ベートーヴェン作品の当代随一の弾き手として活躍する一方、盟友コダーイ・ゾルターンとともに、従来の「ジプシー風」音楽とは異なる本来の土俗歌謡・旋律の研究・紹介を通じ、音楽芸術の面からハンガリー民俗文化のアイデンティティ確立に尽力した。彼は、ハンガリー領内の農村部のほか、周辺のスロヴァキア南部・トランシルバニアなどのハンガリー民族と周辺民族との混住地域、遠くはアラブ人が住む世界まで訪問し、当時エジソンによって発明されたばかりの蓄音機と手製の五線紙を携行して、現地の農民を対象に土俗歌謡・旋律の取材を多大な労力をかけて行っている。
 そうして得た数多くの民俗音楽を研究する過程で見出した様々な旋律パターンに基いて、バルトークは固有の作風を確立し、独自の道を歩み始めた。この時期に、「青ひげ公の城」、「かかし王子」に続く3作目の舞台芸術作品として、今回取り上げる「中国の不思議な役人」が、地元の文筆家レンジェル・メニュヘールトの作品を題材に作曲された。
 この作品のあらすじは難解かつグロテスクである。詳細は別稿に掲載している「あらすじ」を参考にして頂きたいが、概要は以下のとおりである。
 ある都市の裏ぶれたアパートにおいて、地元のならず者3人が若く美しい娘(ミミ)を使って、通行人をおびき寄せようとしており、それに引っ掛かった「中国の役人」から金銭を巻き上げ、最終的には殺害するというものである。
 ここで、ならず者達は、金銭を巻き上げた後、用済みとなった「役人」をミミから引き離し、@部屋のベットの上で寝具を使って窒息させようとし、A錆びた古ナイフで3回刺し、B部屋のシャンデリアに首吊りにしたりするが、ミミに対する「目的」を未だ果たし得ていない「役人」は、「目的」に対する執着心から中々息の根が止まらない。「役人」はその都度ゾンビのように復活し、また体が緑色に発光するなどの不思議な現象が生じる(この曲の「中国の不思議な役人」という標題のいわれはこの部分にある)。その不気味な現象に恐れ慄いたならず者達が後ずさりした後、「役人」はミミを相手に「目的」を遂げ、漸く息絶える。
 この曲においては、例えば、@ミミが通り掛かりの通行人に色目を使い誘惑する場面、Aミミがワルツを踊る場面、B「役人」がミミを部屋の中で追い回す場面、Cならず者達があの手この手で「役人」を殺そうとする場面などが、特定の音または旋律によって象徴されている。これはワーグナーが楽劇の作曲に用いた動機的旋律(ライトモチーフ)手法とも通ずるものであるが、古典和声に馴染んだ耳で聞くと違和感がする場所も少なくない。つまり、完全5度や長3度といった「心地良い」響きは少なく、その代り、完全4度、短3度、増8度などが多用されているほか、古典和声では「悪魔の音程」として避けられていた増4度(減5度)音程が頻繁に登場する。また、音程だけでなく、ストラヴィンスキー等の影響が窺われる変則的なリズムや拍子も随所にみられる。

 この作品については、「役人」とミミとの淫猥な関係などの非道徳的な内容が災いし、聴衆からの批判や当局からの再三に亘る上演禁止指示により、何度もカットや演出の部分的差し替えを余儀なくされた。全曲の管弦楽用スコアが完成したのは1924年であるが、バルトークの故地ハンガリー国内において完全な形で演奏する機会は中々訪れず、結局ブダペストにて全曲が初演されたのは、作曲者の死後かつ第二次世界大戦終了後の1945年を待たなければならなかった。

今回演奏する版について
 この曲については、パントマイムまたはバレエとともに演奏される全曲版(stage version)と、通常のオーケストラコンサートで演奏されることが想定されている組曲版(concert version)とがある。組曲版は、「役人」がミミを追い回し管弦楽が高揚する場面で曲が終了し、それ以降の例えばならず者達が「役人」の殺害を試みる場面などが演奏されないという点で、全曲版と大きく異なる。
 また、これまで出版された譜面(スコア)は、@検閲により日の目を見なかった1931年ブダペスト公演用のバージョンを原型にしているとみられる旧版(Philharmonia No.304:1955年)と、A初演当時の当局圧力等によりカットを余儀なくされた部分を復活し、本来の作曲者の意図を復元する目的で編集された新版(Philharmonia PH550:1999年)とがある。新版の校訂を行ったのは、バルトーク・ベラの次男で米国公民権を有するピ−ター・バルトーク(Peter Bartok)である。彼は米国フロリダ州で健在である。
 本日の演奏会で使用する版は、全曲版でかつピ−ター・バルトークによる1999年校訂新版である。全曲版の演奏の際にコーラスを付けないケースもあるが、本日は東京アカデミッシェカペレの協力を仰ぎ、本来の姿であるコーラス付きで演奏を行なう。

