第152回演奏会(1996年4月)パンフレットより


芥川也寸志とソビエト音楽

新響チェロ奏者 石川嘉一

 私達の切なる祈りも虚しく、1989年1月31日、芥川也寸志先生はこの世を去った。人に死生命ありとはいえ、先生のあまりにも早い死を思うと、今に至るまで哀惜、悼慄の念に堪えない。小雪のちらつく中、先生の骸を納めた枢を見た私は、自分の心の中の何かがプツリと切れてしまう気持ちをどうすることもできなかった。私達は掛け替えのない師を失なってしまったのである。

 先生と私との出会いは何時だったろうか。それは昭和23年、私が慶應中等部に在籍していたときの音楽室での出来事であった。普通は「月光の曲」とか「未完成交響曲」の音楽鑑賞をする教師が多いが、先生の授業は非常に斬新的で自作のテキスト「音楽四方山話」であった。内容は大変面白く、音楽の起源、音楽の種類、民族音楽の話しや、音楽の基礎の勉強が中心で、先生がピアノやパイオリンを自分で演奏したり、時には得体の知れないレコードを聴かせて、その感想を書かされるのが常であった。モーソロフ作曲「鉄王場」。メイノウズ作曲「ドニエプル川の水力発電所」。ストラヴィンスキーの「火の鳥」、「ペトルーシュカ」。いずれもロシヤ作品であった。当時先生が宿直室で五線紙に何か書いていらした姿を思い出す。それが放送劇「えり子と共に」(内村直也・台本)とNHKで特選入賞した「交響管絃楽のための音楽」だったのである。
 戦後は外国からの現代音楽の楽譜やレコードが入手出来ず土曜日の午後、進駐軍放送(WVTR)を聞くのが何よりの勉強のようだった。その放送で、私達も外国のオーケストラを聴く機会に恵まれたわけだが、指揮者ではB.ワルター、A.トスカニーニ、L.ストコフスキー、A.ロジンスキー、D.ミトロプールス等がNBC響やニューヨーク・フィルを指揮していた。若手ではE.オルマンディーやL.バーンスタイン。そして若くして世を去ったグィド・カンテルリとウィリアム・カペル(pf)など。現代曲作曲家としては、ガーシユイン、プリテン、ニールセンそしてG.マーラーあたりが取り上げられていたように思う。
 こうした戦後初期の環境の中で、先生はフランス印象派の音楽にも触れられドビユッシーやラヴェルにも心惹かれたようである。
 先生は昭和29年、単身で鉄のカーテンの向うに「トリプティーク」「交響管絃楽のための音楽」「交響三章」の自作3曲を持って、ウィーン経由でモスクワへ旅立った。ハチャトリアンの協力で「交響三章」がソヴィエト国立音楽出版所から出版されている。
 昭和33年ソヴィエトからガウク指揮のレニングラード・フィルが初来日して東京干駄ケ谷の体育館で演奏会を開いた。このとき偶然に先生が隣席で「石川君!チェロ弾いている?」「はい、岩城宏之さんのOB交響団でやってます。」「今度僕のオケに遊ぴに来ないか?」と話され、その後労音第一オケのオーディションを受けたのが先生との第2の出会いとなった。
 労音アンサンプルから新交響楽団として独立し、創立l0周年にはベートーヴェンチクルス(アマチュア・オーケストラとしては初であろう。)を挙行し、昭和42年にはソ連青年団体委員会の招待で9月27日から10月5日までソ連各地で公演した。「新響」は労働者、学生、主婦から成り立つ日本のアマチュア・オーケストラで、作曲家・芥川也寸志氏を会長とする日ソ青年友情委員会の団体会員、という資格での招待である。74名のメンバーは平均年齢23〜24才で演奏会プログラムには日本とヨーロッパの交響曲、それにグリンカ、カバレフスキー、芥川也寸志と伊福部昭の作品が含まれている。一行はシベリアの人達に温く迎えられ、ハバロフスク、イルクーツク、そしてモスクワ(2回)、とレニングラードで演奏した。コンサートに来てくれた人達の評を紹介しよう。モスクワ大学経済学部ジャスミン・シング嬢は「すてきな演奏会でした。中でもチャイコフスキーの5番とトリプティークが良かった。」文学部アラ・シューリギナ嬢の感想は「私はアノーソフ指揮による全ソ連ラジオ・テレビ響でトリプティークを数回聴きましたが、今回は作曲者自身の指揮で聴けて大変幸せでした。」(今日のソ連邦1967年12月号より)私達団員も先生のおかげでソ連公演が実現し非常に思い出の深い演奏旅行になった。
 また本場の音楽が聴けたことも収獲の一つである。それは全盛期の巨匠E.ムラヴィンスキーの指揮によるレニングラード・フィルのショスタコーヴィチの交響曲第6と、第5番で、さすがに最高級のレベルの演奏であった。ソ連の弦楽器群は昔から優れた技術とアンサンプルで定評があるが、ソ連のオーケストラのホルンは音色が独特でサクソホーンのように柔らかい。他の金管楽器はソヴィエト式の奏法で力強く濃がある。
先生はソ連のオーケストラの音に強く影響されたせいか、先生の指揮する新響のソヴィエト作品は他の演奏とは異なり、その作品の本質と魂が感じられるような気がしてならないのである。
 今日、新響創立40周年記念シリーズ(2)として先生が最も得意とされたソヴィエト作品を小泉和裕さん指揮により演奏する。先生が亡くなられて早や7年の星霜を重ねることになるが、この年月のうちに新響もいろいろな意味で大きな変化を逐げているに違いない。私達の本日の演奏を聴いて、天にいらっしゃる先生は果たして何とおっしゃるであろうか。


第152回演奏会に戻る

ホームに戻る