2002年6月維持会ニュースより


「ファウスト」序曲チューバ吹きの独り言

土田 恭四郎(Tub)

 「ファウスト」序曲の冒頭は、ティンパニーの運命的なトレモロに乗ってコントラバスとチューバによる印象的なレシタティーボにて始まる。なんてドラマチックな出だしだろう。同時期に書かれた歌劇「リエンチ」序曲とは対照的な曲だ。歌劇「リエンチ」は当時パリで主流であった華麗なフランスオペラ形式から影響を受けた絢爛豪華な舞台と劇的効果のあるグランドオペラ風な作品で、序曲には生き生きとした旋律と外面的な輝かしさがある。一方「ファウスト」序曲には精神的な深みと苦悩が感じられ、パリ楽壇における作曲者自信の失意に満ちた境遇とドイツ人としてのアイデンティティが反映されているようだ。
 1939年のパリ、ワグナーはアブネック指揮パリ音楽院管弦楽団の演奏によるベートーヴェンの第9交響曲に強い感銘を受け、翌1840年1月にはゲーテの「ファウスト」についての交響曲の第1楽章としてこの序曲は書かれたという。ニ短調という調性からしてもっともな話だ。いやいや、やはり1839年の12月にベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」を聴き、またそれ以前に彼の「幻想交響曲」を聴いて感動を受けたことがきっかけとなって書いた、という話もある。この曲の作曲中にベルリーズがワグナーを訪れていることもあり、だからベートーヴェンよりはベルリオーズの影響が多くみられるとのこと。いずれにせよ、当時26歳のワグナーは失望と困窮のどん底にあり、4楽章の大規模な「ファウスト交響曲」としての構想を実現するには心の余裕が無かったに違いない。結局このプランを放棄して序曲としたらしい。ワグナーはパリ音楽院管弦楽団にて演奏してもらうべくパート譜まで用意して音楽院に提出したが、結局その希望は実現されなかった。 初演は4年後の1844年にドレスデンにてワグナー自身の指揮により行われ、その後は放置されてしまっている。その後、リストにより1852年にてワイマールにて再演され、それを契機にワグナーも関心を持ったのか総譜の返還を求めてブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版すべく改訂を実施、リストも1853年に改善されたことを認めている。(結局出版はされなかった。)1855年にリストが自作の「ファウスト交響曲」がほぼ完成したことをワグナーに伝えたところ、彼から再び改訂した総譜をリストに送り、ブライトコプフに売り渡している。
 ところで、チューバに関する曲集で「オーケストラ・スタディ」という古今東西のオーケストラの名曲から有名なチューバのパートだけを網羅した曲集が多く出版されているが、必ずといっていいほどこの曲の冒頭部分が掲載されている。しかし実際にチューバ吹きでこの曲を演奏する機会に恵まれた奏者はそう多くないだろう。マイナーな曲だし目立たないが、今日のチューバの確立という面から見ると、大きな意義があると思っている。
 ワグナーが「ファウスト」序曲を書いた当時、金管楽器は19世紀の初頭に開発されたバルブ装置が普及されてきたことに伴い加速度的に進歩していった過渡期の時代であった。トランペット、ホルンはバルブ装置を持たない前身があるし、トロンボーンはバルブよりはスライドが主流となっていったが、現在のチューバはまさにこの時代にベルリンで生まれた新しい楽器だった。世界最初のチューバは、ベルリンでプロイセンの軍楽隊長であるヴィープレヒトと楽器製作者のモーリッツが考案したF管のクロマチックバスチューバが1835年に特許をとったことに始まるといわれている。そして1845年ケーニヒグレーツの楽器製作者チェルベニーが現在のB管やC管の大型チューバ、コントラバスチューバ(カイザーチューバ)を製作(ワグナーが作らせたという)、その後のチューバのスタンダードとなっていく。
 それまでチューバの位置をしめていた低音の金管楽器は、オフィクレイドという円錐形の金属の管に穴がいくつも開いていて、キーシステムを用いてこの穴をあけたり塞いだりする楽器、今で言えば、サックスをファゴットの形に変えて歌口には金管のマウスピースを付けたような所謂チューバとは全く違う系統の楽器だった。特にフランスとイギリスで広く用いられ、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を始め、マイヤベーア、スポンティーニ、ベルリオーズの作品に多く使われているが、ベルリオーズは1843年にドイツを訪れた際にこのチューバを知り、新しい楽譜が出てからは全てを書き改めている。(ベルリオーズとチューバの関係については後日述べることにしよう。お楽しみに。)
 一方、ウィーンでは、1875年ウィーン宮廷歌劇場オーケストラ(現ウィーンフィル)にベルリンからチューバ奏者(若干16才!のオットー・ブルックス)が招聘され、ウィーンのウルマン工房で前述のクロマチックバスチューバを基礎としたF管のコンサートチューバが採用された。これが所謂ウィンナーチューバとして独自の伝統的なスタイルで定着していくのである。(ウィーンフィルでは最近まで使用されていた。)当時既にウィーンに在住していたブルックナーは、1878年完成の交響曲第5番に初めてバスチューバを使用、この曲は交響曲において初めて本格的にバスチューバが使用された作品であり、その後第4番の改定に際してもバスチューバを加えているし、新しい作品には全てバスチューバを積極的に使用している。もちろん、ブラームス、マーラー、リヒアルト・シュトラウスといったウィーンで活躍した後期ロマン派の作曲家も、同様にこのバスチューバを作品の中で意識して使用、チューバが確個たる地位を確立していったのである。
 このような時代のなかで、管楽器を多く用い、ホルン奏者によって演奏されるワグナーチューバと呼ばれる新しい楽器まで作らせたワグナーは、当然先駆者として所謂バスチューバを積極的に取り入れてきたわけで、スコアに初めてチューバのパートを書き入れた最初の作曲家はワグナーと考えられているのも納得がいく。この「ファウスト」序曲も、最初にバスチューバを使用した曲として言われているが、第1稿ではセルパンというオフィクレイドのさらに前身といえる低音楽器を指定していたらしい。当時は過渡期ゆえ、さまざまな低音管楽器が共存していたが、改訂の時にバスチューバを使うようにしたと思われる。面白いのは同時期の「リエンチ」ではオフィクレイドを指定しており、マイヤベーアに代表される当時のフランスオペラスタイルに影響を受けた作品だからであろう。
 そういう意味では、「ファウスト」序曲はワグナーによって表現されたドイツの音楽であり、冒頭のチューバが奏でるフレーズは、オーケストラの中でチューバの持つ表現力が認められて楽器の持つ魅力が十分に発揮され、その地位が確立されていく上での記念碑的なソロとして重要な意味を持つといえよう。この部分を演奏するたびに、そのような楽器を演奏できる喜びと、歴史的な意義を強く感じている。



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