参考文献:
ピーター・バルトーク:『中国の不思議な役人』改訂新版に対する序文(1999年、ユニバーサル社) 
エルネ・レンドヴァイ:『バルトークの作曲技法』(谷本一之訳、1978年、全音楽譜出版社)
Dr.Ferenc Bonis:『The Miraculous Mandarin of Lengyel and Bartok』(Bartok Records,2002,)
伊東信宏:『バルトーク…民謡を「発見」した辺境の作曲家』(1997年、中公新書1370)
ヤーノシュ・カールパーティ:『バルトークの室内楽曲』(江原望/伊東信宏 訳、1998年、法政大学出版局)
岩城肇編訳:『バルトーク音楽論集』(1976年、御茶の水書房)
ひのまどか:『バルトーク』(1989年、リブリオ出版)
セーケイ・ユーリア:『バルトーク物語』(羽仁協子、大熊進子共訳、1992年、音楽之友社)
早稲田みか:『エクスプレス改訂版ハンガリー語』(1996年、白水社)
講談社:『ニューグローヴ世界音楽大事典』(第13巻、柴田南雄/遠山一行総監修、1995年)
音楽之友社:『最新名曲解説全集第6巻』(管弦楽曲II、1980年)、『新訂音楽辞典』(下巻、1991年)

初演:1926年11月27日ドイツ ケルン新劇場
   指揮 :イエノ・シェンカル
   振付 :ハンス・シュトローバッハ

楽器編成:フルート3(3番はピッコロ持ち替え),オーボエ3(3番はコールアングレ持ち替え),クラリネット2(2番は変ホ調クラリネット持ち替え), バス・クラリネット,ファゴット3(3番はコントラファゴット持ち替え),ホルン4(2番,4番はテナーチューバ持ち替え),トランペット3,トロンボーン3,テューバ1, ティンパニ,トライアングル,合わせシンバル,吊りシンバル,タムタム,小太鼓,中太鼓(Tamburo Grande),大太鼓(Gran Cassa),木琴,チェレスタ,ハープ,ピアノ,オルガン,弦5部


ヴァイル:交響曲第2番

山口 裕之(ホルン)

