第159回演奏会(1997年10月)維持会ニュースより


法悦“extase”の色彩
−−スクリャービン作品への一視点−−

新響フルート奏者 松下俊行

音と色彩--パステルナークの挫折--

 『ドクトル・ジヴァゴ』の著者として知られる作家ボリス・パステルナークの自伝『安全通行証』には彼のスクリャービンへの傾倒振りが随所に見られる。彼の父は画家であり、スクリャービンとの交友があった。互いの別荘が隣同士だったこともあり家族ぐるみのつきあいあだったのである。少年時代のボリスは隣人である作曲家の作品に心酔し、自身も音楽家を志す。
 1909年1月のある日、19歳になったボリスは自作のピアノ曲を持ってスクリャービンを訪ね、彼の前で演奏した。審判を待つ演奏後の重苦しい空気の末に、スクリャービンはおもむろに立ち上がりパステルナークの作品の1曲を弾いて見せた。勿論完璧な演奏だったが、次の瞬間、今度はその作品を移調して異なる調で弾き始めた。この次に記されているパステルナークの反応はやや見当はずれの感を免れ得ない。
 「スクリャービンには絶対音感がない」
という述懐である。
 実は音楽家を目指す少年は自分に「絶対音感」がないというコンプレックスに取りつかれていたのである。尊敬してやまぬスクリャービンの挙動の中から自分と同じ悩みを見い出す事に執着した結果とも言えないことはない。ただこの部分を最初に読んだ時は(電車の中だったのだが)「おいおい、そりゃないだろう」と思わず声が出てしまった。
 スクリャービンのこの時の行動は調性の選択によって色彩の変化を図る為だった考える方が面白い。調性の持つ固有の「色彩」。勿論実際の色調が存在する訳ではなく、我々が日常音楽に接している際に感ずる色あいは、実は和声の性質であったり、演奏技術の産物やオーケストレーションの結果である場合も多いが、そうした周辺の要素を取り去った後にもその調性特有の「色彩感」があることは実感として容易に理解できるであろう。一例を示せばこの時代の大家であるリムスキー=コルサコフはハ長調=白、ロ長調=暗青色、変二長調=濃い暖色などの様に捉えていた。スクリャービンについていえば後述する発色ピアノに見られるような彼独特の音と色彩についての感性を持っていた。調性が変われば色彩も変わる。この色彩との微妙なニュアンスを感じ取るには当然「絶対音感」が基盤に必要である事に気付かねばならない。パステルナークにはこの色彩のニュアンスが感じられなかったのだ。
 この日の事を契機にボリスは音楽家への途を断念している。

神との合一

1)私と神との間に区別がない、したがって私は神である。
2)世界と私との間に区別はない、したがって主観は客観的な事実と溶け合っている。
3)空間と時間との間は、理論的に区別しがたい。このため空間と時間は、私の受取り方の主観的な形式となる、両者は、恍惚のうちに消え去り、時間も空間もない私のひとつの創造世界に溶け込んでいる。
4)科学と芸術の間には区別がない、したがって、最高の芸術は最高の知識から産みだされてゆく。
5)感覚の源と芸術の源の間には区別がない。

 どこぞの新興宗教の教祖の講演録ではない。1905年のスクリャービンの「ノート」にある記述である(藤野幸雄 『モスクワの憂鬱』所収)。彼は1871年12月26日(露暦)に生まれているが、終生キリストと同じ日に生まれたと思い込みそれを重要な事と考えていた。
 こうした言動からその人を捉えようとすると20世紀末の日本に生きる我々は、どうしてもある種の「狂気」を感じがちである。が、直観によって神との一体化を図ろうとする神秘主義の思想そのものは各宗教に古くからあり、我々にはなじみが薄いがヨーロッパには「神智学(theosophy)」という分野が確立している。神やその代理者からの啓示を内的直観によって認識する方法である。この時期には霊的能力をそなえた、とある夫人の提唱により「神智学協会」が設立されている。スクリャービンは直観によって神との神秘的合一を遂げ至福、法悦の境地に至ると説く彼女の著作に傾倒し、1908年にこの協会のブリュセル支部会員になっている。この影響は彼にとどまらない。芸術の分野では、A.シュヴァイツァー・モンドリアン・カンディンスキー・ベルジャーエフ等など錚々たる面々がそこに名を連ねている。この「神智学協会」が芸術界に与えた影響は、大学の文学部の卒業論文のテーマとしても重すぎるくらいかもしれない。スクリャービンの宗教的思想は決して個人的なカルトではなく、彼の生きた時代のある側面の反映であることを、我々は充分に理解し記憶する必要があろう。

