第155回演奏会(1996年10月)パンフレットより


創立40周年を迎えた
新交響楽団へのメッセージ

メッセージをいただいた方々(敬称を省略されていただきました)

芥川真澄(故芥川也寸志夫人)
本名徹二(指揮者)
フランシス・トラヴィス(指揮者)
安倍圭子(マリンバ演奏家)
夏田昌和(作曲家)
佐藤修悦(コンサートサービス社長)
相葉武久(コントラバス奏者/新響常任トレーナー)
小泉和裕(指揮者)
柴山洋(オーポエ奏者/新響常任トレーナー)
伊福部昭(作曲家)
飯守泰次郎(指揮者)


 “おめでとうございます”
 いま、113回演奏会のプログラム「新響と30年」芥川也寸志を読み返しています。
 l0年の刻を過ぎ、多くの得難い指導者に恵まれ、いつも変わることない音楽への愛情を持ち続けて居られる団員のかたがたの生き生きとしたすがたに接し、とても嬉しく、感慨ひとしおです。40年にわたって育まれてきた先達の情熱を大切に燃やし続けてゆかれれば、きっとアマチュアオーケストラの真髄をより究めて下さる事と、信じます。
 これからも新交響楽団は、今と同じように美しく、愛に満ちあふれた素晴らしい存在であってほしい.....と私も希っております。
 新交響楽団よ、永久に栄光あれ!(113回プロより引用)

芥川眞澄


 『フランスの飛行士で小説家でもあったサンテグジュペリは{愛とは二人がお互いに見つめあうことではない。二人が一つの方向を見つめあうことだ。}と言いましたが味のある言葉だと思います。』
 これは、10年程前に僕が結婚するときに、芥川先生が送ってくれたお祝いの言葉です。この言葉は、どこか新響の生き方と通ずるところがあるような気がします。
 日本のオーケストラとして、他のどのオーケストラよりも数多くの日本人作品を取り上げ、またその演奏は多くの人に感動を与え、日本人であることを思い出させます。
 これからも、日本を代表するオーケストラとして、さりげなくリードして行ってくたさい。
 大好きな『アマチュアオーケズトラ・新交響楽団』の皆様、そして40年もの間、新響を支えてきた多くの方々に心からお祝いの言葉を送らせていただきます。

本名徹二(指揮者)


Congratulations and all my best wishes for the 40th birthday of Shin Kokyo Gakudan ! The orchestra definitely has every reason to feel great pride in the role it has played in the musical life of Tokyo for these past 40 years. Any world-metropolis would feel thankful for having an orchestra filled with such artistic quality and vitality. And from my viewpoint I recall with pride and immense pleasure the satisfaction that I have always had when conducting the orchestra. With the typical American birthday phrase, I am wishing you all:

“Many happy returns of the day ! ”

Francis Travis

(訳)新交響楽団の40回目の誕生日、おめでとうございます。心からお慶ぴ申し上げます!この40年間、東京での音楽活動におけるあなた方のオーケストラが演じてきた重要な役割は、いかなる見地からも、誇りを持つに値することは疑う余地のないものでしょう。世界中のどの首都だって、このような高い芸術水準とバイタリティーに満ちたオーケストラがあれば、それに感謝することでしょう。私にしてみますと、私があなた方のオーケストラを指揮する度に感じた、あの満足が、誇りと最上の喜びをもって思い起こされるのです。アメリカでのポピュラーな誕生目のことばで、お祝いを申し上げたく存じます。

「幾久しく、ご長寿を!」

フランシス・トラヴィス(指揮者)


 創立40周年・おめでとうございます。
 新響の皆様の音楽に対する純粋なアプローチと情熱は、いつも私の心を清々しいものにしてくれます。ことに皆様と演奏した伊福部先生の「ラウダ・コンチェルタータ」は芥川先生の思い出と重なって、生命の鼓動そのもののように今も私の胸にきざまれております。音楽をする者にとって最も大切な心をお持ちの皆様の新たな御発展を祈りつつ......。

安倍圭子(マリンバ演奏家)