 クルト・ヴァイル (1900-1950) は、いわゆるクラシック音楽、特にオーケストラ・コンサートでおなじみの作曲家とは決していえません。少しクラシック音楽に詳しい人であれば、たぶん真っ先に「三文オペラ」が頭に浮かぶことと思いますが、この曲がそうであるようにヴァイルはなんといっても劇音楽の作曲家であるといってよいでしょう。
 それら多くの劇音楽作品のうち特に有名なのは、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトとのコンビによるもので、先にあげた「三文オペラ」の他、「マハゴニー市の興亡」、「七つの大罪」といった作品がよく知られています。これらの作品は、ベルリンを中心とする1920年代の都市大衆文化、いわゆる「黄金の20年代」に隆盛をみたワイマール文化のひとつの側面をはっきりと映し出しているといっていいように思われます。つまり、伝統的な高級文化をシニカルに挑発するかのようなカウンターカルチャーとしての性格をもち、そこでは大都市における猥雑な生活が臆面なく描き出されています。あるいは、そこにはある種の華やかさもあるかも知れませんが、第一次大戦敗戦後のドイツの経済的・政治的混乱といった時代の暗鬱な空気から、やはり逃れることができないかのようでもあります。
 こういったベルリン時代のヴァイルの作品を知るものにとって、まったく信じられないほどの転換を遂げているのが、30年代半ばにアメリカに渡り、ブロードウェイ・ミュージカルの作曲家となったのちの作品です。ヴァイルのミュージカルは、今では作品全体としてはほとんど省みられることはなくなっています。しかし、例えば「スピーク・ロウ」や「セプテンバーソング」といった当時大ヒットしたナンバーは、今でもジャズのスタンダードとしてしばしば取り上げられる曲であり、そういわれて、「えっ、あれはヴァイルの曲だったのか」と驚かれる方もいらっしゃるかと思います。(ちなみに、ソニー・ロリンズの名盤「サキソフォン・コロッサス」の中の「モリタート」は、ブロードウェイ時代のものではありませんが、「三文オペラ」のほぼ冒頭の曲です。)
 さて、前置きが長くなってしまいましたが、今日演奏いたします交響曲第2番は、このようにまったく異なった様相を呈している二つのクルト・ヴァイル像を考えるとき、いろいろな意味でいわばその谷間にあるような作品といえそうです。まず時代的には、ベルリンでのブレヒト等とのコンビによる実り豊かな創作の後、アメリカに渡る以前に作曲されたものであり、完成された場所もパリ近郊の町でした。ヴァイルはユダヤ系であり、「退廃芸術」の担い手であり、ブレヒト等左派の作家と組んでいる人間でもあったため、30年代初頭からすでにナチズムによる演奏妨害などを受けていましたが、彼がこの交響曲第2番に着手した1933年1月にヒトラーが政権の座に着いたため、ここにきて早々に亡命をする必要があったわけです。この曲全体を支配するメランコリックな雰囲気は、こういった状況と関係しているのかもしれません。
 また、この曲が純粋な器楽曲、しかも交響曲という形式をとった絶対音楽であるという意味でも、この交響曲はヴァイルの作品群の中でいくぶん特殊な位置を占めています。ヴァイルの器楽曲は、その他には初期のチェロ・ソナタ、弦楽四重奏曲、交響曲第1番、あるいはヴァイオリン協奏曲くらいしかありませんが、ヴァイオリン協奏曲の10年後に作曲されたこの交響曲第2番以降、ヴァイルはオーケストラ・コンサート用の作品をもはや作曲していません。
 とはいえ、この交響曲は(確かにそれぞれの楽章は、ソナタ形式やロンド形式といった器楽曲の形式をもっていますが)音楽的な性格としては、この作品が作曲されるほんの数年前、あるいは全く同時期に手がけられていたブレヒトとのコンビによる音楽劇やオペラの特質をはっきりと受け継いでいます。中でも「三文オペラ」や「マハゴニー」などを特徴づけている、「ソング」と呼ばれる通俗的な節回しとリズムをもつ歌の部分は、この交響曲第2番の中にもところどころに出現し、厳格な形式姓をもつはずの純粋な器楽曲のうちに、ヴァイル節とでも呼べるような大衆的な娯楽性が混在して、あたかもヴァイルの妻であった女優のロッテ・レーニャが彼の舞台で気持ちよく歌っているかのような面白さをもたらしています(例えば、第2楽章の比較的最初の部分でのトロンボーンのソロや、第3楽章の行進曲風な部分等)。
 こういったこの交響曲の性格と並んで、本日の演奏で特筆すべきことは打楽器の使用です。この曲の初演は1934年にブルーノ・ヴァルター指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によって行われましたが、その際ヴァルターの要望で、もともと使用されていたティンパニの他にスネアドラム、バスドラム、トライアングル等の打楽器が追加されました。現在出版されているスコアはこれら追加された打楽器を含まない「原典版」ですが、本日の演奏は普段めったに聞くことのできない打楽器を加えたヴァージョンということになります。それによって、純粋な絶対音楽としての性格よりも、むしろ音楽劇におけるようなヴァイルの特質がより前面に押し出されることになるかもしれません。

 第1楽章はソナタ形式によって書かれ、ソステヌートの序奏部に続いてアレグロ・モルトによる主題が提示されます。展開部は第1主題、第2主題によるのではなく、独自の素材から成り立っています。
 第2楽章はラルゴと表示された葬送行進曲風の音楽で、ヴァイル自身「コルテージュ行列と呼んでも差し支えないかもしれない」と述べています。
 第3楽章はアレグロ・ヴィヴァーチェのロンド形式で、中間部に独特な行進曲風の部分をもっています。コーダはさらに早く、タランテラ風のプレストとなって、せきたてられるように終結へと向かいます。

初演:1934年 アムステルダムにて
ブルーノ・ワルター指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

