1999年3月維持会ニュースより


新響版プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」に関するお話

新響チューバ奏者 土田 恭四郎

<はじめに>

そもそもこの曲を私が本格的に知った、というかマジに聴いたのは、確か17、8年前にチェリビダッケとロンドン響での来日公演で、ドビュッシー「映像」ムソルグスキー「展覧会の絵」の時、アンコールで「タイボルトの死」が演奏された時だった。(もう1曲はドボルザークのスラブ舞曲6番だったか?) 当時大学?年生で、不覚にもこの曲を良く知らなかった私は、東京芸大の院生だったすぐ上の兄にこの曲何だっけ?と聞いてみたわけで、あん?タイボルトの死だ!タイボルトの!という声と共に忘れられない曲となった。
今回、バレエ版のスコアいわゆる全曲版と検討するために、バレエスコアを取り寄せて拝見してみたことが運の尽き、組曲版とバレエ版とでは構成も編成も違うことを改めて認識した次第。指揮をお願いした井崎先生と今回の演奏曲順を決める際、先生との打ち合わせの末席にも連なったことから、行きがかり上、今回のプログラミングの一助とすべく筆を取ることとなった。

<作品について>

それにしても、現代においてこの作品はプロコフィエフの代表作として重要な位置を占め、その個性の鋭さや情緒の深さにおいて芸術的価値のある優れた傑作であることにはまちがいない。しかし作曲された当時、作曲者にとってこの作品ほど翻弄された作品はないだろう。そもそもバレエの委嘱を受けたにも係らず、とにかく各地の劇場からの上演に伴なう拒絶や作品の内容への不躾な干渉、オーケストレーション改変のトラブルがあったこと。作曲者自らが4つの組曲を編纂し(一つはピアノ独奏用)、特に最初の2つの管弦楽組曲とピアノ独奏用組曲が、バレエの初演の前に演奏された事実は、その辺の事情を象徴しているといえよう。
音楽的特徴としては、ワグナーの示導動機のように、数多くの人物や事象を表現するテーマ、動機を用い、且つ複雑に結合させて音楽的統一を図っていることがあげられる。もちろんこのエピソードはいろいろな解釈の可能性があり、この辺いろいろと突っ込んでみると面白そうだが、ハマるとえらいことになりそうなので言及は差し控えておきたい。いずれにせよ曲に関する詳しい解説はスコアとかCDとか本とかの解説その他におまかせする。
ところでロメオとジュリエットのお話についてはあまりにも有名だし、ここでくどくど書くのも面倒なので割愛するが、ミュージカルで映画にもなった「ウエストサイド・ストーリー」を併せて思い起こせば面白いにちがいない。
それにしても驚くのは、このバレエの初演当時はソ連共産党の意向もあり、バレエの筋立てがハッピーエンドで終わっていたという事実である。もちろん原作通りに改訂し、新たな終曲を書き改めて今日の筋立てと音楽になっているのである。はたしてどんな感じなのだろうか?

<バレエ版(全曲版)と組曲版の違い>

曲順: 

曲目の数が違う(バレエでは53曲)なんていうギャグは差し控えるとして、組曲はバレエの個々の曲をただ機械的には並べてはいない。あたりまえといえばそれまでだがおいしいところを選んでいるからだろうか。個々の組曲ではおおかたストーリーに則って選曲されてはいるが、例えば第1組曲の後に第2組曲がストーリーとして繋がる、なんてことはない。また、組曲ではバレエでの違うシーンの曲を組み合わせて1曲にしている曲もある。例として第1組曲7曲目「タイボルトの死」や第2組曲5曲目「別れの前のロメオとジュリエット」などが顕著。
面白いのは、第2組曲の最後はあの有名な「ジュリエットの墓の前のロメオ」だが、作曲者自身本当の最後の曲はこれだぞ!と言いたいがため、第3組曲の最後に「ジュリエットの死」を選曲したのではないかと思われる。如何だろうか。

編成:

バレエの方が編成が一部大きい。バレエ版(全曲版)はコルネット:1、トランペット:3、ホルン:6、ハープ:2だが、組曲版はコルネット:1、トランペット:2(第3組曲のみ3、但しコルネットは無し)、ホルン:4、ハープ:1となっている。またバレエにはオルガンやマンドリン、大編成の金管のバンダがあり、打楽器群も多い。

