1997年10月18日新響ニュースより


深井史郎の紹介その4 舞踊曲「創造」について

新響打楽器奏者 上原 誠

 新響が初めて深井史郎の作品を取り上げたのは、1995年7月16日の第148回演奏会『映画音楽生誕100年』で、曲は“映画『空想部落』のための音楽”(昭和15年)でしした。「深井史郎の紹介」のその1から3まではその時に、[人と作品]、[理論家として、映画人として]、[映面音楽と『空想部落』について]と題して発行しました。また、昨年7月、『日本の交響作品展’96』で『ジャワの唄声』を演奏した際には、深井作品には直接関係しませんが、この演奏会の重要な時代背景の一つである皇紀2600年について紹介しました。今回はこれらを受け継ぎ、[深井史郎その4]として次回160回演奏会で取り上げる舞踊曲『創造』をご紹介します。

「創造」の誕生
 1940年(昭和15年)は皇紀2600年、すなわち神武天皇の即位から2600年目に当たるとされた。世界中で戦雲が広がりつつある中で、「神の国」日本が東南アジアに進出することを正当化する「八紘一宇」(世界を一つの家にするという意味)という造語を掲げて、ナショナリズムを鼓舞するための盛大な式典が行われた。音楽に関しては、R.シュトラウスら4人のヨーロッパ作曲家に委嘱した管弦楽曲を筆頭に、邦楽・唱歌に至るまで40数曲の奉祝音楽が作られた。この舞踊曲「創造」も日本文化中央連盟主催の「皇紀2600年奉祝芸能祭」のために作られた。
 同年9月30日東京宝塚劇場で行われた発表公演のプログラムの文章を入手したのでご紹介します。

公演の主旨の説明
[皇紀2600年奉祝芸能祭制定 現代舞踊の発表について]財団法人日本文化中央連盟
 本連盟主催、皇紀2600年奉祝芸能祭は、去る7月15日日比谷公会堂における芸能祭映画コンクール入選作品発表会を以って春季シーズンの行事を終了したが、9月新秋とともに茲に本夕東京宝塚劇場に於いて別項の通り芸能祭制定現代舞踊「日本」三部曲「創造」「東亜の歌」「前進の脈動」を発表致すことになりました。(編注:他の2曲の作曲は、それぞれ江文也と高木東六です。)
 この現代舞踊「日本」三部曲は光吉夏弥氏の作になり、斯界の権威者江口隆哉氏、高田せい子氏、石井漠氏が皇紀2600年を期して我が国に於ける現代舞踊運動に一新風を越し、之が発表公演に際しては、戦時下に於ける我が国民体制に順応し、最初の公演を以って其の成果を世に問うこととなりました。
 第1部「創造」は深井史郎作曲、江口隆哉氏振付になるものでありますが、尖鋭な近代的表現による「創造」のパノラマ的展開で、「天つちのわかれ」「万物の創造」「人間の誕生」にわかれ荘厳なる天地創造の舞踊化であります。(中略)
 此等の制定作品に際しまして、本連盟は汎く我が国芸能界の熱心なる協力と参加に依り、夫々専門委員会の決定に基づいて企画を進めたものでありまして、真に光輝ある二千六百年に遭遇する現代国民としての歓喜と感激を後世国民に伝えるべき芸術的作品の完成を期した次第であります。

昭和十五年九月

「創造」のキャスト
現代舞踊「日本」三部曲 光吉夏弥作 第1部「創造」三景 深井史郎曲 江口隆哉・宮操子舞踊構成 島公靖美術 深井史郎指揮 中央交響楽団演奏 出演:江口隆哉、官換子ほか省略

