2003年1月演奏会パンフレットより


小松先生インタビュー

――― 前回、新響は小松先生と一昨年の「東京の夏」音楽祭において共演させて頂き、オムニバス形式で映画音楽をたくさん振って頂きましたが、その時私たちは大変楽しく演奏することが出来ました。今回、また先生と一緒に演奏することが出来て嬉しいです。

小松 今回の演奏会は、私も大変楽しみにしています。新響に新しくフランス音楽の喜びとサウンドを吹き込めればいいなあと思っています。

――― まず、音楽家を志したきっかけについてお聞きしたいのですが。

小松 最初は、母や祖母が情操教育の一環として音楽をやらせようと考え、桐朋の「子供のための音楽教室」に入りました。父は日本銀行のサラリーマンであり、家族には音楽の専門家はいませんでしたが、皆音楽好きで、家でもよく家族でコーラスをしていました。「子供のための音楽教室」に通ったおかげで耳の訓練ができ、音感教育を受けられたことが、後に指揮者を目指すようになってから非常に役立ち、幸運でした。ピアノも習い始めましたが、小学生の高学年になって、あまり練習に気乗りがせず止めてしまいました。一方、その頃からレコードを聴くのが好きになり、家にあったLPやEPレコードそしてSPレコードまでを良く聴きました。
 中学生になって、一時期ビートルズやフォークのピーター・ポールアンドマリーなどのポピュラー音楽に夢中になりましたが、父に連れられてクラシックの音楽会に行ったりレコードを聴くうちに、中学2年生の終わりごろから、またクラシック好きに戻りました。
 この頃に聴いた演奏会の中で非常に衝撃を受けたものは、若き日のロリン・マゼール指揮/東京交響楽団の演奏で聴いたチャイコフスキーの交響曲第4番とレスピーギの「ローマの松」でした。引き締まった緊張感あふれる演奏で、今でも、ホールの空間に漲っていた怖いほどの緊張感は、鮮明に覚えています。良い演奏というのは、音楽によって空間に良い緊張と弛緩を産みだすのだということを実感しました。少年時代にすばらしい生演奏やレコードをたくさん聴き、感銘を受けた記憶を今でもとても大事にしています。
 高等学校は、自分を音楽の専門家にするつもりの無かった両親を安心させるために普通校(早稲田高等学院)に進学しましたが、高校2年の時に、音楽の道にどうしても進みたいと両親に打ち明け、父の良き理解もあって、指揮をやるなら齋藤秀雄氏が良いと紹介を受けて師事し、桐朋音楽大学に入学しました。在学時からプロのオーケストラのリハーサルを良く見に行き、オーケストラの副指揮者としての仕事をしたいと思っていました。卒業後はしばらく齋藤秀雄先生のアシスタントとして桐朋のオーケストラを指導していましたが、齋藤先生の口添えでN響に指揮研究員として入団することとなりました。

――― 先生は、現代作品や邦人作品も海外への紹介も含め数多く指揮されていますね。芥川作曲賞の選考演奏会でも毎年振られていますが。

小松 近・現代の音楽には、大学入学当時から結構興味がありました。在学中に、「現代音楽研究部」というサークルを作って、研究と演奏を両方やろうと安永徹さん(現ベルリンフィルのコンサートマスター)や神谷敏さん(現N響トロンボーン首席)とアンサンブルを組んで、ストラビンスキーの「兵士の物語」などを演奏したり、作曲科の友人の作品を初演したりしていました。N響に入団して1年もしないうちに、岩城宏之さんの薦めで、定期公演においてシュトックハウゼンの「3つのオーケストラのためのグループ」(3つのオーケストラが聴衆を囲む位置に置かれ、別々の指揮者により立体的に演奏される作品)を岩城さん、尾高忠明さんと共に指揮する機会を得ることができ、現代音楽も得意とする指揮者という評価も頂くようになりました。その後今日まで一貫して、近・現代の作品に対して興味を持ち続けています。
 邦人作品という意味では、我が国では日本人の曲を取り上げる機会が少ないです。新響は日本人の作品に対してとても理解と情熱のあるオーケストラであると嬉しく思っていますが、わが国の音楽界全体として、同国人の作品をもっと大事にして行かなければならないと思っています。外来のオーケストラを聴くと、自国の作曲家の作品を愛情を込めて演奏しているのがひしひしと感じられます。私も邦人作品を少しでも取り上げて行きたいと思っていますので、芥川作曲賞の選考演奏会は毎年振らせて頂いています。書き下ろしの新しい曲を譜読みするのは大変ですが、新しい作品を知るということは、それまでの自分の世界にはなかったメッセージやイメージを得ることであり、それは自分の世界が更に拡がることを意味します。そして、同時代の作曲家の方々とは、色々な意味でコミュニケーションを図っていければと思っています。