オーケストレーション:

編成も違えば、ということもなかろうが、結構細かいところでちょっとした違いはある。楽器の種類が違っていたり、組曲では弦のPizzだけなのにバレエ版は他の管楽器が補強されていたり、組曲ではソロだがバレエ版では同じ楽器でもユニゾンだったりいろいろ。ちなみにバレエの48曲目はマンドリンのソロがあるが、組曲ではフルート、チェレスタ、ハープ、ピアノのユニゾンで演奏されている。(第3組曲5曲目「朝のセレナーデ」) いずれにせよ組曲の方がバレエに比べてずっと響きが透明になっているといえよう。まあ編成がでかけりゃ何でも良い!てなことは一概に言えないし、現に初演時は大編成でも、その後の演奏環境の変化を起因として、作曲者自身の作曲技法向上に伴ない編成を小さくして改定したなんて例もけっこうあるのだから。

<「ロメオとジュリエット」新響版の解説>

今回、新響がこの曲を取りあげることに際しては、井崎先生と検討した結果、九州演奏旅行のこともあり、編成上負担のかからない選曲ということで、編成、特殊楽器、馴染みやすさの観点から組曲版からの抜粋とし、且つなるべくストーリーに沿った選曲となった。以下曲順にバレエのどのシーンか解説してみる。
尚、文中にてバレエ版(全曲版)と組曲版との関連をわかりやすく表現するため、「[1]-1」は第1組曲の1曲目を、「21(1)」はバレエの21曲目で第1幕であることを意味している。

1.「モンタギュー家とキャプレット家」[2]-1

この曲のみストーリーと関係なく冒頭に持ってきた。「大公の宣言」7(1)と「騎士たちの踊り」13(1)を一部カットしてつなげられている。プロコのロメジュリといったらこれっ!てほど有名。尚、13(1)は第3幕冒頭の「前奏曲」37(3)にも再現されている。(というか全く同じ) バレエではモンタギュー家とキャプレット家の広場での乱闘を静めるため大公が登場する場面、そしてキャプレット家での仮面舞踏会での騎士と貴婦人達の威圧的な踊り、途中でジュリエットが登場し婚約者のパリスと踊るシーンということだが、冒頭に持ってくるとこの悲劇を暗示するかのようで幕開けにふさわしい。

2.「噴水でのロメオ」[3]−1

「前奏曲」1(1)の冒頭を移調した部分と「ロメオ」2(1)が合成。早朝のヴェロナの街に夢見るロメオが差し掛かる。まだ劇が始まる前のロメオがそこにいる。

3.「少女ジュリエット」[2]−2

「少女ジュリエット」10(1)がほぼそのまま使われ、最後は「ジュリエットはパリスとの結婚を拒む」41(3)の中間部分9小節を調性とアレンジを変えて使用。無邪気で快活な少女ジュリエットだが、母親から青年貴族パリスの求婚を承諾するよう告げられ、当惑する。そりゃそうだ!彼女はまだ14歳にも満たないのだから。

4.「仮面」[1]−5

「仮面」12(1)をほぼそのまま使用。最後の部分がカットされている。ロメオは友人のマーキュシオ達と共に、宿敵キャプレット家の仮面舞踏会に忍び込み、ジュリエットと運命的な出会いをする。

5.「ロメオとジュリエット」[1]−6

バレエ第1幕フィナーレ部分の数曲を合成している。「バルコニーの情景」19(1)の最後4小節をカット、その後「愛の踊り」21(1)の真ん中を一部カットしてつなげられている。舞踏会が終わった後、ロメオは再びキャプレット家に忍び込み、2人の愛が高まっていく有名なバルコニーシーン。2人の愛の抱擁は深い感動と共に果てしなく続く。「ウエストサイド・ストーリー」では例の非常階段のテラスでラブ・デュエットとしてTONIGHTが歌われるシーン。いいなあ。