楽器編成:フルート2(ピッコロ持ち替え),オーボエ2,クラリネット2,ファゴット2 ,ホルン2,トランペット2,トロンボーン2,ティンパニ,タムタム(Gong),シンバル,トライアングル, 中太鼓,小太鼓, 大太鼓,弦5部


バーンスタイン:管弦楽のためのディベルティメント

ジョン・ブロウカリング(チェロ)


 12年ほど前、私は東京音楽大学の学生に「学園祭でバーンスタインのミュージカル、ウェストサイド物語を上演したい。」と言われ、指導を引き受けることになった。それまでは、もっぱら聴く立場からしかバーンスタインを知らなかったのであるが、はじめてパフォーマンス側から立ち会うことになったのである。そして、数ヶ月間のリハーサルを積む間に私はこのミュージカルにすっかり魅せられ、全ての音、全ての歌の歌詞を覚えこむにいたった。そしてその2年ほど後、私は結婚したが、その結婚披露パーティーで彼らは40人の新響メンバーの演奏をバックに「ウェストサイド物語」を歌い踊ってくれた。若々しく情熱的な素晴らしい贈り物でその時の感動は夫婦ともども今でも忘れることが出来ない。このようなことを通じ、バーンスタインの音楽は私にとってとても特別なものとなっていった。そこで今日は彼の音楽の魅力等について書かせていただきたい。

 1979年、バーンスタインはニューヨーク・フィルと共に来日し、その直後、「来年は指揮よりも作曲に時間をさくサバティカル・イヤー(研究休暇年)にしたい」と言明した。そして翌年1980年4月、ボストン交響楽団(BSO)はその創立100周年を記念する作品をバーンスタインに委嘱した。その時に書かれた作品が本日の「ディベルティメント」であるが、当初は「ファンファーレ」と発表されていた。しかし、最終的には短い8つの楽章から成る愛情のこもった作品、「管弦楽のためのディヴェルティメント」として書き上げられた。そして、バーンスタインの愛弟子、小沢征爾が9月25日にボストンでシーズンの開幕として初演したのだった。

 バースタインは生まれ育ったボストンの街に強い郷愁を抱いている。幼少の頃、父は彼をアーサー・フィドラーが指揮したボストン・ポップス交響楽団の演奏会に連れて行った。この時の思い出が「ディヴェルティメント」の快活さ、陽気さに影響しているのかもしれない。
 15歳の時、バーンスタインはBSOの定期会員になり、セルジュ・クーセヴィッキーにすっかり魅せられた。この偉大なロシア人指揮者がコンサートの度に示す強烈な自己表現と華やかな指揮ぶりに彼が強い影響を受けたであろうことは疑う余地がない。さらに、ハーバード大学の学生だった時、やはり燃えるような指揮をするディミトリー・ミトロプーロスの演奏に出会い、大きな影響を受けている。
 「管弦楽のためのディヴェルティメント」のBSOへの献辞には「BSOの創立100周年を祝し、愛を込めて献呈」と書かれているが、彼個人としては「私の母なるBSOと、故郷であるボストン市両者へ献呈」という思いがあるのだ、という人もいる。
 「管弦楽のためのディヴェルティメント」は「嬉遊曲」と訳され、主に小規模な室内オーケストラで奏でられる軽快で楽しい音楽を意味するのだが、バーンスタインのこの作品はオーケストラの素晴らしい技量は勿論、それぞれの楽器はどんなことが出来るのかをひけらかす陳列棚、といった趣がある。
 この作品におけるジャズ、ブルース、ラテン・リズム等、アメリカ大陸の音楽要素の気ままな使用は、リズムに驚くべき生命力を与えている。さらに様々なテンポにおける変拍子やシンコペーションの使用は聴き手を驚かせ、楽しませる。
 全楽章に共通しているのはボストン(Boston)の頭文字Bと、100周年(centennial)の頭文字Cに対応する音、つまりシとドの2音が素材になっていることである。せまい音程のB-Cモチーフと対照的な幅広い音程の使用はある種のぎこちなさを生み、聴き手は必ずしも叙情的な美しさを感じないかもしれないが、バースタインが好んだ奔放な動きを象徴するものである。バーンスタインの音楽を輝かせているのは、常に主音を心に置いて作曲する調性へのこだわりである。この作品は、B-Cモチーフのような小さな素材からどんな音楽でも生み出す彼の才能を証明しており、様々な強弱、雰囲気、もしくは音楽スタイルを印象的に並置した芝居性を持つバーンスタイン円熟期の作品である。 

