2000年4月維持会ニュースより


ショスタコーヴィチの素顔

新響トランペット 倉田京弥

○少年ショスタコーヴィチがうけた影響

 ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチは1906年、サンクト・ペテルブルグに生まれました。姉マリーヤ、妹ゾーヤとの仲の良い3人兄妹は近所でも評判でした。
 姉マリーヤは8歳からピアノのレッスンを受けましたが、ドミトリーについては、幼少からの若すぎるレッスンによる弊害を母ソフィアが嫌ったため、9歳になるまではピアノを教えてもらうことはありませんでした。しかし、彼がピアノを習い初めてから、あまりにも容易に譜面を読みこなし、曲を覚えてしまうので、母はドミトリーに本格的な音楽の教育を受けさせるために、一家で首都ペトログラードに引っ越します。
 彼が10歳になった1917年、ソ連では2つの大きな事件がありました。1つ目は、専制政府が倒され、労働者・兵士代表ソヴィエトが臨時政府を樹立した2月革命。2つ目は、レーニンの指導するボリシェビキ党が蜂起し、社会主義革命が成立した10月革命です。
 彼は2月革命の際に警官が幼い子供を殺害するのを目撃し、その衝撃を「革命の犠牲者のための葬送行進曲」、「自由の讃歌」という2つのピアノ曲に表しました。
 また、1917年10月、レーニンが数千人の労働者に迎えられてペテルブルグ駅に到着し、大民衆の中で感動的な演説したとき、そこに11歳になったショスタコーヴィチがいました。広場一面に広がる民衆の熱気、わき上がる叫び声、力強い演説、未来への希望。それこそ、人間の根元的な力を感じさせる感動的な出来事でした。この時の記憶は、ドミトリー少年の心に深く刻まれ、音楽家として彼の人生に大きな影響を及ぼすことになります。

○ショスタコーヴィチの愛するもの

 ショスタコーヴィチは大の動物好きでした。子供の頃は、常に犬や猫を飼い、小鳥の世話をすることを日課としていました。
 動物を愛することは、彼が成長し大人になってからも同じでしたが、彼の愛情の対象はさらに広がり、特に10月革命の際の熱烈な印象により、社会に生活する人々への愛情、さらには「人間」、「人類」と言ったより大きなものへと向っていきました。
 ショスタコーヴィチの作品には「戦争」や「革命」、重大な社会的事件などにちなむものが多いのですが、その根元にあるのは常に「人間」であり、戦争や革命の犠牲者として、あるいは主体となって生きる「人間」そのものを主題として扱っているのです。

○交響詩「10月革命」

 今回演奏する、交響詩「10月革命」(原題では「10月」のみ)も、1917年の社会主義革命50周年を記念して書かれた曲とはいえども、民衆のエネルギーや、民衆と権力との関係、その悲劇性などが円熟した技法で書かれています。
 大きな力と不安を予感させるような低弦の響きに始まり、徐々に緊張感を増す民衆の興奮を表すかのように早いテンポで曲が展開すると金管楽器を交えて大きなテーマが提示されます。大きな力に立ち向かう民衆、炸裂する銃弾、飛び交う血しぶき、そうしたものが表された後に、クラリネットによる民衆の主題が始まりますが、この中にはソ連国歌の一部が変形された形で引用されます。(しかも歌詞は「・・たたえよ我が自由な祖国・・」の部分)何度かこの主題が繰り返される度に演奏する楽器が増えて、仕舞には金管楽器を加えたオーケストラ全体での演奏になります。しかし、その中にも冒頭で示されたテーマも根強く繰り返されますが、最後にはトランペットの輝かしいファンファーレとともに、人類愛を表すハ長調で曲は締めくくられます。

○交響曲第7番「レニングラード」

 交響曲第7番は、1941年の第二次大戦時、ナチスドイツによるレニングラード侵攻をテーマに書かれています。ショスタコーヴィチ自身、義勇軍に志願し、消防隊の一員として音楽院の屋根裏に寝泊まりして書かれたといういわく付きの作品です。(ヴォルコフ著「ショスタコーヴィチの証言」によると、作曲の動機は必ずしも第二次大戦のみによるものではないのですが。
 この曲も冒頭、人類愛を表すハ長調で、力強く「人間のテーマ」が始まります。豊かで広大なロシアの大地が弦楽器によって表されると、どこからともなく、ファシストが侵攻してくる足音が小太鼓によって始まります。次第にそれは巨大な力になりますが、突如としてレジスタンスを表す金管の別働隊が号砲を発し、巨大な力はゆがめられ、豊かな大地に平和が訪れます。しかし、遠くで聞こえるファシストの足音は、決して戦争は終わったわけではないことを思い出させます。牧歌的な2楽章、叙情的で人生肯定につらぬかれた3楽章を経て、終楽章では、冒頭に登場した「人間のテーマ」が金管の別働隊も加わり高らかに歌い上げられますが、それは勝ち誇った大歓喜ではなく、疲弊し、重苦しい勝利の雄叫びにも思えます。
 この曲については、作曲者自身が残した言葉が多数ありますが、その中でも、次の一節はまさに交響曲第7番を表した曲として有名な一節です。

 「大砲が鳴ると、音楽は沈黙する。この交響曲では、音楽が大砲とともに鳴りわたる。」

D.ショスタコーヴィチ

<参考文献>
「ショスタコーヴィチ自伝」 ナウカ社訳(ラドガ出版)
「ショスタコーヴィチの証言」S.ヴォルコフ著 水野忠夫訳(中央公論社)
「驚くべきショスタコーヴィチ」S.ヘーントワ著 亀山郁夫訳(筑摩書房)
「ショスタコーヴィチの生涯」D.ソレルチンスキー著 若林健吉訳(新時代社)
「ショスタコーヴィチ大研究」井上道義他著 (春秋社)
「交響曲読本」(音楽之友社)

1941年

志願消防士をしていたショスタコーヴィチ




最近の演奏会に戻る

ホームに戻る