――ドイツ時代のことについて伺いたいのですが。

小松 当時のN響副理事長の有馬先生から「西洋音楽の骨格を勉強するためには、本場でオペラを勉強して来い」との薦めで、旧西ドイツのライン・ドイツ州立歌劇場にN響に在籍したまま2年間派遣され、コレペティトゥア(Korrepetitor---オペラの練習の際、独唱者の下稽古をする人。通常、ピアノ伴奏をしながら稽古を付ける)や副指揮者等をやって研鑽を積みました。その後帰国して、東京室内歌劇場の「アルジェのイタリア女」でオペラ指揮者としてデビューしました。ちなみに交響曲演奏のデビューは、今回新響で取り上げる「幻想交響曲」でした。今回、その思い出の、そして最も得意とする曲を皆さんと一緒に演奏できるので、非常に楽しみにしています。

――今回取り上げる曲目についての想いをお聞かせ頂けますか。

小松 新響は、是非色々な曲を一緒にやりたいと思っている素晴らしいオーケストラですが、今までの傾向を見ると、フランス物はあまり演奏していないようですね。音楽というのは、気候、風土、言語、国民性など全てが作品と関わっているのですが、特に近代フランス音楽を演奏する際には、フランス語特有の鼻音(voyelles nasales)の響きを音に反映させるということが必要不可欠です。そういう音の出し方は、今まで新響と共演した限りでは、やや不足しているのではないかと思いましたので、フランス音楽特有の響きを皆さんの技術・音楽性の「引き出し」に加えてもらえればという気持ちから、今回オールフランス物によるプログラムを提案させて頂きました。
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は、音楽的にも優れていると同時に、音楽史的にも印象主義を確立した作品と言う意味で重要な作品です。印象主義というのは、絵画の分野から始まったのですが、絵画における印象主義の先駆者であるイギリスのターナーにフレデリック=ディーリアスという作曲家を呼応させるように、モネに呼応するのがドビュッシーであると一般に理解されています。ターナーとモネが各々描いた絵画と両作曲家の比較を行なってみると良いと思います。
 次にプーランクについては、19世紀末の時点において、印象主義や後期ロマン派の音楽がその内容及びオーケストラの編成面とも肥満・肥大化する傾向にある中で、こうした流れに対するアンチテーゼ(反動)として位置づけられます。当時、古典に帰ろうというスローガンのもとに「新古典主義」というグループが登場し、プーランクもその一人でした。彼は、フランスのモーツァルトといわれるように、古典的な部分とウィットとユーモアを兼ね備えた作曲家です。新響の皆さんにも、ウィットとユーモアが演奏にもっとあるといいですね。また、「新古典主義」の曲は、基本技術面の良いトレーニングにも繋がります。「牝鹿」では、プーランク特有のフレッシュかつ鮮やかな音色の他、鋭い運動神経・反射神経も必要とされます。皆さんがどう対応してくれるのか、楽しみです。
 最後にメインの「幻想交響曲」ですが、作曲者のベルリオーズが異才・奇才と言われる中でも、この曲は、非常に特殊な曲です。この曲が執筆されたのは1830年で、ベートーヴェンの死後わずか3年、ベートーヴェンの有名な「第9」交響曲より僅か6年しか経っていません。その時代に、このような新しいスタイルの曲が書かれていたことは、驚きですね。内容を見ると、様々なドラマが隠されていて、交響曲という統御された形式の中に標題的な要素を持ち込むという実験が行なわれています。例えば、第1楽章のAllegro冒頭にFlとVnで奏される旋律が、シェークスピア舞台女優のノーブルな雰囲気を醸し出しているのに対し、第5楽章では、同じ旋律がEsクラリネットによって娼婦のような奇怪かつ下品な性格で奏されます。この様に、固定楽想(Id仔 fixe)がその都度性格を変えて現れるという手法は、後のリスト、R.シュトラウスやワーグナーのライトモチーフ(示導動機---作品中のある場面や登場人物に関係した音楽の断片)の先駈けともいえます。その意味で、音楽史的にもエポックとなる名曲です。このような曲では、「映像的な音」を出して行きたいですね。新響の皆さんも、是非いろいろ音・音楽に対するイメージトレーニング、想像力を働かせて、これからの練習に参加して欲しいと思います。