楽章解説
1. セネッツ アンド タケッツ(Sennets and Tuckets)
 セネットはシェイクスピアの劇で入退場を表すのに使われるトランペットもしくはコルネットであり、タケットはトランペットによるファンファーレを意味する。バーンスタインはこの楽章ですべての楽器を使い、後の楽章でも現れるB-Cモチーフを示した。
2. ワルツ(Waltz)
 7/8拍子という珍しい拍子で、弦楽器のみによって演奏されるとてもチャーミングでロマンティックなワルツである。
3. マズルカ(Mazurka)
 マズルカは3/4拍子で2拍目に重いアクセントがついたポーランドの民族舞踊。元来はバグパイプによる演奏に合わせ、カップルが足を踏み鳴らし、踵を打ち付けて回りながら踊った。バーンスタインも2拍目を強調し、楽章の終わりではベートーベンの「運命」第1楽章のオーボエ・ソロを引用している。
4. サンバ(Samba)
 サンバはアフリカからブラジルへ渡った2拍子でシンコペーション・リズムの舞踊。バーンスタインは粋で軽やかな曲に仕上げた。
5. ターキー・トロット(Turkey Trot)
 1920年代に流行した、両足を大きく開き、肩を上下に動かしながら早足で歩くラグタイム舞踊。前曲のサンバの後、すぐ続けて演奏されることにより、のほほんとした、ユーモラスな雰囲気をかもしだす。
6. スフィンクス(Sphinxes)
 作品の中盤に置かれた短く物悲しいこの楽章は「何故スフィンクスなのか?」という疑問を呼び起こす。バーンスタインは「これは私がスフィンクスを笑っているジョークなのです。私はデヴェルティメントのもとになっている動機から二つの音列を作ってみました。最初の音列はドミナント(第五音)で終わり、二番目はトニカ(主音)で終わります。これがジョークなのです」と説明している。この楽章はあっという間に終ってしまうのでご注意下さい。
7. ブルース(Blues)
 ドラム・セットと金管のソロによるゆっくり揺れ動くブルース。
8.追悼;マーチ「BSOよ、永遠なれ」(In Memoriam;March:"The BSO Forever")
 この最終楽章はBSO100年の歴史の間に亡くなった指揮者や団員を偲んで3本のフルトによるカノン(時差のある旋律の模倣)で始まり、やがて作品を締めくくる騒々しく、時たまジャズっぽいフィナーレとなり、ブロードウェイのミュージカル、あるいはヨハン・シュトラウスの「ラデツキー行進曲」を彷彿させる。

 私は、「管弦楽のためのディヴェルティメント」の音楽的多様さは、ヨーロッパから音楽を取り入れながら自らも土着の音楽を造りだし、人種のるつぼと呼ばれるアメリカという国の性格を反映しているところであると思う。この作品はバースタインの快活な作品の一つであり、彼の楽天主義が発散されている最後の作品である。ボストンの街と伝説的なオーケストラへの郷愁と愛情がこの作品を生み出す底流にあったことは間違いない。バースタインが1990年に世を去る数週間前に指揮した最後のオーケストラがBSOであったことも宿命的である。

和訳 都河 和彦

初演: 1980年9月25日 ボストンにて
 小沢征爾指揮 ボストン交響楽団

楽器編成:フルート2, ピッコロ2(2番は3番フルート持ち替え),オーボエ2,コールアングレ,クラリネット2,変ホ調クラリネット,バスクラリネット,ファゴット2,コントラファゴット,ホルン4,トランペット3,トロンボーン3,テューバ(バリトン持ち替え),ティンパニ,小太鼓(高低順に4台),大太鼓,合わせシンバル(Cymbals, Large Cymbals),吊りシンバル,タムタム,トライアングル,タンブリン,ウッドブロック,キューバン・カウベル(高・低),サンドペーパーブロック,ヤスリ(Rasp),マラカス,ボンゴ3,コンガ2,テンプルブロック(木魚)4,ドラムセット(Trap Set),グロッケンシュピール,木琴,ヴィブラフォン,チャイム(テューブラー・ベル) ,ピアノ,ハープ,弦5部


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