第145回演奏会(94年10月)プログラムより


近況、そして「タプカーラ」のことなど
伊福部 昭インタビュー

インタビューアー小宮多美江

小宮 ゴジラ関係のインタビューは一段落ですか。

伊福部 40年祭(ゴジラの誕生は1954年)ということで、ちょっと辛かったですけどね。「三管編成で」なんて言うと、「管楽器が全部で3本ですか」なんて質問されて、一から説明しなきやならないこともありました(笑)。また今年もゴジラの新作ができましたが今度は遠慮しました。体力も限界ですので。

小宮 今、手がけられているのは何ですか。

伊福部 この10月30日に私の故郷一一鳥取の因幡、白兎の因幡ですが、国府町というところに因幡万葉歴史館というのができるんです。大伴家持(おおとものやかもち)と私家(因幡の豪族の娘であった伊福吉部徳足比売(いふくべのとこたりひめ)の古墳があり、伊福部昭は67代目にあたる)のご縁で、そこの開館式に大伴家持の歌で演奏会をやりたいので曲を書いてくれということになりました。お箏とアルトフルートと歌の3人です。この歌は因幡の国守だった大伴家持が国府へ来て詠んだ万葉の最後の歌で、「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事」で始まり、5曲になります。

小宮 私もあそこへは行きましたが、ほんとに大らかな景色でした。今年は他に何か?

伊福部 あとは何も書いておりません。ただ今年2月に、格闘技をやる佐竹雅昭という人に頼まれて。試合ではいつも私の「ゴジラ」の音楽を使って威勢よく出てくる(近年、格闘技では選手がリングに入るとき、それぞれのキャラクターに合わせた音楽を流すようになってきた)。しかしリングに上がるところになるとフルートのソロになっちゃってどうも力が出ないから、書き直して録音してもらえないか、と当人が見えたんです。なかなか痛快な青年でね。最初ゴジラがワーっと咆えて始まって、それで第2主題が出る前にまたワーっと咆えて終わり。彼は27歳なんですけど、世界のチャンピオンをほとんど取っているそうです。今度やるから見に来てくれと招待状持ってきました。それからゴジラが好きで、ゴジラ・グッズをl000ぐらい持ってる。これが外語大の英語を出てる。その後またスポーツ紙に「なぜ佐竹さんの曲を書く気になったか」とインタピューされて(笑)。不思議なことに、僕の先生のチェレプニンが「ボクサーの入場(Op.37)」という曲を書いてるんですね。不思議な縁だなあ。

小宮 「タプカーラ」は年譜を拝見すると1954年になっていますね。先生はひとつの曲を何年もかけてお書きになる。

伊福部 そうですね。あの頃ははっきり言って私どもが書いても全然やってくれない時代でした。どなたかが書いてましたけれど、「伊福部は戦後いちばん古いタイプの作曲家」ということになったものですから。十二音(音楽)じゃないから全然問題にされない。でも十二音にはどうしても馴染めなかった。せっかくあれだけの雰囲気で育ったんだからそれを書こうと思った。音更(おとふけ)にいた頃は何でもないと思っていたけれど、アイヌの人たちは、結婚した、お産だ、家を建てた、といっては歌って踊って。そういう生活というのはかなり独自のものだというのが札幌に出て来てわかりかけて、東京へ来て懐かしさが倍増してきましたね。どこがら頼まれたわけでもなかったので時間をかけてゆっくり書きました。どうせ上演されないと思って。それがセヴィツキーから「どうしてる」と手紙が来たので「こんなものを書いている」と返事したら、すぐ送れということになって、インディアナポリス交響楽団で急遮上演ということになったんです。

小宮 「タプカーラ」とはアイヌ語で「立って踊る」というような意味だそうですが。

伊福部 芥川(也寸志)君じゃないけど、「立たないで踊る踊りってあるんですか?って」(笑)。でもインドなんかにはあるんですね。しかしここでは「立って」というよりは「自発的に」という意味です。何かあって興が乗ったら踊る。「それじやあ、タプカーラやろうか」とこちらの人がやりだすと、あちらで飲んでいた人もつられて踊り出す。非常に簡単な動きで。