 新交響楽団創立40周年によせて
 創立40周年おめでとうございます。
 私の拙い作品、オーポエとオーケストラのための「モルフォジェネシス」が新響の作品公募に入選し、「現代の交響作品展’92」において取り上げて下さってから早4年の歳月が流れました。芸大の卒業作品として作曲したこの曲は、この新響の演奏会を契機としてその後、東京交響楽団や東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団によって数回演奏され、私にとって正真正銘のデビュー作となりました。また、この公募入選は、その年の出光音楽賞を作曲部門で受賞するという、大変な幸運をも私にもたらしてくれました。こうした全ての事柄が、新響から公募入選を伝える1本の電話に始まっていることを思い起こせば、深い感慨と、同時に大きな感謝の念を禁じえません。
 この演奏会はまた、私にとって指揮者としてのデビュー(?)でもありました。私が生まれて初めてオーケストラの指揮台に上ったのは、まさに他ならぬ新響の皆さんの眼前であったのです!この出来立てのほやほやの新米指揮者に対し、新響の皆さんは実にあたたかく接して下さり、親身な御助言と御指導は、時に場所をとんかつ屋や居酒屋の類いに移しつつも続いたものでした。一般に、作品が職業的オーケストラによって演奏される時、作曲家は“オケ”という総体とたった1人で向き合うことになり、それはしばしばとても恐いものです。しかしながら新響の場合は、こうした(ほぼ毎回宴会の付随した)数多くの練習を通じて、何人ものユニークな団員の方々と個人対個人としての親交を深めることができ、作曲家はそうした“親密さ”に包まれて自らの作品が成長していく過程に立ち会えることになります。新響は、日本のオーケストラとしては珍しいことですが、その中に個々の顔を持った、有機的な集まりなのです。
 新響は、邦人作品を数多く演奏してきたことで既に定評がありますが、なかでも芥川也寸志や伊福部昭、早坂文雄といった、日本の洋楽史においては“古典”ともいえる世代の作曲家の作品を積極的に取り上げ続けていることに、際立った特徴が見受けられるようです。今日、必ずしも頻繁に演奏されているとは言い難い、これらの重要な邦人作曲家に対する温かい眼差しは、日本の音楽文化においても明確にして貴重な一つの姿勢を打ち出していると言えるでしょう。もし私達が自らの過去を大切にしないならば、どうしてその未来にも希望が持てるでしょうか。しかし同時に、新響においてのこれら“古典”あるいは“伝統”は、大きな時間の歩みと共に、少しずつ自らを更新していく性格のものであってほしいとも、また考えます。
新響は40周年ということですが、私はまだ28歳。平均寿命まであと50年あまりも残している身でありますので、新響とうまくすればあと半世紀にもわたる永いお付き合いをさせていただけるかもしれません。新響創立90周年の折には、今度は日本の作曲界の古典の殿堂入りを果たした老大家として、是非またお祝いの言葉を寄せさせていただきたく思います。

夏田昌和(作曲家)


 堂々たる歴史と伝統の新交響楽団と多少でも係わりを持てて来れた事を光栄に思っています。確たる自主企画、自主運営を今後も続けられることを心から願うと共に、その為に陰ながら少しでもサポート出来ればと考えています。

佐藤修悦(Mコンサートサービス代表取締役社長)


 新響、そのマエストロ達と共に
 新響が今年で創立40周年を迎えた。輝かしい業績を残しながらの40周年、素晴らしい事である。心よりお喜ぴ申し上げる。
 新響というと、故芥川也寸志氏による創立10周年目以降の邦人作品の紹介という印象がまず浮かぶ。このアイデアをみて、プロオケのプログラム作りに知恵を絞る連中は臍を噛んだ。新響と同様な趣旨の企画を、どのオケでも考るが、新響を越えられない。故人となった作曲家や、現在活躍している作曲家達の作品を、充分に考慮して企画、編成されたプログラムは、新響の音楽レベルの高さを示している。
 アマチュアオーケストラ新交響楽団(チラシやプログラムにこう書いてある)は、オケとしてのテーマをしっかり持っている。運営委員会や、演奏委員会といったオケを支えるべき組織がしっかりしているのだろう。
 新響は粋なオケである。この粋なオケが、第一線で活躍する指揮者やソリスト達を迎え、彼等が織りなす多彩な表現を念頭においたプログラム、これが面白い。特に今年の40周年プロがすごい。プロオケだったら、演奏時間が長すぎるとか、難しすぎるとか、色々な意見が出そうだ。新響はワーグナープログラムから始まった創立40周年シリーズを作品の骨の髄まで貪り、味わい楽しんでおられる。
 ところで、私はトレーナーの名を借りて新響の皆さんと一緒に楽しませていただいている。そして、勉強もさせていただいている。そこで私が感謝しなければならないことをここで述べておこう。寛容なる新響の面々は、練習の際、「こんな音楽もあるのかも知れないなあ」とか、「あの指揮者とは表現が違うけれど、ま、いいか」とかの感じをもたれているだろうが、ともかく無事練習は終りになる。で不満、ご希望も多いにおありと思うのだが、練習後の乾杯ひとつで、御赦免となる。この場をお借りしてお詫ぴしておく。
 どこの練習所に行っても、行きつけの店がある。どこの店も肴が旨く酒がおいしい。店の大きさの都合で、いくつかのグループに別れるが、色々な飲み仲間同志、熱っぼい音楽談義に花が咲く。個性豊かな人間性と音楽観に、話はつきる事が無い。音楽を愛する素晴らしい仲間との語らいは、どんな時間的、あるいは金銭的投資をしてもとっくにおつりがくるような、幸せな人生なのである。
 音楽にはプロとアマの線引きは無い。新響には、指揮者、ソリスト、作曲家、そして何よりも作品が期待を込めてやってくる。これから新響に、プロとアマの垣根を越えた企画、技術的なハンディを少しでも無くす努力を尚一層期待してやまない。
 いつまでもお互いに、若々しく、おつき合いをしていきましょう。素敵で魅力的なマエストロ達と共に。
 追記
 新響を愛したコントラバスの平野幹夫氏が、先月永眠された。音楽の先輩として、仲間として、音楽を共に楽しんだ思い出はつきない。どうぞ安らかにお眠り下さい。合掌