「創造」のあらすじ
近代的表現による「創造」のパノラマ的展開一第1景神々の誕生一火のかたまりのような爛々たる球体が宇宙に渦巻いている。やがて天と地とが分かれ、男女二柱の神が誕生する。神々が静かに浮橋の上の歩み、ゆるやかな半円を描く。このあいだに八つの島が形成される。(編注:これは前述の「八紘一宇」を表わしているものと思われる。)第2景万物の創造一神々がはたらきかける。黒々とした団塊が浮き出てくる。団塊から分離した未だ何とも形のつかないものがアミーパ的膨張に成長する。走るものや、葡うものや、跳ぴ歩くものなどが次々に生れる。生物たちは追いかけ合い、からみ合い、踊り、走る。舞台はだんだん明るくなり花が一大きな花や、小さな花が次々に開く。第3景人間の誕生一咲き開いた花の間から男と女が生まれれる。春。二人は求め合い、健やかに踊りはじめる。生物たちの歓喜の中に、男と女はしだいに熱情の波に巻かれてゆく。欲望の高潮に二人が相抱いて立った瞬間、天地は崩れ落ちるような金属性に爆発する。途端に暗い人の世の影が不気味に支配する。男と女は恐れ戦き、生物たちは物の蔭にひそんだまま動こうともしない。打ちひしがれた天地に微かに地熱のような胎動が脈々として響いてくる。男と女は再ぴ相求めて太腸に向かって踊りつづける。生物たちの生活的な動きが孜々として営まれる。男と女の意志に充ちた建設的な踊。新しい光が彼等を包む。花がくるくると廻転しはじめる。同時に生物達も近代的な意匠て悠久な創造の力学を展開する。

江口隆哉による<創造について>
 万物創造の「生みなされた悦ぴ」を表現するだけでなく、欲望を知り、暗さに直面して生活に目覚めた人間の建設的創造への歩みを表わそうとするものである。
 音楽、セット衣装、、照明等すべてを有機的に舞踊と結合してもらうことの賛同を得、作者光吉氏、作曲深井氏セット・衣装島公端氏、照明小川昇氏の諸氏と演出に就いて数回会談し、作品の一部分デッサン風に舞踊して見て、作品のスタイルを決定し、出演者の配役を決めて各パートに貢任者を一人すつ置き、這うもの、走るもの、等々の原則的な動きや、それに何かが附随する悦ぴ、悩み、生活的な動き、建設的な動きというように創作して貰って、これに総合構成して作品全部のデッサンを作り、前記諸氏に見て貰った上で深井氏は作曲に着手し、動きや構成上必要なセットを各パートから夫々提出しそれを島氏が整理して必然的な結晶舞台の構成に着手し、動きによって定められる衣装を考案して載いた。
 芸術祭の意義ある仕事をさせて載くことは芸術家としてこの上もない悦ぴであり、日本文化中央連盟に深く感謝する次第であって、衆知を集めていいものを作りたいと思っている。

10月2日の東京日日新聞の批評
<近代的感覚で「創造」の成功、芸術祭の洋舞>近藤孝太郎

 日本文化連盟の芸術祭の洋舞は30日の夜東宝で、江ロ、高日、石井三舞踊団の合成三部作で公演され、原作は光吉夏弥氏の「日本」であった。そして使用した舞台装置の完備、連盟の経済的援助、出演者側の緊張とが相俟って、平素の舞台とは格段の成果を挙げた。共働者で最もよかったのは島公靖君と深井史郎君だ。島君の装置の方は今度はやや落ちてフィニッシュを欠いたが、色感が豊かで殊に第1部の衣装は近来の佳作であった。
 さて江口隆哉の「創造」は一番近代的な感覚を持ち、且つ一番よく纏まっていた。それに深井君の幽明な伴奏計画と最も有機的に溶合して両者が十分の効果を挙げた。(以下略)

付録 高田せい子が「東亜の歌」によせた次の文章から、
当時の状況をうかがうことができる。

 勇猛果敢な我が将士の方々に依って聖戦も益々我国の冒し難き威力を示しつつある秋、其大日本国民として、今また、光輝ある紀元二千六百年に遭遇する悦びを、私共芸術に精進するものも、緊張の心を緩めぬ裡に、奉祝したい気持ちは溢れております。此時に当り、日本文化中央連盟の多大なご援助とご指導の依り、其の奉祝芸能祭が開催出来ますことは、一日本国民として非常な光栄と感謝を以て、懸命の努力を致しました次第で御座います。(中略)
 而して新体制下の現状に鑑みまして、奢侈華麗を慎むことを旨とし、真に国民としての心心構えと、又此希有の聖代を寿ぐ悦びとをを以って、新東亜の曙光を如何に芳しく、又我日本の力強い精神を表現するかに、日夜其研鎮に費やして参りました。

[出典]西宮安一郎編「江口隆哉と芸術年代史」東京新開出版局


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