小宮 完全に即興ですか。

伊福部 いや、型はありますけれど。きわめて簡単ですね。7月にアイヌを呼んでアイヌ音楽の講演を東京音大でやりました。ムックリ(アイヌ民族の口琴)の演奏を頼んだんですが、その人たちが、どうせここまで来たんだから踊っていく、というんです。昔、十勝平野がイナゴの大群で全滅したことを題材にした踊りだという。みんなも舞台に上がってください、という声に応えて物好きな人が30人ぐらい一緒に踊りました。学生さんも白髪の人も踊ってましたよ。それだけ動作は簡単なんです。

小宮 先生の「タプカーラ」で強いてムックリの響きを連想させるところといったらどこでしょう。

伊福部 もしキザにこじつければ2楽章の中間部のオーボエのところ。コールアングレの旋律が乗ってくる。あれはそのような響きですね。

小宮 先生の音楽をアイヌの音楽と単純に結び付ける傾向もあるようですが。

伊福部 アイヌの音楽からは、音型や何かはなんにも影響を受けていません。ただ、自分の書いたものを発表するということへの抵抗感がない。彼らはすぐ即興でやりますからね。それが身についたということはあると思います。ピアノでも先生の所に習いに行って「これはまだ早い」とか、先生にみてもらってないから弾けないとか、そういう教育方法ですよね。そんなところで曲を書こうと思ったらモーツァルトから勉強しなきやだめ、ということになる。自分が思ったものを書いたらいいじやないか、というような心構えというか、生活態度への影響はずいぶん大きいと思います。町で育ったらそんなこと絶対にやらない。そんなヘタッピなものを何だと言われそうで。ところが向こう(アイヌの人たち)では上手下手はあまり言わない。上手とか下手とか、ここのベースが違うとか、そういう風な音楽教育をまったくなしで素人の性界を歩いてきたから、そういう点で、すごく影響を受けたと思います。

小宮 今、若い人が作曲しようとしても、とてもそんな環境にはいられませんね。

伊福部 日本の音楽でも芸術でもそうですが、ねらいが「憧れ」なんですね。憧れで集めてきた「根なし草」のようなものを寄せ集めたのが今の日本の近代支化の根底を成しているものだと思う。自発的なものじゃなくて憧れ。高山へ行ってきて「この植物いいな」と採ってきて自宅の庭に植えるのと同じような。枯れるに決まっているんです。根なし草からは花も咲かないし、実もならない。花瓶に活けた花も、しばらくは咲いてますけどね。生活様式でもみんな「憧れ」で外国風にやってみるけれど、ゴロンとする場所がなくて、結局畳にするとか障子をはめるとか。体の中に伝統がプログラミングされてますからね。それが言うことを聞かなくなる。音楽にもバブルがあったんですね(笑)。こわれちやったけど。経済と同じ頃かな。それより前からひびが人ってましたけれど。

小宮 パプル後の音楽は?

伊福部 ちょっと見つからなくて困ってる状況でしょう(笑)。若い人も困っているようです。前衛も下火になったし、十二音書けばこれで済むというものでもなくなった。

小宮 先生の音楽の特徴のひとつとして、低音でこそ表現できる、というか低音への志向があるように思うのですが。

伊福部 そう言われればそうかもしれません。低音がしっかりしているのが好きですね。「伊福部さんの音楽はヴァイオリンなんかG線(最低音弦)だけあればいい」なんて冗談言われたこともあります。打楽器もトライアングルはあまり好きじやない。

小宮 チェロ奏者もA線(最高音弦)の出番がほとんどないとか。

伊福部 今度使おう(笑)。ストラヴィンスキーが自伝か何かで、自分は各楽器の高音域と低音域ばかり使って普通の音域を使わない悪い癖があって、それが次の時代に影響したようで困ったというようなことを言ってますね。

小宮 低音が表現するものには、大きいもの、広いものを感じます。

伊福部 狭い部屋に住んでいるけれど、心は野原にいるような感じなものですから。曲を書くときは。ある人が「伊福部さんの音楽は相手がなくて野原で怒鳴っているようだ」と言われた(笑)。それもそうだ。それから女性のファンというのがない。サインとか手紙とか、みんな男性。人に話したら、野原を機関車が走っているような感じだからだ、と。

小宮 なるほど鉄道ファンも男ばっかりです。でも私も一応女のはしくれでして(笑)本日はありがとうございました。

インタビューまとめ:今尾恵介


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