2004年9月維持会ニュースより


チェレスタ!
−チャイコフスキーが初めて紹介した可憐な音色

藤井 泉(ピアノ)

 今回は187回演奏会の「くるみ割り人形」で活躍するチェレスタについて述べたいと思います。
 「くるみ割り人形」の中の「こんぺい糖の踊り」は、全編チェレスタのソロで構成されています。また、チェレスタという楽器をチャイコフスキーが初めてこの世に紹介した記念碑的な曲でもあり、チェレスタにとっては特別な曲と言えます。
 当時「くるみ割り人形」を作曲していたチャイコフスキーは、その中にある「こんぺい糖の精の踊り」の中でメロディーを奏でる楽器に頭を悩ませていました。この曲で踊るこんぺい糖の精(夢の国のプリンセス。プリマドンナは主人公のマーシャとプリンセスの一人二役を演じる)は、清澄な輝きの中で静かに煌めくような彩りを添えて踊るのですが、その感じに相応しい楽器がなかなか見つからなかったのです。そんな中でチャイコフスキーはフランスでチェレスタに出会い、一発でこの楽器に決めてしまったのだそうです。
 ここで簡単にチェレスタの事を説明したいと思います。チェレスタ(celesta)はイタリア語で「天国的な」という意味で、1836年にフランスのオルガン制作者ミュステルによって考案、製作されました。そしてチャイコフスキーの「くるみ割り人形」で取り上げられ初めて世に紹介されて以来、その音色は作曲家達の興味を集め、その後多くの作品に使われるようになりました。見かけは昔の小学校の片隅にあった小型のリードオルガンのようですが、ピアノと同じような鍵盤から金属製の音板を叩くことによって、可憐で美しい音色を出すことが出来ます。音はグロッケンシュピールに似ていますが、これよりも音量は小さく、音は若干哀愁を帯びているといったらよいでしょうか。グロッケンシュピールがオーケストラの強奏でより輝かしさを出すために使用されるのに対して、チェレスタはオーケストラが弱奏の時に単独で、もしくはハープ、木管楽器や弱音器を付けた弦楽器などといっしょに使用されることが多いように思います。

 チェレスタが使われている主なオーケストラ作品としては、ストラヴィンスキー「火の鳥」「ペトルーシュカ」、ホルスト「惑星」、マーラー「大地の歌」「交響曲第8番」、レスピーギ「ローマの松」「ローマの噴水」などありますが、バルトークの「弦・打楽器とチェレスタのための音楽」ではついに主役に抜擢されます。そのほか邦人作品に至るまで(つい最近のレパートリーでは湯浅譲二「奥の細道」組曲など)、近現代曲には欠かせない楽器のひとつとなっています。
 さて新響の使用しているチェレスタはヤマハ製の5オクターブの楽器なのですが、これは維持会の貴重な会費から購入していただいたものです。この楽器の購入前は、ミュステルやシードマイヤーの楽器をレンタルしていました。ですが両社とも既に製造を中止していたため劣化が進み、レンタル楽器の状態は最悪でした。こんな苦い経験があります。芥川先生が日本初演されたショスタコーヴィッチの交響曲第4番(演奏に1時間もかかる超大作)の最後は、チェレスタの謎めいたソロで幕を閉じます。チェレスタの出番は第1楽章にたった1小節と終楽章の最後のソロしかないので、奏者は1時間ひたすら待つことになります。そして待ちに待ったそのソロは、オーケストラが最弱音の中、あたかも世紀末の絶望の淵でSOSを出し続けているような単純な音型の繰り返しで、しかもたった5音しか使用されていないのです。が、事もあろうにその5つの音の音程が見事なまでにバラバラで、救いようのない絶望感に覆われた静寂が一転して失笑の場に! 弾いているこちらの方は悲しくて、本当に泣きたくなったものでした。
 当時のチェレスタの惨状はプロのオーケストラにとっても深刻な問題でしたので、ピアノのメーカー・ヤマハがチェレスタの開発に着手しました。そしてヤマハは、チェレスタの鍵盤アクションにグランドピアノづくりで培われた技術をそっくり投入することで、グランドピアノタッチを実現させたのでした。これにより従来、音量や音色のコントロールが困難と言われたチェレスタの表現レンジが大きく広がり、ピアニシモから、フォルテシモまで思いのままの演奏表現が可能となったのです。
 このチェレスタが新響に届いたのは今から6年前の1998年になります。普段は十条にある労音会館の2階倉庫に保管してありますが、演奏会本番や外会場の練習の際は屈強な男性団員の手作業で重量100Kgのチェレスタを階段から降ろしています(当然帰りは階段上げの作業が待ちかまえています)。なぜならこの楽器、十条のエレベータに入らないからなのです。これは演奏会前の一大仕事で、団員皆さんには言葉では表せないほど大変お世話になっております。
 このチェレスタが届いた日から、いつかは「こんぺい糖の精の踊り」を弾きたいと願い、ようやくその思いが叶いました。10月の演奏会の際は、ステージ下手のチェレスタに少しでもご注目いただけたら幸いです。


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