相葉武久(東京都交響楽団・コントラバス奏者)


 創立40周年おめでとうございます。
 新交響楽団の40年の歴史と成果を想い心よりお慶ぴ申し上げます。
 新響の演奏会を経験する度に音楽への情熱と純粋な歓ぴが演奏にとっていかに大切であるかを実感してきました。
 音ほど人の想い(気持)をのせられる媒体はないのではと思います。
 どうか全身全霊での演奏を通じて音楽の歓びを一人でも多くの聴衆に伝えていって下さい。
 日々の積み重ねによる技術的な向上はもちろんの事、新響の音楽の特色を益々発展される事を心より願っております。

小泉和裕(東京都交響楽団首席指揮者)


 アマチュア・オーケストラは社会の縮図、その演奏活動は人生を写していると言っても過言ではない。百人の団体を運営し、円滑な活動を続けて行く苦労は察するに余りある。40年の歴史は軽いものではない。
 アマチュアとしてどのような演奏をすべきなのかと言うのは新響の方々からよく耳にする命題である。これに答えるのは非常に難しい。完璧な答えはないと思われる。答えのごく一部として、演奏と言うものが人に聞かせることが前提である以上、自分が楽しむだけに留まらず、聴く者を楽しませる、或いはメッセージを送ることに心を砕いて貰いたい。聴衆は演奏者がひたむきに、苦しんだ結果を見たいのである。音楽に畏怖を忘れず苦しむところから感動は生まれる。これが自らのオーケストラの活動を楽しむ一番の近道ではないだろうか。
 楽団創設以来の40年、新響の演奏会のプログラミングは常に面白い。どの時代のプログラムを見ても十分なメッセージを送っているのが感じられる。だからこそ意義ある歴史を我々も見ることが出来るのだが、今後は今まで以上に音でのもっと多くのメッセージを期待したい。「新響の音」と思われるものは今までにもあり、そのことについて語られもして来たわけだが、これからもっとその音を意志を持って洗練して行って貰いたい。そういう時代に差しかかっている。それが新響の苦しみであり、楽しみになると思う。
 新響のこれまでの歴史に敬意を表し、今後の演奏に一層の期待を致します。ガンバレ、新響!

柴山洋(オーポエ奏者)


 新交響楽団40周年に当って
 新交響楽団が今年で40周年を迎え、今回が155回目の定期であると云う。慶賀の至りであるが、創立の頃から何かと近くに居た者としては感無量と申すの他はない。

 1956年が第一回の演奏会であったが、其の頃、創立者である芥川也寸志君と当時の状況を嘆き、将来の壮大な抱負について熱っぼく論じ合ったことが今あらためて思い起される。
 其の頃、日本は自分達の遺産と文化に自信を失い、楽壇は外来の音楽と、前衛一辺倒で、全くの殖民地の様であった。一方、エレクトロ・テクノロジーの発達で、体を使う生の演奏の悦ぴが次第に見失われていくかの如き様相であった。
 そのような風潮の一角を崩し始めたのが新響の誕生であった。当初は其の真意は理解されず、蟻の一孔の如きであったが、時を追って、運動は進展し、その後の活躍は真に瞠目す可きものであった。海外公演でも大きな賞賛を博したことは耳新しい。
 創立者のポリシイの上で、最も注目す可きは、日本の作品のみでなく近隣アジアの作品等も進んで取り上げたことであった。このことは日本の近代音楽史上、極めて意義深いことであるが、歴史が経るにつれて、其の意義が益々、重いものとなることは疑を入れない。

 私事に亙って恐縮だが、拙作も幾度か取り上げられた。殊に93年から94年にかけて、小生の傘寿記念と銘うってベルリン公演を含む5回の定期を連続して組まれたことは老残の身にとって望外の光栄であった。
 幸い、其の全曲がCD化されているので、これ等を聴くと、演奏の見事さに感銘すると同時に、在りし日々の芥川君が偲ばれてならない。
 芥川君が世を去って7年の歳月が流れたが、残った同志が、その創立の意を忘れずに、多くの苦労と闘い築き上げた今日を見るのは感激惜く能わざるものがある。

 又、此の度は、定型のある古典を試金石として、更なる研鎗に挑むと云う。誠に立派である。
心から成功を祈って止みません。

伊福部昭(作曲家)


 「新響」と言うオーケストラが私は大好きです。「新響」は大変高い水準を保っています。
 しかし、それ以上に新響の皆さんは演奏する事が本当に好きなのです。
 このバランスこそが、新響が特別な個性のある、素晴しいオーケストラである事を可能にしているのです。
 では又、お元気で。

飯守泰次郎(指揮者)


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