第145回演奏会(94年10月)プログラムより


伊福部先生とコーヒー

米倉広美(ホルン)

今から14年前、新響では伊福部作品展を企画したが、「タプカーラ」は改訂初演であり、スコアから写譜してパート譜を作ることになっていた。私はライブラリの係であったので、その「タプカーラ」のスコアを受け取りにヴィオラの佐藤(今の家内)と一緒に、ある休日の昼下がり先生のお宅にお伺いした。
私達は、東急大井町線の尾山台駅を降りて『上の部分に青いかわらのある白い塀』を目印に伊福部邸を目指した。先生のお宅につくと、スコアは、まだ完成していないとのことであった。私達はすぐに帰るつもりであったが、先生は非常に気さくな方で、そのまま書斎に案内された。机の上には「タプカーラ」の大きな五線譜が広げてあった。何となく落ち着かなくてモジモジしていると、先生はニコニコしながらおいしいお茶を入れて下さった。
書斎には、コーヒーに関する器具等が沢山あった。その中にコーヒー豆が入った小さな引き出しがいくつもついている箱があり、先生は2種類の豆を選んでブレンドし、私達にコーヒーを入れて下さった。
そのコーヒーを御馳走になりながら、コーヒーの話を色々とお伺いした。
まず、先生が愛用している陶器製のカリタを見せて戴いた。それはある人が自分で作ったものだそうで、先生がおっしやるには、おいしいコーヒーを抽出するには、温度と抽出の速度が大切で、このカリタは、適切な温度と抽出速度になるように肉厚・底の穴を考えて設計されたものだとのことであった。
また部屋には、大きな水時計のような見慣れぬ器具があった。それは「水出しコーヒー」を作る道具であった。先生はこの器具を使ってコーヒーを10時間かけて抽出され、これで抽出したコーヒーが一番おいしく、お客様が来るのが分かっているときはその時間に合わせてコーヒーを抽出するとおっしやっていた。入れ方によって微妙に変化するコーヒーの味を追求してやまない先生の姿が、大変印象的だった(わが家でも先生の刺激を受け、水出しコーヒーの器具が揃うことになった)。
大先生のお宅におじゃまするということでかなり緊張していた私達だったが、思いがけず丁重なおもてなしを受け、ほのぼのとした気持ちで帰途についた。
「タプカーラ」のスコアについては、後日、佐藤が再び先生のお宅を訪問して受け取り、団員が手分けして写譜した。
その後、新響では、四苦八苦して伊福部先生の曲に取り組んでいた。指揮をされていた故芥川先生も、日曜練習をもう1回増やそうとされていたほどであった(しかしその日は、私達の結婚式で、何十人もの団員が欠席することになるので練習は無埋だと松木元理事長(Vn.)が芥川先生に申し入れ、計画は中止になった)。
いまでは、伊福部作品を何度も演奏し、新響の『おはこ』という感があるが、私は「タプカーラ」を演奏するたびに、温かく迎えていただいた先生、また緻密に考えられてコーヒーを入れてくださった先生を思い出す。


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