秘儀としての音楽

 とはいえ、彼の思想は当時としても特異なものではあった。殊に創作活動と密接に結び付いた時、次第に独創的になってゆく作品は、一握りの熱狂的な支持者(例えばパステルナークのような)と多数の批判者を自ずから産み出していかざるを得なかった。神との合一を図る秘儀として音楽という位置付けが、彼の裡に次第に強まっていったのである。絶筆となった『神秘劇(Mysterium)』には有名な「発色ピアノ」が用いられている。実物が現存するのかどうか見る機会もないが本で読む限り、C(ハ)=赤・Cis(ハ♯)=すみれ色・D(ニ)=黄色・・・・・という具合にその鍵盤を押すと音ひとつひとつ異なった色が発光して舞台を照らす仕組だったようだ。何だたいしたことではないと最初は僕も思ったのだが、それは単色の場合である。スクリャービン特有の複雑な和声(何せ「神秘和音」−−手近にピアノがあったら、G・H・D・D♭・Fの音を一度に鳴らして見て欲しい−−と名付けているほどだ)の構成音を全て、しかも次々と和音を変えて発色させたならその効果は非常に大きいものになるかも知れない。但しそこにある「色彩」とは具体的な色そのものであり、冒頭のリムスキー=コルサコフの述べたような調的色彩感とは既に別のものである。
 更に彼は舞踊や香りをも採り入れようとしていたことが、この未完のスコアの記述によって明らかになっている。が何といってもこの曲の性格を雄弁に物語っているのは、演奏に際して聴衆がいない事を前提にしている点にある。聴衆のいないところで行なわれる、聴覚のみならず視覚(色彩)や嗅覚といった五感全てに訴えてくる音楽という存在を、僕は戦慄なしにはなかなか想像し得ない。宗教の儀式なのだと思うことで辛うじて堪えることの出来る類の音楽ではあるまいか。神の世界を表わすという意味でいえば、彼の作品も確かに「宗教音楽」といえる。仕掛けこそ複雑ではあるが、宗教的境地を実現するという意味であれば、一般に宗教と音楽は常にそうしたあり方であった筈だ。
 こうした彼の音楽の性格は、少しもその価値を減ずるものでないことは断わっておこう。独自の宗教観とその難解な作風ゆえ、その後のソ連(特にスターリン時代)の社会では黙殺され続ける道を辿ったに過ぎない。ロシアにおけるアヴァンギャルドの先駆として、評価されるべき音楽である。

法悦(エクスタシー)について

 『法悦の詩』の作曲された1905年から1908年と云う年を改めてこれまでの文から見直して欲しい。作曲者の「ノート」にあった記述の年、或いは彼が神智学協会の会員になった年。完成の翌年のパステルナークとのエピソード。
 スクリャービンの作風の時代区分には未だ定説が確立していないと言われているが、ピアニストとしてラフマニノフと共にモスクワ音楽院を卒業して暫くは、ショパンのスタイルの作品を書いていた。その後ヴァーグナーの影響を受けたと言われ、官能的な作風をうち立てている。が、独自の哲学と宗教観を確立したこの時期には作品も更なる変貌を遂げている。
 この曲の原題の「法悦」に当たる部分は“extase”要するにエクスタシーである。この言葉を耳にするだに身体の一部に変化を来してしまう善男善女の方々には気の毒だが、官能という一側面で語義を捉えるのは的確ではない。「恍惚」と言い「忘我」と言うが、「外に出て立つ」という原義がそこにはある。自分のいる場所(或いは自分の感覚)から外に出てしまっている状態こそがエクスタシーの姿である。そしてこの語は「外に出て立つ」=「現われる」の意から“exsistence,exsistance(存在)”とも 語源を同じくする。我々の存在そのものが外側へと向かっている。神によって規定される人間の本質から外へ出た人間の存在を、“exsistence(実存)”とかつてサルトルは名付けた。神との合一によって自己の知覚の外側へ出た精神の状態がスクリャービンのいう“extase”である。ここでは意識はすでに肉の世界の外側にあり、官能とは一線を画していると考えるべきであろう。こうした作曲者の意図するところを考えれば、この語に「法悦」の日本語を充てるのは蓋し名訳と言わねばならない。

 残念ながら新響がこの境地に達する事は、俄に神がかって狂信的集団になるか薬物の力でも借りぬ限り難しいだろう。前述の神智学を含め神秘思想は、常識的な現代の日本人には最もなじみにくい分野であるからこれはしかたのないことだ。そこでせめて官能的な側面から『法悦の詩』にアプローチしてゆくことになろうが、謹厳実直(でない人もいようが総じて)なメンバーにとっていささかの苦行にならねばよいがと、むしろそんな心配をしてしまう。


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