6.「舞踊」[2]−4

「5組のカップルの踊り」24(2)の前半と「民衆のお祭り騒ぎ」30(2)の真ん中一部分で合成、コーダは組曲のための創作。ヴェロナの街の広場ではお祭り気分でごった返している。マーキュシオ達は女達を相手に飲んだりからかったり。この後悲劇が潜んでいるとも知らず、、。

7.「タイボルトの死」[1]−5

バレエ第2幕フィナーレ部分の数曲を合成、実に悲劇的な音楽。「決闘」33(2)の部分、「ロメオはマーキュシオの死の報復を誓う」35(2)後半、「第2幕終曲」36(2)がつなげられている。尚、組曲で練習番号「70」Presto以降の部分は35(2)後半部分だが、バレエとは違い「決闘」6(1)の前半と同じアレンジ(メロディは同じ)となっている。広場で鉢合わせしたマーキュシオとジュリエットの兄タイボルトの決闘、マーキュシオの死、怒ったロメオとタイボルトの決闘、そしてタイボルトの死、彼の葬送とキュピレット家のモンダギュー家に対する永遠の復讐、、、ああ暗い。それにしてもこの重く異常な力に満ちた葬送行進曲は4分の3拍子で書かれているのがすごい。

8.「別れの前のロメオとジュリエット」[2]−5

「ロメオとジュリエット」38(3)、「ロメオとジュリエットの別れ」39(3)前半、「間奏曲」43(3)ほとんど、「ジュリエットひとり」47(3)の前半がつなげられている。組曲のなかでは最も長大。ヴェロナ追放の身となったロメオは別れを告げるためにジュリエットの寝室に忍び込んで(それにしてもよく忍び込むものだ)朝まで語り合う。そして永遠の別れ。僧院に行き、ローレンス僧より策をさずかったジュリエットはパリスとの結婚を承諾、そしてロメオとの愛のため薬を飲んで仮死状態となった。ジュリエットの運命や如何に。

9.「アンティーユの娘達の踊り」[2]−6

「百合の花を手にした娘たちの踊り」49(3)をほぼそのまま使用。終わりが違うだけ。ジュリエットが仮死状態に陥った日は結婚式当日だった。その朝に百合の花を持って娘たちが来た。なんとなく死を予感させる。ああ憂鬱。

10.「ジュリエットの墓の前のロメオ」[2]−7

「ジュリエットの葬式」51(4)冒頭部分をカットして「ジュリエットの死」52(4)の冒頭部分を合成、というよりは最後の部分は「ジュリエットのベッドのそば」50(3)のコーダと同じ。仮死状態のジュリエットの葬列がしめやかに続き、先祖代々の墓に安置される。ロメオは何をしているのだろうか?

11.「ジュリエットの死」[3]−6

[2]−7での「ジュリエットの死」52(4)の残りの部分全曲でバレエの終曲。マントヴァからロメオが駆けつけたが時すでに遅し。ジュリエットが死んだと思い込みためらいもなく毒を飲んでしまう。目覚めたジュリエットはロメオの死を知り、自らもロメオの短剣にて死ぬ。こうして悲劇は終わった。

この最後のシーンは、以上述べたとおり、組曲版では第2と第3という別々の組曲の終曲として取り上げられ、しかも曲の途中で分断されてあらたに編纂されている。
今回、最後のシーンとして「ジュリエットの墓の前のロメオ」[2]−7で終わりということではなく、本当の終曲であるジュリエットの死」[3]−6も演奏することにより、原曲と同じ流れで続けて演奏することにより、この曲を締めくくることとなった。

<終わりに>

せっかく組曲から選んで演奏するのだから、「朝の踊り」[3]−2とか、「情景」[1]−2とかの有名な曲も取り上げたいが、トータルの演奏時間の都合とストーリーとの関係から割愛せざるを得なかったのは残念だし、九州の演奏旅行では、時間の関係からこの11曲から更に割愛しなければならない。しかし、プロコフィエフの傑作として個々の曲は単独に取り上げても充分に我々を魅了している。新響もお客様に素晴らしい演奏をお贈りすべく、精一杯納得のいくまで練習するのみである。どうぞご期待下さい!


最近の演奏会の紹介に戻る

ホームに戻る