―――先生の今後の予定について、お聞かせ頂けますか。

小松 私のヨーロッパでのホームグラウンドはプラハ交響楽団ですが、今度、ロシアのサンクト・ペテルブルクで同地の名門オーケストラであるサンクトペテルブルク・フィルを振ることになりました。曲はこの「幻想」を取り上げる予定です。(その理由は後述) 歴史のある世界最高のオケの一つであるサンクト・ペテルブルク・フイルを振る日本人指揮者は、山田耕筰以来おそらく初めてかもしれません。

―― サンクト・ペテルブルクは、ピョートル大帝が建都してから来年丁度300年を迎えますよね。

小松 この都市は、かのプーシキンが「ヨーロッパへ向かって開かれた窓」と言ったように大変美しく、建都祭を迎え現地では色々な行事が目白押しです。私の演奏会は2004年の1月に予定されています。ロシアのオーケストラは、こちらから特に指示しなくてもごく自然に深く豊かな音色が出ますので、非常に楽しみです。ちなみに、ベルリオーズはパリでは才能が認められませんでしたが、サンクト・ペテルブルクは彼を大変暖かく迎ました。けれども、ロシアの冬の厳しさは相当なもので、これが彼の健康を蝕み、それが彼の死期を早めたと言われています。
 それと、3年前から、中米のグアテマラのオーケストラと繋がりが出来ています。かつてレオポルド・ストコフスキーが客演に来たこともあるこのオーケストラの再建のお手伝いをするため「名誉客演指揮者」として指導に行っています。グアテマラは、ラテンアメリカの中でもモンゴロイド系の先住民族が現在でも多数民族となっている珍しい国です。我々日本人と同じ祖先を持っているわけです。古い時代、彼らはユーラシアからベーリング海峡を通ってはるばる米州大陸に渡って行ったのですよね。だから、同じラテンでも、ブラジルやアルゼンチン等とは少し異なる、何か「蔭りのある」音楽性が特徴的です。
 私は、音楽を通じて、比較文化学、文化人類学をライフワークとして勉強しているつもりです。世界中の色々な人と触れ合うことが大変刺激になるのですよ。

―― いろいろ貴重なお話ありがとうございました。まだまだお伺いしたいことが沢山ありますが、もうすぐ練習が始まってしまいます。続きは練習後の飲み会でまたお聞かせ願えませんか。

小松 色々な料理と多様なお酒の味を知らなければ、良い演奏が出来ません。音楽の料理法とでもいうべきものを私はやっているわけですから。「芸術」に取組む場合には、「お腹」と「喉」を満ち足りた状態にするのが出発点だと思います。飲み会にお誘い頂ければ、私は喜んで参加しますよ。

聴き手    村井美代子(ヴァイオリン)
構成・まとめ 荒井あゆみ(ヴァイオリン)



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