第158回演奏会(1997年7月)プログラムより


それぞれの春(「春の祭典」曲目解説)

新響フルート奏者 松下俊行

 太古の春=いけにえと一陽来復=
 この作品の原題が“Le sacre du Printemps”--春のいけにえ--である事を改めて考えたい。
 前漢の時代(紀元前2世紀頃)に編纂された書物『淮南子』には次の一節がある。
 「冬至には陰気極まって陽気萌し、夏至には陽気極まって陰気萌す」
 ここに示されているのは、冬至から始まるという太古の「春」の姿である。
 恐らくは何十世代にも亙る太陽の運行の観察によって、冬至と夏至という太陽の力の盛衰の分岐点がいつの頃からか認識されてきた。天体の運行と季節の循環が生活に密着した事象であった太古の社会に生きる人々にとって、殊に「春」が再び巡って来るかどうかは、予測の出来ぬ極めて不安定で且つ生死に直結する問題であった。冬至などといっても現代では、暦の上に記された単なる冬の記号でしかないが、かつては太陽の力の衰微に対する不安とその力の復活に対する安堵の錯綜する極めて重要な一日だったのである。そして様々な祭祀がこの日を巡って行なわれ、一部はその意味さえ忘れ去られながら、各地に今も残っている。(クリスマスも原型はこの祭祀にあるといわれている)
 衰え行く太陽に別の生命を捧げることで、復活を願うという極めて呪術的な行為がそこにあったことを想像するのは困難ではないし、事実それは行なわれていた。よく知られているのはアステカの社会の例である。高度に発達した天体観測技術と精密な暦を持つ一方で、この社会に於いては、太陽の力の持続には、人間の生きた心臓が必要であると信じられていた。そしてアステカの祭壇には 、鋭利な石器を以て断ち割られた若者の胸からたった今えぐり出されたばかりの小刻みな鼓動を続ける心臓が、定期的に数世紀にも亙って数限りなく捧げられてきたのである。それはこの文明が一握りのスペイン人によって呆気なく滅ぼされる16世紀初めまで続いた。

 1910年春=ペテルブルグ=
 長々と太陽信仰といけにえの事を書いたのは、「春」という季節の持つ初源的な意味から『春の祭典』のイメージを捉え直す必要をかねてより感じていたからにほかならない。というのもこの作品の契機は1910年の4月のある日、『火の鳥』の最後の部分を作曲中のストラヴィンスキーの脳裡に突然浮かんだ光景にあるからである。それは「春」の到来を祈る為の「異教の儀式」------輪をなして座る老賢人が、春の神へのいけにえとなる少女の死の踊りを見ているというもの------であった。これは、衰微した太陽の力を呼び返す為の呪術的な冬至の儀式にほかならない。『春の祭典』全編はこのイメージのみで書かれている。余分なストーリーは何もない。であるからこそ、この光景と根源的な「春」のイメージはこの作品に接する際には欠かせないものなのだ。僕はこの時まだ27歳の作曲者に、現代人がすでに失って久しい根源的な生命力を感じる。彼はこの光景にキリスト教以前のロシア土着の宗教の姿を想定していたようだが、むしろかつて原始的な社会に於いて人類が共有していた本能的な記憶が、この時啓示の如く脳裡に現われたと想像したい。それは20世紀の音楽にひとつの方向を示した決定的な瞬間でもあった。

1913年春=パリ=
 「……ストラヴィンスキーの四月は聖なる春の、無慈悲な栄華と苦痛とをもってやって来る」とは初演に居合わせた或る知識人の苦渋に満ちた独白だ。そしてこれが人々の感覚を代表している。『春の祭典』の初演(1913年5月)が聴衆の怒号と嘲笑のうちに終わったという事については、今日では余りに有名な「史実」である。冒頭のファゴットのソロが始まるや席を蹴たてて出ていってしまう人が続出し、あとはもうとにかく最後まで演奏できたのが不思議------と云う状況だったのだからこれはまあ音楽史上の珍事には違いない。が、今になってみるとこの時の「スキャンダル」がむしろ作品の価値を印象づけた事は否めない事実だ。ひとつの作品が世に出るに当たり、スキャンダルと言えるほどの反響を巻き起こし得たとすれば、作者の意図とは別であってもそれはひとつの成功の姿と言えよう。少なくとも儀礼的なその場限りの乾いた喝采を得て、その後は黙殺されるよりは余程恵まれている。換言すれば、これは同時代の先端の芸術について社会が受け皿を提示し、真摯にそれを受け止め得た最後の時代にこそ起こり得た「事件」だったのかも知れない。
 1914年4月のコンサートでは既に評価は不動のものとなっていた。初演時の不評は、むしろ聴衆のこの作品に対する恐怖感を取り除く役割を果たした。そして、今やこの作品は「現代の古典」にさえなっている。作品の本来持っていた狂暴なまでの力に聴衆は慣れ切ってしまったのだろう。
 古代人が天体の運行の法則性に気付き、自然に対する畏怖の感情が薄れるとともに、いけにえを捧げる風習が廃れた事との符合を、時に僕は考えることがある。


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