1998年12月維持会ニュースより


 これは1937年に音楽雑誌に掲載された作曲者自身の文章です。柴田南雄氏によるレコードの解説に引用されていたものを掲載しました。
 今回取り上げる「パロディ的な4楽章」は1937年に催された新交響楽団(現NHK交響楽団)第1回邦人作品コンクールに提出され入選しました。指揮者のローゼンシュトック氏はこの作品を第1位に推し、日本側新審査員はオリジナリティがないとそれに反対したのだそうです。


恐るるものへの風刺

深井史郎


 いったい、僕はコンクールといった形で、作品を発表するのは好きでない。新聞社でやるのは審査に信用がおけないし、オリンピックなぞは、どうぜナチスの宣伝に使われるのだがら嫌だ。またパリの万博となると、あそこへ持ち出せるょうな作品がない。---どうせ持ち出す以上は当然問題にされるような作品でなくては面白くないと思うからだ。ではなぜ、今度のコンクールには作品を出したかというと、ローぜンシュトック氏に非常に尊敬が持てるからだ。
 この<パロディ的な四楽章>は4年前の作品で(オーケストレーションだけは去年やったが)今からみればもちろん不満も少なくないものである。この作品は実は、そのころ放送局の青木氏から何か書いてみないかと言われ、1ヶ月の間、鎌倉に引きこもっていろいろな作家の作品をあさってみたのだが、その結果すっかり自信を失ってしまった。そこで「もし今、本当に独自性のあるものが作り得ないなら、逆に、積極的に、こういう優れた作家たちへの追随から出発してみよう」と考えた。---そうして一歩退いて出発し直してみると、それまで渋滞していた仕事がじつにスラスラとはかどっていった。しかも作った後で、その作品を見ると、いろいろな影響を雑多に受け入れてはいるが、結局はそれが自己のものであって、他の何人のものでもないことに気がついた。
 こうしてこの作品の第1楽章はファリャに、第2楽章はストラヴィンスキーに、第3楽章はラヴェルに、第4楽章はルーセルに棒げられている。このことを先に「フィルハーモニー」誌にも漫画風に書いておいたが、それは興味本位に書いたので僕の本当の気持ではない。本当の気持を言えば、各々それらしい衣装を着けてはいるが、この作品はそれらの人々の作品とは似てもつかない僕自身のものになり切っていると信じている。
 この一つの体験から判断して、われわれは他の優れた作家たちから影響されることを少しもこ恐れる必要はない。むしろ、みずから進んでその影響をうけることも、ある場合には必要だ。たとえみずがら意識しなくとも、そこに生まれてくるものは、やはり「自己」のものだ。他の作家の影響をうけることによって、自己を失うことを恐れるもののごときは、個性の貧弱な、いやしくも芸術家たる資格のないものだと思っている。
 それ故にこの作品は、そういう影響を恐れすぎている日本の作曲家たち、ことに日本的作曲なぞを云々しながら、外国の作品を余り研究しようとしない人々にたいする一つの風刺であるだろう。


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